大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

労働者自主福祉運動のすすめ(22)

2015年12月03日 | 労働者福祉

全国的に例を見ない「労使のジョイント」事業が「年金福祉協会」と「財形事業協会」です。
この設立に向けた先人たちの苦労や努力を私たちは見習わなければなりません。

厚生年金保険に加入している被保険者に対して年金積立金の一部を住宅融資として還元する制度が1971年に発足しました。
しかし中小企業に働く労働者の利用は極めて少なく、制度を有効に利用できていませんでした。
そこで労金は県下労働者を対象として年金転貸を行う機関の設立を考え、県労福協とともに静岡県に申し入れました。
同様に県保険協会や県中小企業団体中央会も設立の意向を明らかにしておりましたので、当初静岡県は労働側と保険協会側の2つの法人を設立しようと考えたようです。
これに対し厚生省は1県1法人の方針は崩すことができないとしたので、県内一本化の話し合いが進められましたが、保険協会は県の意向を無視して一方的に社団法人を設立しようと企図したので混乱して話し合いはまとまりませんでした。
そこで県の仲介で三者代表者会議が持たれ、1979年3月ようやく「財団法人静岡県年金福祉協会」が設立されます。

もうひとつのジョイント事業が「財団法人静岡県財形事業協会」です。
1970年代は、第1次オイルショック・第2次オイルショックと不況の長期化に見舞われます。
企業内労働者福祉は次第に縮小し、国の制度のなかに肩代わりをさせていきます。
持ち家制度や社内預金制度も廃止され、財形制度への移行が進みました。
しかしこの財形制度で集積された数兆円に及ぶ資金も、労働者が住宅資金の融資を受けたくても事業主が責任を持って従業員に転貸融資をする仕組みなので、中小企業労働者には事実上その融資の道は閉ざされていました。
そこで事業主に代わり転貸業務を取り扱う公益法人を設立しようという提案を、1979年県労福協総会で決議します。
そして労金総会でも同様の決定を行い5千万円が基金として拠出されることとなります。
事業の性格上、事業主代表として県中小企業団体中央会に働きかけ、共同して県に申し入れを行いました。
労働省に陳情して県選出の栗原労働大臣から協力の約束も取り付けますが、なかなか認可は降りません。
県・労働省・労働基準局などとの折衝を粘り強く進め、1983年1月ようやく認可され「財団法人静岡県財形事業協会」が設立されます。
しかも県下での取り扱い金融機関は労働金庫一行とすることも認められたのです。

その後、このふたつの協会の存在が労働金庫の発展に寄与したことはいうまでもありません。
現在はその役割をほぼ終えて粛々と整理段階に入っています。