大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

寄付文化

2014年03月31日 | 労働者福祉
社会にはいつの世も誰かに支えられて生きる弱者の存在があります。
それは明日の私かもしれませんし、明日のあなたかもしれません。
日本の福祉は大昔は家族や地域が担い、近代は行政や企業がその多くを担ってきました。
しかし経済不況を迎えると多くの企業は従業員福祉を切り捨て、行政は財政難から福祉の後退や足踏み状態に陥りました。
その足らざるを補うためにたくさんのボランティア団体やNPOが立ち上がりましたが、どこも資金難で苦しんでいるというのが今の実情です。
本日の日経新聞「経済教室」でもNPOなどの活動資金の確保が課題であることが取り上げられています。
いっぽう中日新聞には匿名の浜松市民が施設の子どもたちにと、1000万円の寄付を申し出て、その資金を元手に市が学習支援事業をスタートさせるという明るい記事もありました。

しかし残念ながら志を持つ少数の企業や有志の方々からの善意で細々と成り立っているというのが日本の実態です。
それと比べ、欧米のボランティア団体の存在感には圧倒的なものがあります。
その違いはどこにあるのかを調べていくと、キリスト教を中心とした宗教観に行き当ります。

物欲を上回る思考回路がキリスト教にはあります。
アメリカでよく耳にする“スピリチュアル”という言葉は精神と訳されますが、物質と“精神”の関係に欧米の強さがあるように思えます。
キリスト教で最も大事なものは“God”(神)です。
神こそが絶対の存在です。
神に価値があるから、神に従わなければなりません。
愛や契約を重んじるのも、そうしなさいと神が命令しているからです。

神は隣人を愛せよと命令するから、ビジネスも自分の利益のためではなく、他者の幸福のためにやるという考えが基本にあります。
正直であれ、というのも神のルールです。
目方をごまかさない、公平にサービスする、約束を守る、時間を守る、などなどビジネスを宗教活動の精神で行うことを命令されています。

結果的に利益が上がったらどうするか。
必要なものは使うとしても、それを超えた分を貯蓄に回し、貯蓄は投資に回り、投資はビジネスの拡大につながります。
富が大事だから貯蓄するのではなく、富は大事ではないと考えて貯蓄をします。
富は隣人の幸せに役立つのでなければ意味がないと考えます。
だから高額所得者はその利益を教会や慈善事業に寄付をします。
ちょっとえげつない金儲けの亡者でも、贖罪の意味を込めて高額の寄付をします。
日本と違い「高額寄付者ランキング」も公表されますし、個人寄付の総額は22兆円にも上ります。
税制の問題も大きいと思いますが、それだけではありません。
統計によればアメリカの上位20%(年収1千万以上)の平均寄付は収入の1.3%であるのに対し、下位20%(年収200万以下)の平均寄付は3.2%だといいます。
立派なものですね。

日本はどうでしょうか?
ついぞ「高額寄付者ランキング」などは見たこともありませんし、浜松のような美談も近場ではあまり聞きません。
日本は無宗教の国ですが、恥を重んじる国、徳を大切にする国であったはずです。
私の菩提寺は曹洞宗ですが、私は無宗教(?)で私のスピリチユアルは「金剛禅」で、その教えは「半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを」です。
私ももうそろそろ、もう少し多く他人の幸せにウェイトかけたほうがいいのかもしれません…反省反省。