Life~ ここから始まる未来へ  ~新たな夢に向かって~

日々の生活で感じたことや思ったこと気づいたことを書いていきたいと思います☆

方向・選択・生きる

2015-08-16 06:58:53 | 

私が、十数年の間飲んできた薬。飲む予定だった薬。

抗うつ薬・・・「ルボックス」(SSRI)「トレドミン」(SNRI)「ルジオミール」(四環系抗うつ薬)

 

精神安定剤・・・「デパス」「ヒルナミン」「ソラナックス」「ホリゾン」「リーゼ」

 

睡眠導入剤・・・「サイレース」「ベンザリン」「ハルシオン」「マイスリー」「アモバン」「ロフピノール」「レンドルミン」

*睡眠改善薬・・・「ドリエル」「グッスミン」

 

 気分安定剤・・・「バレリン」

 

 

胃薬・・・「タガメット」「イサロン」「ガスター10」「パンシロン」「マーロックス」「セルベックス」「セレキノン」

*その他市販薬の胃薬を高校生の時位から飲み続けていた。

 

 

下剤・・・「プルセニド」

*精神科に入院時と退院して少しの間飲んでいた。

 

下痢止め・・・「タンナルビン」

 

 頭痛薬・・・「バファリン」「ロキソニン」など

 

抗酒薬・・・病気の初期に飲むはずだったが、お酒への依存が酷かったので、逆効果になってしまうので飲まなかった。

 

 

 

末梢神経・・・「メコバマイド」

        *ステロイド(神経ブロック注射)

 

β遮断薬・・・手の震えや体の震え、血圧の関係があったので、選択しようと思ったが飲まなかった。

 

 

漢方薬・・・ 「疎経活血湯エキス顆粒」(ソケイカッケツトウエキスカリュウ)

 

その他・・・かぜ薬」「花粉症の薬」など

 

お薬漬けの人生でした。最近、全くと言っていいほど薬を飲まなくなってしまったというか、薬にご縁が無くなってしまいまし

た。

 

「内科」「外科」「整形外科」「神経内科」「精神科」「脳外科」「循環器内科」

 

こんな感じで渡り歩いてきました。

 

 

 

 

 

 

 

10代~20代で、薬漬けだったり、病院を渡り歩いたりあまり良くないことだと私は思います。30代で何とか修正できたし、薬

の依存からなんとか抜け出すことが出来ました。

最近、うつ病に関しては「病院には行かなかった」「抗生物質の薬は飲まず、漢方薬を飲んでいた」など、私自身が治ってから

こういう話を聞く機会が増えてきました。そういう話を聞くと「薬は怖い」と、改めて思います。

「自分の意思で病気と薬から抜け出すことが出来て良かったですね」こういう言葉を頂いたりします。

 

 

 

 

 

 

・うつ病・薬で影響があったこと

 

1.歯の神経が腐った

 

 

病院や薬にお世話になる前、前歯の1本が異常に痛くなり歯医者に駆け込みましたが、虫歯とかではなく神経が腐っていました。

歯医者さんに「脳神経からの影響だね」と言われました。歯の裏から穴をあけて毒出し作業。1年以上はかかりましたが、2~3

年経つと、同じ歯が痛みだし、毒出し作業。その歯を抜いてしまい、偽歯にしようと思いましたが、歯医者さんが「まだ、若い

からなんとか歯をもたせてやりたいな」という意向で、粘り強く治療に通いました。その歯は、今でも生きています。「歯のク

リーニングをして下さい」と言っても、「歯の磨き方が下手くそなんだよ」とか言ってクリーニングしてくれず、歯の磨き方を

教えて下さって、次の通院でやっとクリーニングしてくれるような先生だったので、私は必死で磨きました(笑)子供の頃から

お世話になっていたので、昔は凄く怖い先生だということを私は知っていたので、必死に磨きました。決して悪い先生ではなく、

怖いのか優しいのかよくわからない変わった先生でした。何故か20年位お世話になりましたが。おかげで、30歳越えても、歯で

悩むことはあまりないです。

 

 

 

2.過去に車で単独事故を起こした時に、保険金の関係で少しもめた。

 

 

病気になってから1年後位に、少々軽躁状態で運転をしていたら、雪で滑ってガードレールや崖にぶつけました。

正直に警察に届け出て、保険会社に保険金の手続きをしましたが、薬の関係でストップがかかりました。

ディーラーの営業の人からは「薬を飲んでいるなんて余計なこと言っちゃったね」と言われましたが、保険会社の方からは

「変な薬ではないので保険はおります」と言われました。車を運転する側にとって、抗うつ薬や精神安定剤が良いものか悪い

ものかよくわかりませんでしたが、住んでいる土地柄、車がないと生活が困難ともいえるので、運転はしていました。

 

 

 

3.生命保険の契約継続の健康診査で戸惑った。

 

今の土地に引越してきてから、半年後位に生命保険の契約継続の手続きがありましたが、その時は病院にも通院していたし、薬も

少量服用していました。どうにもこうにも嘘は書けないので、正直に書きましたが・・・。健康診査は通るのか?15年近くお世話

になっている担当の人に相談しましたが、普通に通りました。高校卒業して大手の会社に入社した時に、生命保険には入る気はな

く、半年位断り続け、逃げ回っていたのですが・・・。ある日、携帯電話の知らない番号に出たら、その担当の人が出ました。

携帯番号を意地でも教えなかったのに、知らないはずなのに・・・。ひそかに同期の友達から聞き出していたそうです(笑)

凄い執念だということで、入りました。今となっては、この人が担当で良かったと思いますが。

うつ病だと、生命保険に入りたくても入れない。だいぶ前に、同じうつ病を患っている人たちが言っていました。

すぐ後ろには「自殺」の可能性があるから。

 

 

4.髪の毛が抜けた。

シャワーで髪の毛を洗っていると、髪の毛が抜けて浴槽に溜まっていたり、枕元に髪の毛が抜け落ちていたり。当時、薬の影響

があるのかもと、自分でもうすうすは気づいていましたが、本当の原因はわからず。薬を飲まなくなってから、髪の毛は抜けなく

なりました。気のせいかどうかわかりませんが、増えたような気もします。この事も、最近、理容師さんに聞いたのですが、やは

り、精神安定剤などの影響はあるそうです。ガンなどで、抗がん剤の影響で髪の毛が抜けるらしいのですが、精神安定剤やストレ

スの影響で抜ける場合もあるそうです。髪の毛に、ハリやコシが出てきました。「毛先が右・左・斜め・横・・・いろんな方向

を向いているから、色々な所を飛び回って元気っていうことですよ」理容師さんは、こんなことをおっしゃっていました。

そう言っていただけると、元気が出ます(笑)

 

 

 

 

 

 

うつ病・薬の影響で困ったことは他にもありますが、いろんなことが狂ってしまったりするので、ひとつひとつ改善・解決

してきました。本当に薬の怖さを実感します。治療目的で薬を飲むことは悪い事ではないと思いますが、長期的に服用する

ものではないと思いますし、薬を飲んでいて「当たり前」のようにするのはどうかと思います。

私自身、環境を変えてからは病気や薬で作り上げてしまった「偽りの自分」→「本当の自分・本来の自分」に会いたくて

会いたくて会いたくて走り続けてきましたが、これが「自分探し」というものなのかもしれません。

人生の方向や選択は自分自身で決める。もし、今の道を選んでいなかったら私は今頃「生」ではなく「死」を意識して生きて

いたと思います。そう考えれば、薬というのは「残酷」だと思います。精神安定剤など飲んでいると、イメージとか希望とか

夢とかが全然見えなくなってしまいます。「生きることにご縁がないのではないか?」と思ったこともあります。

子供の頃から、情緒不安定なところはあって、20代でうつ病になり薬物療法で過ごしてきましたが、後悔や惨めさなどはありませ

んが、私のようなこんな人生はあまりお勧めできません。ダメです。少なくとも、薬を飲み続けて偽り続けるのは本当に人生に凄

く影響すると思います。生まれてきてから30年以上で、やっと自分というものが見えてきたし、整ってきているように思います。

長い旅だなぁ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 MISIA「逢いたくていま」

 

 

 

 

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思い込み・勘違い・正解?

2015-08-07 19:22:53 | 

9・11・13・15・17・19・21・23・25・27・29・31・33・35

8・10・12・14・16・18・20・22・24・26・28・30・32・34

 

 

数字を並べてみました。上の1列が奇数。下の1列が偶数。

自分の年齢、奇数年齢と偶数年齢。

 

私が今まで生きてきた中で、偶数年齢が自分にとって縁起がいい、いいことがある、物事がうまくいく・・・。そんなふうに思っていまし

た。長い間、自分の中で勘違いをしていました。

覚えている、思い出せる範囲で書き出してみます。

 

 

 

 

 

 

 

・偶数年齢

8歳・・・小学校で嫌いな先生と出会う。叩かれる。

10歳・・・いちど嫌いだった先生が離れたのに、また担任になる。

12歳・・・中学校1年生になり、5月病で不安定。死にたいと口に出して言っていた。

14歳・・・中学3年生。どこかに逃げてしまいたいと思っていた。

16歳・・・高校2年生。勉強も部活もやる気が出ず、さぼったりして無気力。学校を休む回数も多く、訳もなく病院へ。

18歳・・・大手の会社に就職して、半年弱の時、社員寮で1人で、2週間弱死にたい願望にとらわれていた。

20歳・・・知らず知らず病魔が襲ってきていることに気づかず、体も心もかなりの不調。死にたい願望もあり。

22歳・・・うつ病が酷く、リストカットが酷く、首を吊りそうにまで追い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

・奇数年齢

9歳・・・小学校4年生。嫌いだった先生とは違う先生が担任になり、自分が生き生きしていた。

11歳・・・小学校6年生。担任は嫌いな先生だったけど、卒業で離れるのでホッとしていた。

13歳・・・中学校2年生。部活で夏の大会で、他の学校のひとつ上の先輩にバカにされたので、試合で勝利。そのまま、自分の学校で部長に

     なる。中学校最後の先輩の思い出を壊した(笑)

15歳・・・高校1年。学生寮での生活が始まり、学校も人も変わり満喫。

17歳・・・好きなバイク(250cc)を乗り趣味を満喫。スピードを出しすぎて捕まる。警察や裁判所にお世話になる。

19歳・・・社会人として、仕事も人間関係も遊びも充実。プロジェクトの仕事などに携わる。

21歳・・・うつ病になったが、入院や通院や薬で何とか回復、安定。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでの人生、偶数年齢が縁起がいいと自分の中で勘違いして生きていました。赤と青の年齢(22歳→23歳)に、奇数年齢のほうが

いいことに気づかされました。それ以降はとりあえず書きませんが、33歳で長年の病気と薬を手放すことが出来ました。そして、今年は

あと1ヵ月もしないうちに、35歳。奇数年齢

いいことがあればそれに越したことはありませんが、今の私の課題は「人生の変な波」がステータスにならないものか?

1年ずつの上がり下がり。生きづらかった人生。最近、毎日のように自分の中で考えて悩んでいますが・・・わかりません。。。

1つだけの救いが、30歳から「人生の変な波」が明らかに小さくなっている気がします。どうにかならんかなぁ・・・。

情緒不安定な人生を送っていたのだと思います。

 

 

 

 

嬉しい事を素直に喜べない自分や、自分にとって苦しい事や災難があって「当たり前」

むしろ、嬉しい事やラッキーなことがあると体が痒くなるような感じ。

そんな感じで今までの人生生きてきたのだと思います。

確かに、苦しい事や困難に立ち向かって乗り越えて、強くなったり成長するのだと思いますが、結構ネガティブな思考だったのか、心が

病んでいたのか・・・。ひねくれていたのか・・・。

 

 

 

 

 

 

20歳~の、うつ病人生は毎年厄年みたいな感じでしたので、今の土地に引越してくる前は本当に悩みました。2008年に1回東京で環境

を変えて1人暮らしをすることにチャレンジしたことがあります。1年もたずに大失敗。病気は悪化、薬は増える・・・。同じような失敗

を繰り返してはいけないと2012年に今の土地に引越してきてからずーっと思っていました。自分自身が病気を治すことに対して、「保証」

は基本的にはありません。「責任」は誰にある?私自身が誰かを責めたりしてはいけないし、責めることも出来ない。だからと言って自分自

身を責めすぎてもいけない。自己責任という気持ちも必要。とにかく良い方向に行くことで、だれの責任でもなくなるのだと思います。

私自身、環境を変えて病気を治すということは、「病気を治す」という感覚ではなく「人生の大きな選択をする」ことです。人生に係わる

大きな選択は、誰にでも色々な事であると思いますが、それくらい重要なことです。

 

 

 

 

心折れずに、よくここまで上がってこられたものだ(笑)

 

感謝・感謝・感謝☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 something ELse「ラストチャンス」

 

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絶望・希望・夢

2015-08-02 19:27:24 | くぅちゃん

 

 

 

 

 

 

 ドカーンドカーン

「花火がきれいだくぅー」

「たのしいくぅー」

「たーまやー」

わーい\(^o^)/わーい\(^o^)/

「おむすびおいしいくぅー」

「イカ焼きはいらないくぅー」

「ビール飲みたいくぅー」

 

 

 

 

日本の夏、千葉の夏、くぅちゃんの夏1999(イチくぅくぅくぅ)(笑)

 

花火が綺麗だと感じたのは数十年振り。

数十年間、大切な何かを奪われて、失っていました。

自分自身が物凄い世界の中でもがいていたし、物凄く残酷な世界の中にいた。

約13年かけて、人間として大切な何かを取り戻したように思う。

よくここまで心が修復したものだ(笑)

 

 

感謝、感謝、感謝☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

織田哲郎  「いつまでもかわらぬ愛を」

 

 

 

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