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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

ああ勘違い!

2013-03-16 23:59:59 | 子育て
さすがに最近は「自分探しの旅」なんて、
恥ずかしくて口にする人はいないと思いますが、
長く旅を続けていると、
確かに違った自分が見えてくることがあります。

そして、意外とそんな自分が心地よくて、
「ああ、これがきっと本当の自分なんだ」
と勘違いしてしまうのです。

小さなころから自転車少年だった私は、
学生時代に一か月間のソロツーリングしたことがあります。
雨の日も風の日もただひたすらペダルを漕ぎ、
さまざまな人たちと出逢い、初めて目にする景色に胸躍らせ、
日に日に、体だけでなく、心にも筋肉がついていくのがわかる、
そんな旅でした。

けれどもそんな想いは、
旅という非日常がそうさせているに過ぎません。
自分の内面が、旅という非日常に適応しようとしているだけなのです。
それを自覚しなければ、日常に戻った人は失望し、
さらに自分探しの迷宮に陥ってしまうのです。

最悪、社会復帰できず、
「心地よい自分」探しの旅を果てしなく続ける人もいます。


体罰よりも悪いこと

2013-01-12 17:04:53 | 子育て
連日報道される大阪市立桜宮高校の体罰事件。
体罰の是非をめぐって、保護者の間でも議論が分かれているようですが、
肝心なことが忘れられているような気がします。

それは、当の顧問教師が、生徒が自殺する事件の前に、
校長から体罰の有無を聞かれて「体罰はない」と答え、
事件後に証拠をつきつけられて、
ようやく「体罰だった」と認めているという事実です。

「発覚を恐れて、自分のしたことについて嘘をつく」

体罰行為をする以前に、それだけで教師失格です。
将来ある子供たちを育てる職に就くべき人間ではありません。

自分の指導方法が表ざたになり、こそこそと嘘をつくということは、
「自分は間違っていることをしている」 という後ろめたさの裏返しです。
そこには、「教育には、時には体罰も必要だ」という信念はありません。
そんな教師の指導に賛同し、擁護する一部の保護者や卒業生の精神も異常です。

事件の渦中の顧問教師を支持する保護者や卒業生は、
「自分が学生だったときはもっと厳しかった」などと言います。
しかし、それは教育委員会に通報されたり、
傷害などの事件にならなかっただけのことに過ぎません。

もし、その時に今回と同じような事件が起こっていたら、
体罰を与えていたその教師はどう答えたでしょうか。

体罰指導の是非の議論と、
教育者として相応しい人か否かという問題は、
まったくの別問題であり、混同してはいけません。


人生はチャート式

2012-12-17 22:41:45 | 子育て
あの学校に入学していれば・・・
こんな会社に就職していなければ・・・
違う人と結婚していれば・・・
あるいは結婚なんかしなければ・・・
・・・もっと違う人生になっていたかもしれない。

人は詮無きことを考えるものです。
しかし、人生はよくできたチャート・テストと同じです。

チャート・テストとは、質問に「YES・NO」で答えたり、
択一式の答えを選んで次の質問に進んだりすることによって、
最終目的の回答にたどり着くアンケート形式のテストです。

「あなたに向いている職業は?」とか、
「あなたにおすすめのスポットは?」といった、
よく雑誌などに掲載されている「あのテスト」といえば、
知っている人も多いのではないかと思います。

よく考えられたチャート・テストというものは、
途中で一回くらい気まぐれに答えたり、
自分の意に反した回答を選んだりしても、
必ず同じ結果(最終回答)にたどり着くようにできています。

人生もこれと同じです。
自分の人生は自分で選び、自分で評価する以上、
どんな人生を歩んでも、結果はそれほど大きく変わりません。

「あのとき選択を間違えた」
そう言ってくよくよし、自分は不幸だと思っている人が、
たとえ「別の選択をしていた」からといって、
バラ色の幸せな人生を歩んでいることなどありえないのです。

なぜでしょうか。
それはチャート・テストも人生も、
分岐点で答えを選んで先に進んでいくのは自分自身、
すなわち同じ人だからです。

つまるところ、その人自身が変わらなければ、
どんな選択肢を選んでも、おおむね同じような人生を歩み、
同じようなことを言っているものなのです。



「歴史教育」の持つ力(2)

2012-12-05 23:32:40 | 子育て
「歴史教育が大切だ」と言うと、
日本ではすぐに愛国心と結びつけ、
果ては戦争につながると騒ぎ立てる人がいます。

「愛国心を持たなければ戦争にならない」
それこそが誤った歴史認識です。

戦争という異常な状態が、
人々の愛国心を異常に高揚させるのであって、
愛国心を持っているから戦争が起きるのではありません。

戦前の日本も、共産党中国も韓国も、
国が歴史を道具として使うから道を誤るのです。
歴史とは「学ぶ」ものなのです。


「歴史教育」の持つ力

2012-11-27 23:36:40 | 子育て
大学受験の社会科は世界史でした。
教員免許も専門科目は世界史で取得しました。
結局、教師にはなりませんでしたが、
歴史にはずっと興味を持ち続けてきました。

そして最近、思うのです。
若者が将来に希望を持てず、
また、「いじめ」が頻発する原因には、
学校が教える日本人の自虐史観に一因があるのではないか、と。

先祖の功績を学び、子供たちに生きるための誇りと、
未来を築く希望を持たせるのが教育です。

決して他国の人々や反日日本人に言われるがまま、
自分たちの先祖がいかに残虐非道であったかを子供たちに教え、
かの国に頭を下げ続けることを教えるのが教育ではありません。

「おまえは、だめなやつだ」
と言われて育った子供の心がすさんでいるように、
自虐史観でもって、自分たちを貶める教育を受けた者に、
他人を思いやる心が育つはずもありません。

それは、かの国の人々や反日日本人の言う、
「歴史の歪曲」ではありません。

ひとつの事象に対する歴史観には、
必ず「あちら側の視点」と「こちら側の視点」の二面性があります。
相手の言いなりのまま、「あちら側の視点」だけを教えることこそ、
「歴史の歪曲」に他ならないのです。

それを教えられない社会科教師の存在を無念に思います。