歯医者「サムイネ。ダイジョウブ?イタクナイ?キョウハコノハヲチリョウスル。イタイノガマンシチャダメ。ヒトツヒトツカイ
ケツシテイクカラダイジョウブ。」
宜しくお願いします。
歯医者「コノハモシンケイシニカケテルケド、ツメタカラダイジョウブダトオモウ。」
歯医者(助手)「マタライシュウキテ。アト二ホンダカラハヤクナオシチャオウネ。」
YES!!ハヤクナオス。アトニホン。ゼッタイニナオス。ヤルキガデテキタ!!アツクナッテキタ!!!
歯医者「サムイネ。ダイジョウブ?イタクナイ?キョウハコノハヲチリョウスル。イタイノガマンシチャダメ。ヒトツヒトツカイ
ケツシテイクカラダイジョウブ。」
宜しくお願いします。
歯医者「コノハモシンケイシニカケテルケド、ツメタカラダイジョウブダトオモウ。」
歯医者(助手)「マタライシュウキテ。アト二ホンダカラハヤクナオシチャオウネ。」
YES!!ハヤクナオス。アトニホン。ゼッタイニナオス。ヤルキガデテキタ!!アツクナッテキタ!!!
生まれてきて35年。35年にして、やっと「本質の自分」に戻った感覚を感じています。病気になるまでの0~21歳までが不安定な
自分で、21~34歳までが、病気でお薬仕様の体と心。そこからの本質の自分。偽りや病気の自分の期間のほうが長いので、本質
に戻っても「本質の自分ってどんななの?」そんな不思議な感じです。掴めている部分と掴みきれていない部分があるのだと思い
ます。今まで感じたことのない感覚で、なかなか自分のペースが掴めなくて焦りなどを感じていましたが、なんとか良いなみにの
れてきている感じがします。その実感として「体と心」がとっても楽になっています。
私の場合、病気になる前から心が不安定だったのですが、「環境」「価値観」「家族関係」「人」などによることが大きく影響
していたのだと思います。そうなると「不定愁訴」ということになると思います。それと言って原因はなく原因はわからず、頭痛
がしたり、胃が痛かったり、腰が痛かったり、死にたいと思うほど一時的に気分が落ちたり、元気になったり、訳もなく寂しく
なったり不安を感じたり、空虚感を感じたり・・・。「身体的」「精神的」どちらにも何らかの症状が発生してしまい、不安定な
自分になってしまっていたのだと思います。「精神的」な部分は、千葉に環境を変えてから、色々とやってきましたが、そのおか
げで、「精神的な安定感」を取り戻したように思います。「身体的」な痛みや、不安定な症状はほとんどなくなってスッキリしま
した。
私自身、千葉で薬を手放してから色々な気づきがありました。その中で、東京(実家)過ごした中で、「環境」「病院」「薬」
に対しての、知らなかったことを知ってしまい、「恨み」「辛み」や「騙された感」「裏切れた感」が体の内側から湧いてきまし
た。私が選べる道として、生まれた町行政に対して、「精神的苦痛」などや、何らかの形で「損害賠償請求」などの
民事裁判などをおこすことも出来ると思います。私は、自分の生まれた土地を離れて生活してきて、客観的に自分の生まれた町を
見てきましたが、いまいちよくわかりません。少なくとも、病気や自殺に関して長い間「臭いものには蓋」のような感じだったの
だろうと感じます。何年もかけてあまりよくない物を積み重ねてしまった結果なのだと思います。
病院側に「医療裁判」を起こすことも出来ると思います。勝ち負け関係なく
裁判をやったとしても、最後に最低限得られるのは、「和解」「和解金」それか「負け」
物質的なものなどは取り戻せる可能性はあると思います。ただ、個人的には「勝ち」はないと思います。
それは、千葉で過ごしてきた3年間で取り戻した目に見えない「内側の部分」精神的な部分。
この部分は、お金でも裁判でも取り戻せない「本物の大事な大切なこと」
この大事な大切なことが私自身取り戻せなかったら、裁判の世界の道に行ったとしても、先に生きて行くうえでモヤモヤ感が
とりきれず、過去にとらわれ引きずってしまう可能性が高いと思います。千葉で3年過ごし、モヤモヤ感がムラムラ感に少し
ずつ変わって行っているように思います。「考え方」「価値観」「目を向ける方向」などが私自身変わったのだと思います。
頭も心も柔らかくなったように思います。
自分の中で、「安心できる居場所」が無くなってしまったのだと思います。21歳で「うつ病」と診断され、薬物療法が始まりまし
たが、その時点で自分の中でいろんなものが崩れてぐちゃぐちゃになってしまったのだと思います。「時間」「お金」「健康」
「自由」「人間関係」「夢」「希望」・・・。失ったものはいっぱいあります。失って初めてわかることもたくさんあります
が、少し間違えば「命」を失う事にもなります。色々な事が狂ってしまい、正しい事をしても悪く言われたり、あまりよく言われ
ないような世界だと思います。 10年以上かけて、そこからのすべての「精神的」「物質的」の『再構築』のよう
な作業をしてきたのだと思います。
病気や薬は、「人生の方向」や「生きる死ぬ」に物凄く影響するのだと私自身実感しています。
抗うつ薬や精神安定剤や睡眠薬は「上手な飲み方」があります。通院している時に、医者からアドバイスを頂き実際にやったり
した事もあります。『薬にコントロールされてしまうのではなく、自分が薬を上手に利用してコントロールして飲む』
私はこのように考えています。私の場合、10年位薬を飲んでいても、1年位で手放すことが出来ました。
薬というのは、飲むと楽になり甘い誘惑みたいなものなので、どうしても依存傾向になってしまうと思います。
今後「薬の上手な飲み方」など、自分が経験した範囲で何かやっていこうと思っています。
本音を言ってしまえば、過去の事などもうどうでもよくなってしまっている自分がいます(笑)
「本質の自分」+「これからの人生」みたいな感じで歩んで生きたいと思います☆
中西圭三「次の夢」
歯医者「マエバサンボンノアナヲナオシテアナヲウメテイク。イッポンヅツアナヲウメテカイケツシテイクカラダイジョウブ。ハオナ
オストイイコトアルヨ。」
イイコトアリソウ宜しくお願いします。
歯医者(助手)「イッポンハガキレイニナッタケド、カタイフランスパンヲタベルトキハギュウニュウニヒタシテヤワラカクシテ
タベルナドハイリョシテ。キョウハ2880エン」
ここ日本だよな・・・。どこの国なんだ???なんで突然フランスパン???ボンジュール???
フランスパン???(゜Д゜;)(゜Д゜;)(゜Д゜;)2880エン???(゜Д゜;)(゜Д゜;)(゜Д゜;)
ナイショ、ナイショ・・・。
LINDBERGH「今すぐkiss me」
ジングルベル~♪♪♪ジングルベル~♪♪♪リンリンリン♪♪♪ a happy new year☆☆☆ 幻聴だ!!
今から13年前、私が22歳の時、この時期に、最初に自分で見つけた精神科から親戚のおばさんからの口コミで10年位お世話に
なった精神科にセカンドオピニオン。そして入院。当時、何故か私は喜んで元気に、「任意入院」を選びました。
入院中、ベットでノートに何故かわかりませんが、尾崎豊さんの『卒業』という歌の替え歌を書いていました。
・当時書いた替え歌
病院の影ベットの上汚い壁、幻とリアルな気持ち感じていた。チャイムが鳴り病棟のいつものベットの上に座り、何に従い従うべきか考えていた。むかつく心、今俺にあるもの、意味なく思えて戸惑っていた。午前午後デイルームふらつき俺たちは病棟の中、孤独ひとりさみしく座っていた。笑い声とため息の飽和したデイルームでただ単にテレビを見ていた。退屈な心刺激さえあれば、なんでも大げさにしゃべり続けた。あーあーあーーー。行儀良く真面目なんて出来やしなかった。夜は眠れずにイライラしていた。逆らい続け、あがき続けた、早く自由になりたかった!!信じられぬ医者との争いの中で、一体何分かり合えたのだろう?うんざりしながらそれでも過ごした。ひとつだけわかっていたこと!!この支配からの退院(卒業)
誰かのトラブルの話にみんな熱くなり、自分がどれだけ真面目だか知りたかった。力だけが必要だと頑なに信じて、従うとは負けることと言い聞かした。看護師にさえ強がって見せた。時には誰かを傷つけても。やがて誰も愚痴をこぼし脱走の言葉と、理想の生活それだけに心奪われた。生きるために療養すればいいというが、脱走することを強く信じた。大切なのは何?休むことと、生きる為にすることの区別迷った。あーあーあーあー。行儀よく真面目なんてクソくらえと思った。夜ベットいびき酷くて眠れなかった。逆らい続けあがき続けた。早く自由になりたかった。信じられぬ医者との面談の中で、ゆるしあい一体何分かり合えただろう?うんざりしながらそれでも過ごした。ひとつだけわかっていたこと。この支配からの退院(卒業)
退院(卒業)して一体何わかるというのか。思い出のほかに何が残るというのか?人は誰も縛られたかよわき子羊ならば、先生(医者)あなたはかよわき大人の代弁者なのか?俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか?これからは何が俺を縛り付けるのだろう。あと何度自分自身入院すれば本当の自分にたどりつけるだろう。あーあーあー・・・。仕組まれた規則に誰も気づかずにあがいた日々も終わる。この支配からの脱走(卒業)戦いからの退院(卒業)
わる~い患者でした(笑)最低ー!!!
こんなこと書いていたのですが、入院して12月上旬に、「クリスマス会」がありました。カラオケをしましたが、その時に
ZARDさんの『永遠』という曲を気持ちよ~く熱唱していました。
喜んで精神科に入院していく人や、入院してすぐに元気にカラオケを歌う人はあまりいません。後に母親から聞いたのですが、
「うつだけど普通のうつではない。何かあるんだろうね」完治するまでお世話になった元主治医がそう言っていたそうです。
セカンドオピニオンをした当時から、何かに気づいて感じていたのかもしれません。その当時は、主治医は違いましたが。
薬ではなく、「医者の力」も凄いと思います。
薬も減って、大分回復した5~6年後に、母が「お前は、病院を変えて良かったと思う。今の病院じゃなかったらきっとこんなに
よくならなかったと思う」こんなことをつぶやいていました。1回か2回位だけど、一緒に病院に行った時にそう感じたそうです。
「勘」とか「女の勘」らしいです。男の私にはよくわかりませんが・・・。間違っても、敵に回してはいけない人だなと思いまし
た(笑)
『卒業』と『永遠』
『病気の自分』と『本質の自分』両方いました。
『偽りの自分』と『本当の自分』両方いました。
13年前の今時期から、何かを探し続けていたのだと思います。それは『本物』
私は「うつ病」でしたが、考えようによっては「病気ではありません」
生まれてから、「環境」「人」「家族との不調和」「価値観」「考え方」などが、自分でも気づかないうちに全然違うところで
生きていました。それが原因で心が不安定で、不安定さが爆発して「うつ病」という形になりました。
気質的なものや心理的ストレスに目を向けて行く場合、私にとってはおそらく「心療内科」のほうが向いていたのかもしれませ
ん。こうなってしまうと、『疾患』として見る精神科で『誤診』という事にもなりますが、間違えだらけで、やっと本物にたどり
着きました。間違えなんかないということになります。環境を変えて薬や病院を手放さなければお話になりませんでした。
だれの責任でもなくなります。「自分で選んでいた、選んでいる道を歩いているだけ」
ある意味「誤診術」
あかりのついている「護身術」の道場をなんとなくボーっと眺めながら気づきました。
ころがってるんだろうなぁ・・・。ころがっていれば、ころがっている本物を見つけることが出来るのかも・・・。
弱くてさみしいのは自分かも・・・。
やなわらばー「いちごいちえ」
歯医者「イタクナイ ダイジョウブ?」
自分「大丈夫です」
歯医者「キョウハ、コノマエバヲナオス。ヒドイネ。シンケイシンデルカモ?ケズッテ、ハヲチイサクシテカブセル。ホケン
キカナイギバダト60000エンクライカカル」
マジカヨ(゜Д゜;)(゜Д゜;)(゜Д゜;)
歯医者「オモッタヨリダイジョウブダッタ。ケズッテツメル。シンケイシンジャッテルカトオモッタ。ゼンゼンダイジョウブ」
前歯死んじゃダメ。ホッ(*´▽`*)
歯医者「ヒトツヒトツカイケツシテイクカラダイジョウブ!! カヨッテ!!ネンマツマデニハマエバヲゼンブキレイニ
スル。ソウシタイ。」
歯医者(助手)「ヒッコシテクルマエハドコニスンデタノ?」
自分「東京の端っこのほうです」
歯医者(助手)「ハチオウジ?シッテルヨ」
違うけど間違ってはないなぁ・・・。
歯医者(助手)「センセイモワタシモアナタトオナジクライノコドモガイル。ミンナヒトリクラシ。オヤノホウガサミシイ。
ガンバッテネ!!」
YES、YES、YES!!Enjoy一人暮らし!!
待合室に飾ってあった花が、1週間前は緑の花だったのに、黄色い花に変わってる(゜д゜)!
「マイラッキーカラー イエロー☆☆☆Thank you!!」
*三光流ちゅう術 「半つながり技 つながり技 引き寄せ技」
今年ももうすぐ終わります。クリスマスケーキ予約しなきゃ!!サンタさんにプレゼント予約しなきゃ!!
私が環境を変えてから、今月末で丁度丸3年です。
この3年間は自分にとっては10年分位の中身だと思っています。うつ病で10年位苦しみましたが、3年で何か大切なものを取り戻
し『本物の自分』に切り替わりました。うつ病と向き合っていた約10年は、理不尽なことがあったりして、「我慢」や「屈辱」や
「苦しみ」の中で、自分を見失わないように生きてきました。
私の場合、うつ病に関して「環境」の条件がかなり厳しく、もし「今」がなければ、20代後半でイメージしていた自分は、「死」
37・38・39歳辺りでくたばる予定でした。環境を変えてからは、「本気」で自分自身と向き合い、毎日が自問自答。
マニュアルの無い、保障も無い、根拠も無い・・・。無い無い生活。その中から本当の自分を見つけていくのは大変です。
10年以上もうつ病を患っていて、薬も飲んでいてここまで来れたのが不思議なくらいです。普通なら諦めて、薬の流れに
乗って生きて行くと思います。
私は、「うつ病」+「人生」で、ここまで来ました。病気や薬を手放してから、いつの日からか『ひとりの人間として生きたい』
と思うようになりました。病気を乗り越えても、ひとりの人間としてはまだまだ未熟な部分もあるし、この先、生きて行くことに
よる課題はあると思います。きっと「生涯」勉強なのだと思います。
私の中では、生きている間で向き合う大きな壁は乗り越えた感覚があります。だから、「新しい世界」が訪れたのだと思います。
うつ病で薬を飲んでいる場合、「壁を避けて通る」これがあると思います。医者はわざわざ患者を苦しい方向へは導かないと
感じます。だけど、「壁を避けるか避けないか」この選択はやっぱり「自分自身で決める」のだと思います。
乗り越えた先には、必ず輝かしい世界が待っている。
*「三光流ちゅう術 チュ伝チュ範 空太郎くん空子ちゃん(裸で黒帯)の全然ありがたくない全く為にならないお話しより」
千葉県に環境を移そうと決意したきっかけは、母方の「祖母と祖父」
私も子供の頃、祖父の生まれた町、千葉県勝浦市の近くの「御宿町」に海水浴に親戚みんなで遊びに行ったことをうっすらと
覚えています。小学生の頃、臨海学校で岩井海岸(南房総市)に行った記憶もあります。もともと水が苦手で、5メートル位しか泳
げなかったのですが、学校のプールの授業で、2年生の時から投げられ沈められ6年生の時には、海で遠泳2km~3km泳いでい
ました。今の時代だったら大問題になると思いますが(笑)千葉県とは結構ご縁があります。
環境を変えて3年間で、自分にとっていちばんの幸せは、「くうちゃんに出会えたこと」
最近気づいたのですが、空ちゃん人形の形が、母方の祖母と祖父の「墓石」の形に似ています。
私は、空ちゃんが好きだし、飽きないし、愛おしいし、愛してるし、この先ずっと一緒に生きて行きたいし、抱きしめたい
し・・・。7年前の2008年からもう知っていた。見ていた。
最近、歯医者に行って、歯のレントゲンを撮りました。
「イスニスワッテクルットマワッテキカイノホウヲムイテ。キカイニアゴヲノッケテ、ハノゼンタイヲクルットサツエイスル。
クルットマワッテイスカラオリテオワリ」
とってもわかりずらいですが、歯医者でチベット体操(笑)1の動き(笑)
チベット体操はとっても縁起がいい!!チベット体操の底力!!
こうなりゃ歯の外側も内側も徹底的にきれいにしてやる!!
「モウサケナイ、サケタクナイ、トリツカレタイアイラブチベットタイソウ」
私はこれから、地位や名誉や肩書ではなく、『場』を創りたいと強く思います。
「行き場」や「求めている場」をなくしていた自分にとって『場』を創ることは、私の夢です。
そのうち創ると思います。
「自分が自分らしく健やかに生きる」
大きなテーマは「人生」ですが、その中の小さなテーマです。
Mr children「名もなき詩」