率直に書きます。
「〇〇君のお父さんの仕事は、人殺しの練習をすることです」
教室で児童に向かってそう言い放った日教組の教員がいたそうです。
「憲法に違反している団体だから、自衛隊が配る水はもらってはいけません」
阪神・淡路大震災では、そう指示した左派の教師がいたと言います。
しかし、東日本大震災では、
救援活動をする自衛隊に対し、そんな言葉を放つ人間は皆無でした。
そんなことを口にすれば、たちまち袋叩きにあいそうなほど、
東日本大震災の被害は想像を絶する凄惨なものでした。
「日本に自衛隊がいてよかった」 桜林美佐 著 / 産経新聞出版 刊
どんなに批判されようが、賞賛されようが、自衛隊は自らを語りません。
彼らは「行け」と言われたところに行き、「やれ」と言われたことをやるだけです。
なぜなら、それが軍隊であり、そうでなければミッションを完遂することはできないからです。
しかし、その中にいるひとり一人は、私たちよりも厳しく鍛えられているとはいえ、
心と感情をもった同じ人間です。
この本は、そんな黙して語らぬ自衛隊に代わり、
東日本大震災に立ち向かった隊員の姿を描いたノンフィクションです。
私たちは、災害が起きるたびに派遣される自衛隊の活躍を見て、
「銃火器類はもっと減らして、災害復旧・救助に特化すればいいのではないか」
という論調になりがちです。
また、それを裏づけるように、
一般国民へのアンケートでは、自衛隊に最も期待することとして、
「災害時の復旧・救助活動」 が50%以上を占めているといいます。
しかし、勘違いしてはいけないのは、
自衛隊は災害復旧・救助活動の訓練をしているから
災害で活躍できるわけではありません。
自衛隊員は「戦争」という極限状態を想定して訓練しているからこそ、
どんなに過酷な状況であっても、
警察官や消防隊員には真似できない活動ができるということです。
災害復興・救助活動では「敵の弾」は飛んできません。
だから「死ぬかもしれない訓練」を繰り返している自衛隊員は、
ある意味「余力」をもって救助活動にあたることができるのです。
また、自衛隊は戦場を想定し、衣食住のすべてを自分で賄う自己完結組織です。
だからどんな荒廃した被災地であっても、乗り込んでいって活動ができるのです。
したがって、今回のような未曾有の災害時に、
警察官や消防隊員では不可能な復旧・救援活動を期待するのであれば、
「軍隊」としての自衛隊の存在も認める必要があります。
換言すれば、冒頭に紹介した心無い教師たちの発言は、
災害復旧・救助隊としての自衛隊の存在をも否定する、浅薄な考えに過ぎません。
この本からは、日本を、そして人の命を守り、
救おうとする自衛隊員ひとりひとりの想いがひしひしと伝わってきます。
そんな自衛隊に、冒頭の心無い教師たちも守られていると思うと、
腹立たしさすら覚えます。
「自衛隊が感謝されるのは、国民が不幸なときだ。決しておごるなよ」
多くの人に期待され、士気の高まる部下に向かって、指揮官が戒めます。
なんと腹の底に響く言葉でしょう。
国民の命を守るために自衛隊があります。
そして、彼らはそのことをよく自覚しています。
決して命令だったという理由だけで、あのような過酷な状況下で、
被災者の救出や遺体捜索が遂行できたわけではないことがわかります。
一万数千人もの同胞の命が失われた「戦場」を目の当たりにた自衛隊は、
きっとこれまでよりも、ひとまわりもふたまわりも強くなったでしょう。
自衛隊が発足して半世紀以上がたちます。
その間、今日に至るまで自衛隊は戦闘で人の命を奪ったことはありません。
その間、今日に至るまで自衛隊に救われた同胞の命は数知れません。
やはり、「日本に自衛隊がいてよかった」のです。