Life~ ここから始まる未来へ  ~新たな夢に向かって~

日々の生活で感じたことや思ったこと気づいたことを書いていきたいと思います☆

幸せ・幸福・至福

2015-09-27 09:23:21 | 気づいた事

うつ病や薬を手放して大きく変化が出てきたこと。若い頃より「物欲」が無くなった。

うつ病になって最初の頃、車を変え買えたり、パソコンを買ったり、CDを買ったり・・・。自分が欲しいと思うものを買い、100

万円以上使ってしまったこともありました。心は満たされますが、満たしきれないような感じ。そしてまた、「お金」に執着心が

出てきて、物を買う。繰り返し。人によって、「幸せ」「幸福」の価値観・考え方・感じ方が違うと思います。お金や地位や名誉

などで幸せや幸福感を感じる人もいると思います。人それぞれでいいのですが、私の場合、「お金」や「物質的な物」で、自分自

身の本当の「幸せ」や「幸福」はつかめない、感じることは出来ないと、病気によって思い知らされました。私にとって、「お金

では絶対に手に入らない物」と言えば「健康」です。こればかりは、例えば現金1000万円を渡して、「健康にしてください」と

言っても無理です。

 

 

 

 

お金の価値観・考え方などは、東京にいる時からだんだんど変化していきました。若い時の私は、お金中心で幸せや幸福感を得て

いた部分が多かったと思います。大企業に就職して、安定した職について、安定した収入があって・・・。だけど、「先のイメー

ジ」が全然できなくなり、病気になりました。病気になってからの期間は、精神障がい者であっても「障害年金」などは一切受給

無し。病気が良くなれば良くなるほど障害年金を受給できる確率は減っていきます。考えようによってはとっても良い事です。

「お金なんかいっぱい持っているとろくなことがない」

母がこんなことを言っていたのを思い出しました。病気の期間は、基本的に中学生なみのおこずかいの金額しか与えてもらえませ

んでした。これが、不幸でもなく惨めでもないと今になって思います。逆に言えば凄く良い事。もしかしたら、病気の期間中、も

っとお金を与えられていたら、病気を治すことにも凄く影響していたかもしれません。何故かというと、今の時代、「お金があれ

ばなんでも手に入る。お金が無ければ何も手に入らない」

環境を変えてからは、カイロの専門学校で講師の方が、お金の価値観・考え方についてお話しされていたのを聞かせて

頂きました。その他、「ひきこもり支援」のセミナーなどでも、お金の価値観を勉強しました。過去の自分と照らし合わせて

みたら、色々と考えさせられました。

 

 

 

 

なぜ「健康」について、執着心を持っているかというと、「欠陥人間」だったからです。

<身体的>上から

・頭・・・頭悪い

・目・・・子供の頃、テレビゲームをやりすぎて乱視・近視

・耳・・・子供の頃、外耳炎になり耳鼻科に通う。

・鼻・・・子供の頃、蓄膿症になり耳鼻科に通う。酷くなれば手術の可能性もあった。

・口・・・歯の神経が腐る。

・左腕・・・リストカット。切り裂いた。太ももも切り裂く予定だった。

・心臓・・・胸が苦しくなり、検査。検査入院を勧められ、カテーテル検査をする予定だった。

・胃・・・高校生の頃から10年以上、色々な胃薬を常に飲んでいた。

・腰・・・2回ほどヘルニアを患い、リハビリや末梢神経の薬を飲んで、神経ブロック注射。一時、手術も勧められた。

・足・・・小指が痛くなった。疲労骨折???

 

<精神的>

・うつ病

 

身体的にも精神的にも悪いところだらけでした。ですが、うつ病を手放し、精神的な薬を手放してからは、ウソのように身体的な

病気や悪症状は無くなりました。「体と心のバランス」が悪く、自分自身苦しかったです。30歳過ぎて、「体と心が入れ替わっ

た」これが私にとって、「幸せ」です。そして、「夢」でもありました。

 

 

 

 

 

抗うつ剤などで、「幸福感」は得られます。だけど、薬で得られるものにも限界があると思いますし、依存状態になったり

してしまうと感じられます。今の世の中はきっと幸せなのだと思います。物は豊富で便利な世の中。

「幸せすぎるから、幸せがどういうことかわからなくなってしまい、幸せの意味がわからなくなり、幸福感を感じられなくなる」

場合によっては、抗うつ薬や精神安定剤が「自殺願望」や「希死念慮」などを引き起こしてしまい、「自殺」や「死」の方向に

導いてしまうこともあると思います。私自身、薬を完全に手放すまでの間、少なからずの自殺願望があり、そこから完全に抜け出

すのに苦労しました。病歴も長いし、薬を飲んでいた時期も長かったので、おかしな「固定観念」や「癖」や「思考」に縛られて

いたのだと思います。悪いものを知らず知らずに積み重ねていた結果だと思います。

 

 

 

 

 

私にとって「至福」というのは、今住んでいる土地に来ていた時に感じていました。その1日だけは、苦しい現実から解放されて

自然と涙が出てしまうほどでした。それだけ、何かに苦しめられていることさえも気づくことなく、病気と共に生きていたのだと

思います。「この土地での生活が現実になればどれだけいいものか」いつもいつもそんなことを1人で考えていました。

ちょっとしたことが「至福の時」で、その感じたことが夢や希望になっていくのかもしれません。

 

 

 

 

 

病気を治すも、薬を手放すのも、今の土地で生活するのも、自分自身を変えていくのもの、夢や希望を叶えるのも、結局は

「自分次第」なのかもしれません。自分が今の道を選んでいなければ、病気のまま、薬を手放さない、今の土地には住んでいない

、自分自身は変わっていない、夢や希望は諦める。こんな道が自分の中でどうしても納得がいかなくて、生きている意味さえ

見失っていたと思います。

 

 

 

 

 

忘れたいことばかりなら、忘れたいことは忘れ、忘れられない程の「良い思い出」を作り、良いものを積み重ねて行けば

「死んでいる場合ではない」というような心の変化が表れてきて、病気もすっ飛んで、薬も必要なくなるように思います。

「お金では絶対に手に入らない物」

私は環境を変えてから、それを探し続けてきたし、探し続けているのだと思います。

それが見つかることで、自分自身に物凄くプラスになっていると思います。

これが、東京では出来なかった事でもあるし、自分の中で物凄くかけていた部分だったのだと思います。

 

 

 

 

 

安易に「死」を選んだり、「自殺」など、何か大きな間違えのような、だんだんとそんなふうに感じてきます。

「雰囲気」や「何か」が、「自殺」や「死」に追い込んでいる部分も大きいと私は思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 福山雅治「心color」

 

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ThirdSeason<未知の世界>

2015-09-17 12:18:18 | 感じたこと

 

 

秋らしくなってきました。今年もあと3ヶ月~4ヶ月で終わります。そろそろお正月の準備をしなくては(笑)伊達巻買わなきゃ

(笑)最近、時間が過ぎるのがとても早く感じます。それだけ、日々が充実しているのだと思います。秋は大好きな季節ですが、

寂しさも感じる季節。良い季節だと思います。

 

 

 

 

 

今月の自分の誕生日を迎える前に、『5年計画』を考えていました。35歳~40歳の5年間。

今の自分になるまで、5年はかかると計画していましたが、3年でここまで来れました。30代の折り返しから、「どんな自分

になっていきたいか?」「どんなふうになりたいか?」頭の中で考えていましたが、なかなかイメージが出来ずにいました。

「ここから何かを変えていく」「ここから何かを変えていきたい」「ここから何かが変わっていく」

大雑把ですが、このような言葉が浮かんできました。ここから、良いイメージが出来てくるように思います。

私自身、今まで生きていて経験のない感覚にとらわれています。それが「新しい世界」なのかもしれません。

「第三の人生」の始まりなので、「第一の人生」「第二の人生」(0歳~34歳)を見直してみました。

 

 

 

小学生時代が不安定な時期で、不安定を知らず知らずに積み重ねていたのか、黄色いマウンテンバイク(自転車)で通学していた

中学3年間で「死にたい」とか、さらに不安定な「心の波」が ありました。さらに、高校生になりバイクが大好きだったので、

250ccのバイクに乗っていましたが、警察や裁判所にお世話になり、バイクを手放して中古で黄色ナンバーの90ccのス

クーターをかいました。セキュリティ対策で「黄色いU字ロック」その頃は、就職して社会人になったので乗る回数は少なかった

し車も購入したので、銀色のカバーをかけて置いておきました。病気になり10年位黄色い抗うつ薬を飲み続けてきました。

何粒飲んだかはわかりません。

「不安定」→「死にたい気持ち」→「不安定な行動」→「病気」情緒不安定な人生を過ごしていたのだと、今になって思います。

 

 

 

 

 

 

千葉に環境を移してから3年間で出会った人、少しでも関わって下さった人は、第一の人生と第二の人生で出会った人と、名前

が全く同じだったリ、名字が全く同じだったリしています。知らず知らずにそういう輪が出来ていました。

家族、近所の人、親戚、友達・・・。過去の色々な人間関係がそのまま、千葉で繁栄されています。

私をここまで救って下さったのは、不思議ともいえる現象。

病気の期間、私に係わって下さった人は、家族でも親戚でも、良い方向に行っています。少なくとも、悪い方向には行っていませ

ん。なので、千葉に来てから出会った方や少しでも関わって下さった方も悪いことはないと思います。

「環境や人」に恵まれ、助けられたように感じています。

良い方向に向かうよう、幸せになるように心からお祈りしていますし、感謝を申し上げます。

東京で「敗北」「負け」を感じてから千葉に来て、東京での積み重ねをうまく活かして、千葉では、あまりこういうような表現

は好きではないのですが、例えていうのなら「勝利」「勝ち」を目指してきました。「本当の自分を取り戻す」ということです。

 

 

 

 

 

 

元精神障がい者の視点から言えば、精神的な病気や自殺などに対しては、対策などは少しずつ進められているように感じて、少し

ずつ改善されていますが、まだまだ問題や課題はあるように感じています。もっと改善されていけば、自殺など「自ら命を絶たな

くても良い人が増えてくる」と感じています。

私は私の「テーマ」で、これから生きて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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非現実・現在・現実

2015-09-10 11:53:33 | 

先月下旬、久しぶりに実家へ。何故だかわかりませんが、今回は実家に帰ることがとっても憂鬱でした。猛暑から急に気温が下が

り少々体調が狂ったのか、扁桃腺が腫れてしまいました。それとも、「何か」の物凄いストレスで腫れたのか。。。

憂鬱だなと思っていたら、今まで一度も見たことなかったゴキブリくんが出てきました。夜な夜なゴキブリ退治をしてから、実家

に帰ったら、実家では、靴下の中に大きなムカデがいました。ムカデ退治に奮闘。扁桃腺が痛いし、ゴキブリやムカデに悩まされ

るし、ノイローゼになりそうでした(笑)

 

 

 

実家に帰る途中、私は全然知りませんでしたが、私の生まれた町に新しい道路が開通していました。新しい信号機もあり、新しい

橋もあり、新しいトンネルも出来ていました。新しい左折ゾーンや右折ゾーンも。毎週毎週のように、千葉で「矢印」「橋」とい

う言葉を聞いているので、そのままのものが、そのまま現実に目に飛び込んで来ました。なんだこの体操は・・・(゜Д゜;)奇跡的

目に飛び込んできた瞬間に思いました。きっと「外向性重視」の町なんだろうなぁと。要するに「内面」のことに関しては置き去

りにされていたのだろうなぁと思いました。「外向性重視」の雰囲気の中で、「内面」を変えていかなければいけない私にとって

は物凄く苦しかったです。おそらく、「病気は治さない」「病人は大人しくしていろ」「病人は自由や夢や希望をあきらめろ」

そんなような雰囲気だと思います。だけど、私は千葉で約3年、自分なりに自分に向き合って、いいものを積み重ねたり、いいも

のを築いたりしてきたのだろうと物凄い実感が湧いてきました。この段階までくると、「東京」と「千葉」の心のバランスが

とれてきました。本当に0の状態になりました。あまり良くない雰囲気の中にいると、基本的には「味方は居ない」「わかってく

れる、わかろうとしてくれる人はいない」そのような感じ。千葉に環境を移してからは、基本的には「言い訳出来ない」「人のせ

いに出来ない」「自己愛は発せない」そのような感じ。病気に対して、病気と向き合うことに関して、責任はだれにある?と言わ

れたら、だれの責任でもなく責任者がいるとしたら、それは『自分』

もし、自分が良くなりたいのならば「自力」「自己責任」

現在の自分(千葉)過去の自分(東京)恐ろしい程のギャップを感じています。少し道を間違えれば、人生が変わっていたと

思います。現在の自分が無ければ、未来は想像したくないです。多分、「自殺」していました。

行政関係、地方自治体など「自殺」や「精神的な病気」に物凄く関係してきます。講演会などに参加させてもらって、ない頭で

なんとか自分なりに勉強してきましたが、私は国家公務員とかではないので、どんな考えで、どんな思惑で、どんなやり方で

その街が動いているのかわかりません。私は私で前に進むしか道はありませんでした。

 

 

 

家族との調和も、とってもいい感じになり、私自身はもう「自分の事」に目を向ければいいのだなと素直に思いました。

間違っても、両親に責任などはなく、10年位かけて薬物療法でいいところまで引きあがったと考えれば良し。

そこから先は、東京(実家)ではどうにもならず、おそらくそこにずっといたら、いいところまで引きあがったのに、そこから

悪いほうに落ちて行ってしまうように思いました。悪いほうに行かないように千葉で、いろんな大切なことを学んだりして本来

の自分を取り戻してきました。家族との調和では、両親とも本気・本音でぶつかってきました。電話でも、大声を出してしまった

時もあり、アパートの外に声が漏れているのではないかというくらいの時もありました(^_^;)

「上手くいかなかった時は、生命保険の死亡保険金で」なんて言ったこともありました。

「誰かの為、誰かを守るために」命をかけるような行為ではなく、「自分の為に、自分を守るために」命をかける行為。

本気を超えて「異常」だと思われそうですが、ここまでしないと変えられなかったのかもしれません。

これが、私の背負っていた「生きる死ぬ」の現実なのかもしれません。

 

 

 

そんな厳しい現実を、病気と共に過ごしていた自分をブレさせなかったのは、「この人は凄い」「こんな人になりたい」

という「目標」があったからだと思います。それは、「祖母」

厳しい時代を生き抜いて、自分で自分の弱さも知っていて、自分の事より周りの事に気を使い、自分でも行動する。

2008年の4月に亡くなった時、私も親戚の人も「1つの時代が終わった」みたいな感じにとらわれ、亡くなっても

まだいるような感覚でした。初めてのお盆お彼岸の時は、親戚みんなで同じような日にお墓参りに行ってしまい、花が入らなくて

困ったこともありました。祖母のお墓だけ花だらけでピカピカに(笑)なんでこんなに人気者なのか不思議なくらいでした。

おそらく祖母の90年以上の「生き様」がそうさせたのだと思います。その祖母の「生き様」が、私という人間を良い方向に

導いてくれたのだと思います。 

 

 

 

 

 

 

たまに実家に帰れば、東京青梅市にヨガをやりに行ってしまう。900円のヨガだから・・・くぅくぅ(゜Д゜;)

くぅヨガ・・・くぅちゃんヨガ(゜Д゜;)違うよ(笑)「リフレッシュ・ヨガ」

たまにしか行かない「ポツポツ生徒」だけど、2年位経ってやっと、最初から最後まで間違えないで出来ました。

それだけ心が落ち着いたのかもしれないし、成長した自分がいるのかもしれません。過去に孤独で辛い時期を過ごした

場所なので余計にそんなふうに感じるのかもしれません。「失望や絶望の裏には希望や夢がある」のかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インナーを使う(笑)

 

上の子は、私が19歳の時に姉から投げられてきた子。

「こんなものほしがりやがってバカじゃねぇの」と言われGet。

下の子は、22歳位の時に、ゲームセンターのUFOキャッチャーで、100玉40枚位使ってGet。

 この子達とも長い付き合いだなぁ。実家でも、どこに引越してもいつも一緒。

ぷぅちゃんのことがちゅきぃ~~~チュチュチュ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポケットビスケッツ「yellowyellowhappy」

 

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失望・絶望・希望☆☆☆

2015-09-04 17:42:32 | くぅちゃん

「第一の人生」・・・0歳~20歳

「第二の人生」・・・21歳~34歳

そして、今日から、「第三の人生」35歳~

 

第一の人生も第二の人生も上手く調和させて、第三の人生で1つになる。

自分にとって0からの出発。

今まで見たこともない、感じたこともない未知の世界。

辛かった過去なんて忘れてしまえばいい。

「過去を超えて本物の自分になる」

吹っ切れろ!吹っ切れろ!!吹っ切れろ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぅちゃん仲良し3人組☆」

こうなると、「可愛い」というより「かわ面白い」(笑)

真ん中の「くぅくぅ」は、もう少ししたら関西へ(大阪)

くぅちゃんやねん~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青いTシャツを着ている母。本物と分身・・・「現実」(東京)と「もう1つの現実」(千葉)

2つを並行して過ごしてきた約3年間。上手く調和され1つになり「新しい現実」が出来るはず。

夕食は「おむすび」

突然、黄色い無地のTシャツを2枚買ってきた。99円のTシャツ・・・くぅくぅ(゜Д゜;)

なぜ2枚???ペアルックじゃないんだから・・・。誕生日プレゼント???

 

 

 

 

亡くなった祖母は、生きていれば今年満100歳。

くぅちゃんが生まれたのは、2014年4月。

祖母が亡くなったのは、2008年4月。

くぅちゃんが生まれた年は、祖母は99歳。くぅくぅ(゜Д゜;)

 

おばあさんよ・・・随分かわいらしいところに行きついた。

あれから、追い求めていたものはここだったんだ(゜Д゜;)

 

厳しすぎる現実から、もう1つの現実に導いてくれたんだね。

自分は「死」を選ばなくて良かったと思う。

感謝!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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