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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

我が子を万引き犯に育てる方法

2012-07-08 23:18:32 | 子育て
スーパーなどで見かける幼児連れの親子。

子供がむずがるからと、未清算のお菓子を持たせて買い物し、
レジでは「これも一緒です」といって、シールを貼ってもらう姿を見かけます。

ちゃんとお金を払うのだから、万引きではありません。
しかし、貨幣の仕組みを理解していない子供に、
お金を払う前から商品を持たせることはいかがなものでしょうか?

子供にとっては、
親から手渡されたその瞬間から、商品は自分のものです。
貨幣というものを理解していないのですから、
「お金を支払うまではお店のものであって、自分のものではない」
などという認識は、子供にはありません。

物心つく前からそうやって買い物をしていると、
子供は、「自分の物と店の物のけじめ(線引き)」があいまいなまま、
成長してしまいます。

むずがるからといって、
子供に未清算の商品を持たせて静かにさせる育児は間違っています。

子供には、物心つく前から、
「店の商品は自分のものではない」、ということと、
「自分のものにするためには、決まったルールがある」
ということを教えることがとても大事なのです。

万引きをしても、「お金を払えばいいんでしょ」という子供は、
その大切なプロセスが、親からしつけられていないのではないでしょうか。

わが家では、子供が泣こうがわめこうが、
未清算の商品はカゴに入れたまま、決して子供に持たせませんでした。
それは、私自身が親から教えられたことでもあります。

子供は利口です。
きちんと説明すれば、すぐに買い物の仕組みくらい理解するものです。

ところでひどいケースになると、
子供が未清算のまま食べることを許している親がいます。

これは「あとでお金を払えばいい」という問題ではありません。
親に罪の意識はないでしょうが、れっきとした不法行為です。
レジでの支払いは商品の「購入」ではなく、「弁償」にあたります。


これは道徳なのか?

2012-03-12 23:17:27 | 子育て
東日本大震災で、町民に防災無線で避難を呼びかけ続け、
津波の犠牲となって亡くなった南三陸町職員の女性のことが、
埼玉県の公立学校の道徳の授業で教材として使われるそうです。

県は彼女の行動をとおして、
子供たちに責任感や思いやりの大切さを学んでほしいとしています。

この報道に対しては、
すでにネットで「悲劇を美談にすべきではない」とか、
「町の対応を議論すべき」など、多くの批判が出ているようですが、
それでも彼女の行動によって多くの命が救われたことは、
やはり語り継がれるべき崇高な行動であったと思います。

しかし、そのうえで、
それが「果たして道徳の授業で使うにふさわしい話か」
という点から見れば、はなはだ疑問であると言わざるをえません。

特異な状況下で、常人には真似できないような、
彼女の超人的な行動を子供たちに示すことにどんな意味があるのでしょう。

「すごいね」「偉いね」「立派だね」で終わっては意味がありません。
それとも、子供たちにも彼女と同じような自己犠牲の精神を求めるのでしょうか。

自分や日常生活からかけ離れた人々や出来事を紹介しても、
子供たちの心に道徳心が育つとはとても思えません。
感心させたり、感動させたりすることが道徳教育ではありません。

「道徳心」は、日常の「気づき」によってしか身につかないものです。
そして「気づき」は自分たちと等身大の、身近な出来事からしか生まれません。
道徳の授業で題材にすべきは、日常生活で子供たちが体験するような、
もっと子供たちに親近感のある話題です。

親は子供を育てるとき、子供が本当に理解できるよう、
できるだけ簡単に、わかりやすい例え話で言って聞かせようとします。
道徳もそれと同じことではないでしょうか。

ワイドショー・大衆週刊誌的な発想の埼玉県の教育センスをきわめて残念に思います。


呼び方が変わっても本質は変わらず!

2012-02-11 22:34:40 | 子育て
最近は「できちゃった婚(デキ婚)」を
「授かり婚」とか、「ダブルハッピー婚」とか言うようですが、
これは 「順番が違っても、恥ずかしがらずに派手に結婚式を挙げましょう」という、
ブライダル業界の商業戦略にすぎません。

また、最近の芸能界には「デキ婚」が多いことから、
世間では一般的で、あたりまえのようになったと考えることも早計です。

芸能人に「デキ婚」が多いのは、人気商売という特殊な職業性ゆえです。
若手の芸能人は「交際」や「結婚」の発覚が人気の凋落につながりかねませんから、
結婚の意思があっても、自分たちの一存だけでは公表できないという事情があります。
それゆえ、「妊娠」という隠しようのない事実が生ずるギリギリまで結婚を公表しないし、
「妊娠」がなければ結婚する前に破局することが多いため、
デキ婚が多く見えるだけです。

そんな特殊な事情の芸能人を引き合いに出し、
「タレントの〇〇と一緒」などと言うのは滑稽というものです。

どんなに時代や言い方が変わろうとも、
「予定していなかった(望んでいなかった)妊娠」が、
「無計画」「快楽・欲望的行為」「性知識の欠如」「SEX(避妊)にルーズ」といった、
マイナス的なイメージからまぬがれることはできません。

親がわが子の恋愛に対し、その順序にこだわるのは、
世間体というよりもむしろ、自分の子供にはそんなふうに育ってほしくないし、
子供の結婚相手にも、そんな人間であってほしくないと願うからです。

自分の将来に対して計画性(ビジョン)があり、
情欲に流されず理性的で、性についてもきちんとしている人間であること。
そうであることが、わが子と生まれてくる子(自分の孫)にとって、
より幸福な人生を歩めると思うからです。

先日、会社の後輩が突然、結婚を報告してきました。
それまで何の前触れもなかったので、なれそめを聞くと、
「実は子供がデキちゃいまして・・・」と頭をかきます。

「子供ができなければ、まだ結婚する気はなかった」という彼の言葉に、
「やっぱりそれがデキ婚の本音なんだろうなあ」と思いつつ、
彼らの両親の気持ちに想いを馳せてしまう自分がいたのでした。


気味が悪い子供へのインタビュー

2012-02-05 14:07:40 | 子育て
受験シーズンに入り、テレビニュースなどでは、
いわゆる名門校・有名校の受験の様子が報道されています。

そんな児童や生徒、ときには学生などに対し、
「最近の政治や消費税増税についてどう思うか」、
といったインタビューをしている報道番組をいくつか見かけました。

番組制作者の恣意的な意図を感じないわけではありませんが、
放映される子供たちの回答は、みな判で押したように同じです。

「将来、ぼくたちの負担が大きくなるので、消費税は上げるべきだと思います」
「政局や自分たちのことばかり考えないで、国民のことを考えて政治をしてほしいです」

そして、これを受けたナレーションやコメンテーターの発言もまた、
判で押したように似たり寄ったりです。

「たのもしいですねえ」「将来が楽しみですねえ」

こんな報道をみていると、
バカバカしいというよりも、気味が悪くなります。

子供たちは、学校でみなそう教えられるのでしょうか。
それとも、マスコミの偏った報道しか見ていないのでしょうか。

彼らがテレビカメラの前で、
堂々と胸を張って、歯切れよくそう答える姿を見ていると、
大人受けし、ほめられそうな答えを探しているだけで、
とても自分の頭で考えているとは思えないのです。

学校時代に身につけるべき大切なことは、
多様な価値観と物事を多面的に考え、判断する思考力です。
回答(目的)は同じでも、解き方・考え方はいくつもあります。

もし、意図的に誘導された学校教育や世論で、
子供たちがこのような紋切り型の回答しかできなくなっているとすれば、
そこには戦前・戦中の思想教育に通じるものがあります。

放映されたインタビューの陰には、
「増税よりも景気回復が先」
「歳出削減を先にして税率を決めるべき」
「増税すべきだが、生きるために必要な食品は非課税にすべき」、などといった、
多くのさまざまな回答があることを願わずにはいられません。


選択科目は世界史

2011-12-23 22:28:17 | 子育て
「過去には戻れない。未来は知ることができない」
高名と言われるお坊さんが、あるテレビ番組でそう言っていました。
「だから今を一生懸命、大切に生きなさい」 ということのようです。

「過去は変えられないが、未来は変えることができる」
そんな言葉もよく耳にします。

いずれにせよ、過去にとらわれていたり、
昔を懐かしんでいたりしてはいけないということのようです。

それでは人生において、人が過去を振り返ったり、
歴史を学んだりすることは、意味のないことなのでしょうか。

私は、そうではないと思います。
過去は、そこに学び、未来に活かすためにあります。

2000年以上も昔、古代ギリシャや古代ローマの人々が、
現代に通じる民主政治や共和政治の礎を築きながらも滅びていったのは、
それ以前に学ぶべき歴史の蓄積がなかったことも一因ではないでしょうか。

人の命には限りがあり、
記憶は子々孫々に受け継がれるものではない以上、
人は歴史に学ばなければ、同じ過ちを繰り返します。

いま、人間には数千年にわたる歴史の蓄積があります。
それを共有するだけの智恵もあります。

チャーチルも言っています。
「過去をより遠くまで振り返ることができれば、
 未来もより遠くまで見わたせるだろう」 と。

歴史に学び、歴史を活かさない国家は発展しません。
歴史に学ぶことをおろそかにする国家は滅んでゆきます。

歴史教育といえば、戦争責任の部分だけが議論の的になり、
未来へ活かすための歴史教育をおざなりにする日本の教育の現状には、
強い危機感を感じるのです。

いまの日本の外交ベタが、如実にそれを表しています。