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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

しっかり勉強しないと・・・(3)

2012-10-13 11:48:12 | 子育て
会社の後輩が彼の幼い息子と、
あるイベント会場に出かけたときのことだそうです。

そこで大小の資機材を運ぶ作業服姿の人々に交じって、
同じ作業服を着ながらもネクタイをしめ、背広を着た人と打合せをしながら、
他の作業服の人に指示するだけの人がいました。

その男性を見て、彼の息子がこう聞いたそうです。
「どうしてあの人は、みんなと一緒に働かないの?」

そう聞かれた私の後輩は、逆にこう聞き返しました。
「おまえがやるとしたら、あっちで物を運んでいる人と、
 その人たちに指示しているネクタイの人とどっちがいい?」

すると彼の息子は迷わず答えました。
「ネクタイの人!」

そこで後輩はしてやったりと、息子にこう言ったそうです。
「だったらしっかり勉強しろよ」

単純労働というのは、誰にでもできるので試験がありません。
代わりの人もたくさんいるので、賃金を多くしなくても人は集まるし、
会社は正社員として雇用する必要もありません。

しかし、知識や経験、技能が必要となる労働は、
誰でもいいというわけにはいかないので、試験があります。
また、より高度な知識や経験、技能を有する人や、
会社がこれから修得させたいと思う人には賃金を高くし、
正社員として雇用し、他の会社へ行かないようにする必要があります。
そして、そのような人は大勢いる必要がないので、試験で選ぶことになります。

後輩は、それが社会の仕組みなのだと息子に教えたそうです。

この話を聞いて、
「幼い子供に対してえげつない」と言う同僚もいます。
なぜなら、そこには親心として、
「しっかり勉強して、条件の良い就職をしてほしい」
という願いや親の価値観があるからです。
ストレートに言えば、子供も反発します。

しかし、多くの親の世代は、
彼の機転の利いた教え方にとても感心しました。
なぜなら、彼の息子は、
「やるならネクタイの人がいい」と言っているのですから。


しっかり勉強しないと・・・(2)

2012-10-06 22:58:17 | 子育て
大学を卒業し、30代半ばまでフリーターを続けていたある男性。
「そろそろ定職に就かなければ将来がヤバイ」と思い就活を始めました。

そんな彼が、ある大手飲食店チェーンの新規店舗スタッフの求人に応募しました。

そして面接で人事担当者から、どんな仕事をしたいかと聞かれ、
彼は「人事部門で採用や人材教育をしたいです」と答えたそうです。

模範解答があるわけではありませんが、少なくとも、
店舗スタッフの求人面接での問いかけに対する返答としてはトンチンカンです。
キッチンだとか、ホールだとか、また将来的には店長をやってみたいとか、
そんな返答を期待していた人事担当者は面食らったそうです。

その人事担当者は、最近の中途採用の面接では、
自分の立ち位置が理解できない若者が増えたと言います。
「やる気の現われ」で勢いあまったのではなく、
明らかに、自分が客観的に見えていないという意味です。

先の面接を受けた男性もきっと、
こぎれいなオフィスで、バリッとしたスーツを着て、
さっそうと仕事をこなす自分を思い描いていたに違いありません。
新卒学生や卒業後数年程度であればそれも良いでしょう。

しかし、彼は30代の半ばになるまで、
そんな希望を叶えるためのキャリアを積んできたわけでもなく、
何か自分で勉強をしてきたわけでもありませんでした。

残念ながら彼は、30代半ばの年齢であれば、
人事の専門知識や経験を積んだ転職希望者は、
世の中にゴマンといるということに気づいていません。

「自分のやりたい仕事に就こう」
「仕事はやりがいを尊重しよう」
「大切なのは自分らしく生きること」

そんな無責任な大人の言うことに感化された若者が、
定職に就かず、やがて定職に就けなっていきます。
そんな若者がこれ以上増えないようにできるのは、
いま子育てをしている親しかいません。



しっかり勉強しないと・・・(1)

2012-10-05 23:59:59 | 子育て
交差点で信号待ちをしていると、
近くにいた親子連れから、こんな声が聞こえてきました。

「〇〇ちゃん、よく見ておきなさい。
 しっかり勉強しないと、あんな仕事にしか就けないんだからね」

親子連れの視線の先には、
ヘルメットに作業服姿の若い男性が立っていました。

職業差別でしょうか?
親の価値観の、子供への押しつけでしょうか?
確かに「あんな仕事」という物言いは、子供の教育上好ましくありません。
どんな仕事でも、そこで働く人たちは、
社会を構成する大切な役割を担っているのですから。

しかし一方で、この親の言葉は真実でもあります。

人は誰だって体力的にきつい仕事や体が汚れる仕事、
危険な仕事はやりたくないし、わが子にさせたいと思う親もいません。
そういう意味では、学歴という狭義においてだけでなく、
資格取得や専門知識といった広義での勉強という点において、
この親の言ったことは、決して間違いではありません。

「自分のやりたいことを見つけよう」
「自分のやりがいを大切にしよう」
「自分の得意なことを伸ばそう」

そうやっていつの頃からか、日本の学校教育は、
子供たちを学歴社会や受験競争などから遠ざけたい一心で、
シビアな現実を教えることから目をそむけてきたような気がします。

「嫌なことを我慢してすることはない」

その結果、子供たちから失われたのは、
どんな仕事に就いてでも、自分の力で生きていくという覚悟、
自立する精神です。

「やりたい仕事が見つからない」「やりたい仕事に就けない」
そんな理由で職に就かず、生活費に困窮する若者にさえ、
この国は扶助の手をさしのべてくれます。
しかし、そんな史上例のない社会福祉政策が、
いつまでも持続できるわけがありません。

ましてやこれを持続させるために、
移民の受け入れが必然などと言う政治家は、
本末転倒もいいところです。

本当に子供の幸せを願うなら、
現実の社会の仕組みと厳しさを教え、
「自立の覚悟」を持たせることではないでしょうか。

私ですか?
歳を取るたびに、
親の言ったことが身に染みる今日この頃です。


「生意気」という批評

2012-09-01 22:25:31 | 子育て
「生意気を言うな!」
日常、わりと頻繁に言ったり、
耳にしたりする言葉ではないでしょうか。

私がまだ入社して間もないころ、
仕事の進め方について三年先輩の社員と口論になったことがあります。

最初は普通に議論していたのですが、
次第に白熱していき、やがて口げんかのようになったのです。
周囲では同僚がことの成り行きをはらはらしながら見ており、
先輩も後には引けないようでした。

そして激昂した先輩社員はとうとう、
「生意気なことを言うな!」と怒鳴りました。

するとすかさず、
そばで黙って聞いていた上司がその先輩社員に向かって、
おどけた調子で口を開いたのでした。

「はいは~い。おまえの負け~」

そして、きょとんとしている先輩社員いさめて言いました。

「おまえは先輩なんだから、後輩より立場が上なのはあたりまえだ。
 それが議論で説得できず、力関係を誇示してどうする。
 生意気という言葉を出した時点で、おまえの負けだよ」

「生意気」とは、
「自分の立場や年齢、能力などを考えない出過ぎた言動」だということです。
したがって議論の内容とはなんの関係もありません。

つまりその上司が言うには、立場の優劣や力関係を持ち出し、
 本題とは関係のないところで相手を言い負かそうとした時点で、
議論では勝てない(説得できない)ことを認めているということでした。

これは先輩と後輩の関係だけでなく、親と子、教師と生徒、
上司と部下など、あらゆる人間関係、そして場面で言えることです。

子供を相手にしているときや、後輩を指導しているときなど、
ついつい「生意気なことを言うな!」と言いたくなることがあります。

そのたびにこの上司の言葉を思い出し、
その言葉をぐっと呑み込むのでした。


「しつけ」とは?

2012-07-19 23:08:37 | 子育て
「しつけのつもりだった」
幼児虐待の親が逮捕されるたびに口にする言葉です。

しかし、「しつけ」は親の思い通りになるように
子供を育てることではありません。
「しつけ」とは、子供が大きくなったときに支障なく社会生活できるよう、
「がまん」や「思いやり」、「協力」や「公序」といった心を育てることです。

肉体が一朝一夕に成長しないように、
心もまた時間をかけなければ健全に育っていきません。
また、心を育てていくものである以上、
罰を与えたりや説教したりして身につくものでもありません。

「しつけ」の第一歩は、まず家の中にルールを作ることです。

「朝のあいさつ」でも、「食事中はテレビを消す」でも、何でも良いのです。
どんな小さなことでもかまいません。
もっとも大事なことは内容ではなく、それを親も一緒に守るということです。
そうすることによって子供は親を信頼するようになります。

子供は家庭内のルールを守ることから小さな「がまん」を身につけ、
次第に大きな「がまん」ができるようになり、
やがて家の外にあるルールを守る心が育っていくのです。

また、小学校の高学年にもなれば、
子供は「なんでウチだけ?」「みんなやっている」といった不満が出てきます。
そんなときは、「よそはよそ。ウチはウチ。ルールとはそういうもの」でいいのです。
そもそも、みんなと同じでよければ、世の中にルールなんて存在しません。

子育ては、親も一緒に成長することが不可欠です。
子供にがまんをさせるなら、親も一緒にがまんをし、
子供に勉強をさせるなら、親も一緒に何かを勉強する。

それは子供のためだけではありません。
親である自分自身のためでもあるのです。
なぜなら、それは子供が成長したときに、
必ず年老いた親(自分)に跳ね返ってくることだからです

もし、親が子供だけに何かを強いて、
自分は勝手気まま野放図にしていたら、
やがて子供も親に対して野放図に振る舞う人間になるでしょう。