くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

英語を学ぶよりも大切なもの

2012-06-18 23:58:09 | 書籍の紹介
「よくぞ言ってくれた」
この本を読んで、そう思う人は多いのではないでしょうか。

 
「日本人の9割に英語はいらない」 成毛 眞 著 / 祥伝社 刊

この本の著者は、マイクロソフト株式会社の元社長。
教育行政にたずさわる役人や政治家、教育学者などではないところがミソです。

楽天やユニクロが社内の公用語を英語にしたり、
小学校では英語の授業が必修となったりと、世の中の「英語狂想曲」は加熱するばかり。
しかし、著者は自らの経験と独自の試算で、日本人で英語が必要とされるのは、
ほんの1割の人に過ぎないと言い切ります。

「英語が話せるからと言って、仕事ができるわけではない」
「英語が話せても、日本の文化や歴史など何も知らないバカは多い」
「英語は学問ではない。英語よりも学ぶべきことは他にたくさんある」

そして著者は、日本に会社があるのに、
社員全員に英語を強制するのは、経営にとってはマイナス。
本来の業務に邁進しなければならない社員が、
単なる仕事の道具にすぎない英語に汲々としていたのでは、
これらの会社の先は見えている、とまで喝破します。

「英語を社内の公用語にする」と宣言し、
社員食堂のメニューまでもが英語になった某会社では、
英語で会議資料を作成しなければならないため、
従来よりも資料作りに時間がかかるようになったといいます。
(つまり本来の業務に割かれる時間が減った、あるいは長時間労働になり、
 社員は次第に疲弊していくということです)

ところで私にも、会社に入ってから英語漬けになった経験があります。
まだ景気の良かった頃ですが、同期入社の全員が研修所に集められ、
始業時間から終業時間まで、3ヶ月間にわたって英語だけを学習するのです。
講師はもちろんネイティブ、就業時間中の日本語は一切禁止でした。

すると、1~2週間で電車の中や街角での話し声が英語に聞こえ始め、
1ヶ月くらいたつと、英語の夢を見るようになります。
妻の話によれば、その頃の私は英語で寝言を言っていたそうです。

しかし、英語研修が終わり、
英語とはまったく無縁の部署に配属され、
今日まで英語を必要としない業務を続けてきたいまでは、
英語なんぞきれいさっぱり忘れ、すっかりヘレン・ケラー状態です。

その後、若手社員の全員に英語を学ばせることは、
費用がかかる割にはメリットが小さいということを悟った会社は、
海外転勤者や海外事業部勤務者など、
英語が必要な社員にだけ、英語研修を行うことにしたのでした。

まさにこの本で書かれていることそのものです。

とは言え、現実には学校受験や就職試験では、
「英語の試験結果」が明暗を分けているのも紛れもない事実です。

親も役人も政治家も、みんな学生の頃に英語で苦労したため、
子供たちには英語を早くから学ばせようとします。

しかし、日本人にとってもっとも大切なのは、
一刻も早く「英語コンプレックス」から脱却し、
フランスのように母国語に誇りと自信をもつことではないでしょうか。



「レンズが撮らえた幕末明治の女たち」

2012-04-21 11:41:00 | 書籍の紹介
昨年二月に103歳で亡くなった私の祖母が、
生前、大事にしていた一枚の写真を見せてくれたことがあります。

それは、祖母が若い頃に写真館で撮影した、
自分自身のポートレート写真でした。

祖母は明治40年(1907年)生れでしたから、
おそらくは大正の終わりか昭和の始め頃に撮られたものでしょう。
そこには、しわくちゃになった祖母からは想像もできないほど、
若くて美しい日本髪姿の女性が写っていました。

亡くなったいまとなっては、撮影した目的はわかりません。
田舎の一般庶民が、気軽に写真を撮れるような時代ではありませんから、
たぶん、お見合い用か何かの写真として撮ったものだろうと推察するのみです。

この本を読んで(というか観て)、ふとそんなことを思い出しました。

 小沢健志 監修 / 山川出版社 刊 

古写真を観るのが好きです。
古写真からは、その時代の空気を感じることができます。
また、写真には写りこんでいないフレームの外の風景を想像したり、
写っている人物の表情などから、その人の「人となり」を思い浮かべ、
どのような生涯を送ったのだろうと、あれこれと無責任な空想をめぐらすのが楽しいのです。
時には、現代のアイドルやモデルなどでも通用するような、
かわいらしい少女や美しい女性が写っていて、目が釘付けになることもあります。

この本は、幕末から明治にかけて生きた女性たちを紹介した、
女性のポートレートだけを集めた写真です。
出版は歴史好きなら誰もが知っている、教科書でおなじみの山川出版社。

この幕末・明治の「女性だけ」に絞った古写真の「切り口」は、
これまでにもありそうでなかったのではないでしょうか。
「さすが歴史の山川出版社」と思いました。

誰でも気軽に写真を撮る時代ではありませんから、
掲載されている写真の多くは、皇族や華族を始め、
当時話題になった人物や花柳界の女性が中心となっています。

驚いたのは、すでに明治40年には、
全国美人写真コンクールが開催されていたことです。
新聞社によって開催されたこのコンクールには、
全国から7000枚もの応募写真が集まったとあり、
その多くは、経済的にゆとりのある良家の令嬢だったといいます。

一等は当時16歳だった小倉市長の四女。
写真に造詣の深かった義兄が本人に無断で応募し、
学習院の女学生だった彼女は一等に選ばれると、
「公然と容姿の優劣を競うのは、良妻賢母の教育方針に添わないはしたない行為」
として、退学になってしまったといいます。

本書には一等から十二等までと、
主な都道府県の代表に選ばれた女性の写真が掲載されており、
現在、それらの写真は国立国会図書館に収蔵されているそうです。
本人たちも、まさか自分の写真が100年後に国の図書館に収められ、
書籍として出版されるなど夢にも思わなかったことでしょう。

また、本書には二点だけ「笑う女性」の写真が収められています。
幕末から明治にかけての「笑顔」の人物写真はとても貴重なものです。

当時は露光に時間がかかったことや
「人前で歯を見せる」ことが品のないこととされていたこともあり、
男も女も、誰もみな「すまし顔」でしか写っていません。
私が記憶している限りでは、笑顔の写真を残しているのは、
中岡慎太郎と本書の女性くらいではないかと思います。

「笑顔」には、人をひきつける力があります。

名も残っておらず、決して美人というわけではありませんが、
屈託なく笑うその女性も、やはりとても魅力的に見えるのです。



「贖罪」~人は刑罰で更生するか

2012-02-20 23:56:26 | 書籍の紹介
言って聞かせてわかる者もいれば、わからない者もいます。
厳しく接しなければ自堕落になる者もいれば、ほめて励ましたほうがやる気を出す者もいます。
結局のところ大切なのは、自発性と自律性を引き出すことにあるけれど、
そのための方法に、万人に共通の王道はありません。

乱暴な例え方かもしれませんが、
犯罪者を矯正・更生させるのは、子供を育てることと同じです。
ひとりひとりに合わせた方法を見つけ、実践していくしかありません。
誰にでも当てはまるような正解などない。

そう思わざるをえない本でした。

 贖罪」 読売新聞社会部 著 / 中央公論社 刊

多くの受刑者が、刑務所では真面目に刑に服し、
被害者や遺族への償いを続けても、出所するとやがてやめてしまいます。
「人が人を裁くことの難しさ」 なんて言葉は裁く側の言い訳にすぎません。
「人だからこそ、反省して悔い改め続けることが難しい」 のです。

何の非もない命を身勝手な欲望で奪った罪。
永遠に戻らない命に対してできる償いとはなんでしょう。

以下、本書の目次です

第1章 量刑の真実
     (人間にしかできない作業;東名高速二児焼死事件の遺族と加害者の一〇年;
     連合赤軍事件とリンチ殺人犯の更生;介護殺人と執行猶予後の自殺;
     夫を殺した罪を償う;実刑志願した薬物依存者;経済事件での量刑;
     性犯罪再犯者に科す刑罰のむなしさ;裁判員の決断と裁判長の約束)
第2章 矯正の現場
     (徳島刑務所暴動事件;妻子を奪われたマブチモーター社長の訴え;
     極寒の刑務所で向きあった無期囚と刑務官;元労相が味わった屈辱;
     服役十二回でも反省は遠く;交通刑務所の開放的処遇;
     暴力に頼った少年院;被害者の苦しみと向き合う;刑務所に通う受刑者の母たち;
     所内放送に込めた僧侶の思い)
第3章 更生への険しい道
     (女子高生を殺した無期懲役囚の出所;続かなかった遺族への償い;
     経歴隠し孤独な日々;再犯防止プログラムとその限界;
     わいせつ繰り返す加害者と支えきれぬ家族;五千万円恐喝事件の元少年の明暗;
     満期出所から一週間後の強盗殺人;自立更生促進センターと住民の困惑;
     出所者を雇う社長たち)
第4章 明日の課題
     (無期懲役の終身刑化;放置される満期出所者;就労支援の様々な試み;
     ノルウェーの緩やかな刑罰;性犯罪者情報を公開する米国;
     英国が作った連携機関マッパ;処罰より治療目指す米国の薬物法廷;
     科学の力で再犯防止;加害者と対話する被害者の願い;
     刑罰は犯罪者を変えられるか)

蛇足ですが、一応、法学部出身の刑法専攻だったんです。


「デスマスク」

2012-02-18 18:06:31 | 書籍の紹介
デスマスク ― それは「人の死顔を石膏や蝋で写し取った像」のことです。

子供のころ、何かの本で見たデスマスクは、「死」とは無縁の幼心には衝撃的でした。
そして、それが決して特異なものではなく、世界には多くの著名人のデスマスクがあると知り、
「こんなものを誰が、いつ頃から、何のために作るようになったのだろうか」
という疑問を持つようになりました。

 「デスマスク」 岡田温司 著 / 岩波書店 刊

本書を読むまでは、数多くの歴史的著名人のデスマスクが作られたのは、
一部の熱狂的な支持者たちによる、一種の偏執的な偶像崇拝ではないかと思っていました。
しかし、それはデスマスクに対する、ほんの一面的な見方でしかありませんでした。

そこには、古代ローマ時代まで遡る長い歴史と、
その時代々々によって異なるさまざまな意味と役割があったのです。

本書では、古代ローマから中世ヨーロッパ、近代へと時代が移り変わる中で、
デスマスクが果たした役割を数々の図版とともに概観しています。
ともすれば興味本位で好事家的に扱われかねない題材を、
決してオカルト的、怪奇趣味的ではなく、かといって学術的・専門家向けにでもなく、
一般教養的なレベルでまとめているあたりは、
さすが岩波書店らしいといえる一冊でした。

以下、本書の概要です。

□デスマスクの起源
 デスマスクの源流は、人類創生のときからありました。
 死者の頭蓋を崇拝したり、仮面をつけて葬送する風習は考古学的にも、
 人類学的にも、地球上のあらゆる地域でみられます。

□古代ローマ時代
 先祖の蝋人形「イマギネス」が作られ、屋敷に飾られていました。
 これは死んだ本人の鋳型から作られたもので、先祖崇拝に関係しているだけでなく、
 一族が受け継いできた名誉と威光を示す役割がありました。

□中世ヨーロッパ 
 イギリスやフランスでは王のデスマスクをもとに、生前さながらの蝋人形が作られました。
 これは腐敗してしまう遺体にとってかわり、後継者が正式に戴冠するまで、
 生前と同じように扱われ、王が死してもなお、王としての権威を維持し、
 王権は不滅であることを演出するために用いられました。

 また、遠い戦地や遠征地で命を落とすことの多かった中世では、
 長旅による遺体の腐敗を避けるため、王や貴族、騎士たちに対してデスマスクがとられ、
 遺体は現代では考えられないような方法で「処理」されることも普通だったようです。
 このあたりは現代人、とりわけ日本人との死生観とに大きな隔たりを感じます。 

□ルネサンス期のイタリア
 デスマスクやライフマスクから胸像や全身像を鋳造したり、
 肖像彫刻を作ったりして飾ることが流行しました。
 鋳型をとる技術は格段に進歩しましたが、それらの塑像や鋳型像は、
 「彫刻の真骨頂は石塊から理想の形を彫りだす技にある」
 とするミケランジェロなどによって低く評価されるようになり、
 やがて衰退しました。

□フランス革命のころ
 入浴中に暗殺された政治家マラーのデスマスクをもとに蝋人形がつくられ、
 暗殺現場が再現されて一般に公開されたり、
 断頭台に消えたルイ16世や王妃アントワネットの首から蝋人形が作られるなど、
 デスマスクは政治的に利用されました。
 これらの製作を手がけたのが、いまも蝋人形館で有名なマリー・タッソーでした。
 彼女の自伝「フランス革命の思い出と回想」によって伝わる
 彼女の生い立ちや仕事ぶりにはとても興味深いものがあります。

□近代(18~19世紀)
 デスマスクは天才や英雄崇拝と結びつき、再び大流行します。 
 それまでは王や権力者だけだった対象が、政治家や科学者、文学者、芸術家といった、
 幅広い人々にまで広がり、葬送儀礼や彫刻制作の補助手段だったデスマスクが、
 美術作品のような「自律的存在」となりました。
 
 また、さらにデスマスクはそのモデルの能力や性格、
 果ては犯罪性や遺伝性、民族性を読み解く上ですぐれた徴候を備えたものとみなされ、
 「読まれ」「解釈される」対象ともなっていきました。
 処刑された犯罪者のデスマスクから、犯罪者の徴候を特定しようと試みられたり、
 身元不明の死亡者の身元情報を得るために用いられることもあったようです。

 写真がなかった時代、
 絵画に代わるもっとも写実的で実用的な手段として用いられたともいえます。

 本書では、エリザベス女王やアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス、
 クロムウェル、ロベスピエールといった、
 学生時代に世界史を学んだ者にはなじみのある人物や、
 ミケランジェロ、パスカル、ナポレオン、ベートーベン、ユゴーといった
 誰もが知っている著名人のデスマスクや、
 それをもとに作られた彫像の図版が数多く紹介されています。


「遺体-震災、津波の果てに」

2011-12-29 23:27:00 | 書籍の紹介
二万人近い死者と行方不明者を出した東日本大震災。

津波に破壊された街の状況は繰り返し報道されましたが、
そこで亡くなった人々については、日々、数字が伝えられるだけでした。

しかし、映像や写真にうつっていないからといって、
犠牲となった人々は、どこかに消えてしまったわけではありません。
日々伝えられる行方不明者の数が減り、死者の数が増えていったことからもわかるように、
被災地では、多くの人々が「遺体」と正面から向き合っていました。

この本は、千人以上の死者を出した釜石を舞台に、
被災地で遺体を捜索し、安置所へ運び、身元確認の記録をとり、
葬送するために奔走した人々の姿を伝える、壮絶なるも貴重なルポルタージュです。

 「遺体」 石井光太 著 / 新潮社 刊

まず最初に、「瓦礫だけの映像や写真」からでは、
決して知ることのできない街の壮絶な惨状に圧倒されます。

建物の壁を突き破り、内部に突っ込んだ車の中から見つかる遺体。
窓ガラスを破って半身だけ出ている遺体や、電信柱にしがみついたままの遺体。
お年寄りもいれば、幼い子供や妊婦、働きざかりの男性など、
街のいたるところで、いろいろな人がさまざまな状態で見つかります。
それらをひとりひとり回収し、丁寧に遺体安置所へ運ぶ自治体職員や消防団員たち。
そのなかには、友人や顔見知りの遺体もあります。

二万人近い人々が同時に命を失うということが、どういうことか思い知らされます。

そして、遺体安置所に指定された市の施設をたちまち埋め尽くす遺体。
遺体はどれも泥や砂にまみれ、みな苦悶の表情のまま事切れています。
そんな遺体の歯型を一体ずつ記録する歯科医師、DNAサンプルを採取する鑑識官。

腐敗という自然現象を前に、遺体の捜索と身元確認は時間との闘いです。

遺族との対面を果たしても、
犠牲者の数が膨大すぎて葬義どころか、火葬もままなりません。
そんな遺族の心情を気遣いながら、県外での火葬に奔走する葬義会社の社員や、
遺体安置所をまわり、簡単な祭壇を設けて読経する住職。

失われた街の残骸が、
どのように処理されているかは報道で知ることができますが、
想像を絶する数の遺体に、人々がどのように向きあったかは、
テレビや新聞などでは、報道されることはありませんでした。

しかし、遺体の取り扱いの問題は、
多くの犠牲者が出る大災害や大事故では、決して避けて通ることはできませんし、
いつ起きてもおかしくないと言われる東海地震や首都直下地震などを思えば、
決して他人事ではありません。

非被災地にいる私たちは、
失われた街やその残骸の山に目を奪われがちですが、
瓦礫の撤去や街の復興の前に、
もっと大変で重要なことがあることを認識しなければなりません。

テレビや新聞、雑誌で報道されることが、被災地のすべてではない。
むしろ、「報道されないこと」「報道できないこと」の中に重要なことがある。
そのことをあらためて強く感じさせられました。

ところでこの本を読む前は、震災からまだ一年も経っていないのに、
このようなショッキングなタイトルの本を出版して大丈夫なのかと疑問でした。

大災害や大事故のルポルタージュは、
ともすれば奇異な状況の描写に力点を置いて読者の気をひいたり、
感動エピソードを集めて読者の涙を誘おうとしがちです。

しかし、本書にはそのような「いやらしさ」は感じられませんでした。

本書に登場する人々は、想像を絶するような惨状のなかにあっても、
誰もがみな使命感を持ち、遺体に対して敬意と思いやりをもって接しています。
読んでいて、そんな人々の心の温かさが感じられるのは大きな救いであり、
それは、著者の優れた筆力の賜物だと思います。