Life~ ここから始まる未来へ  ~新たな夢に向かって~

日々の生活で感じたことや思ったこと気づいたことを書いていきたいと思います☆

夢・希望・自由・自分

2016-02-28 06:04:22 | 感じたこと

私が病気人生の中で、一番目を向けていたこと目を向けたことは『本当の自分』

これは、変な話ですが「病気になったからこそ」目を向けてきたのだと思います。逆に病気にならなかったらこんなに自分自身と向き合う

ようなことはなかったかもしれません。病気になる前、20歳前後の時に思ったことがあります。社会に出て社会人としてはしっかり日々を

送っていたのに「ひとりの人間としては未熟」素直にこんなふうに思ったことがありました。今考えればその通りだったのかもしれません。

勿論、社会人として社会に出て成長して行くのですが、私の場合は、病気というものがきっかけで「自分と向き合う」そういう方向を自分

で選んでいたのかもしれません。きっと、自分の中では自分の望んではいない方向を歩んでいた時に、「病気」というものが、何かとても

大切なことを気づかせてくれたのかもしれません。確かに、14年~15年の時間は長いし、苦しい事もあったり生き地獄のように思ったり

したこともありますが、全く意味のない時間でもないし、遠回りをして今の自分があるようにも思いますが、考えようによっては遠回りで

もないように思います。とっても不思議な気分です。

 

 

 

 

私は、「病気」や「薬」に何か試されて来たのだと思います。病気や薬を手放そうとすればするほど試される。その試されていた時間の

中で薬に自分をコントロールされることなく、本質の自分を見失わずに生きてこれたのだと思います。どうしても向精神薬というのは、

人間の意識や思考をぼやかしてしまったりするものなので、自分で考えていることや自分の思いなどが本物なのかどうなのかわからなく

なる時もあります。長い間薬を飲み続けてきたので、その期間の自分というのは偽りの部分が多かったのだと思います。

「病院や薬任せ」病気に関してこんなような考えは危険とも感じます。

 

 

 

 

 

 

 

今の時代、メンタルの病気は私がしている限りでも凄く多いし増えています。新しく基準を作って病気が増えているというような言い方

のほうが適切かもしれません。メンタルの病気は「病気・障害」としてだけで考えるより、幅広く色々な視点から考えていくのがいいと

思います。そうでなければ、薬に依存したまま、薬がなければ生きていけないとかそんなふうになってしまうと思います。

薬は長い間飲んでいても、手放そうと思えば何らかの方法で手放すことが出来ると私は思います。

ただ、物凄く大事なのは「治したい、治りたい」この気持ち。その人にこの気持ちが無い限りいい方向へは行かないと思いますし、そのよう

な感じで向き合ったとしても、ある位置以上へはいけないと思います。こればかりは「本人次第」病気・障害ではなくて、「ひとりの人間

として」何か問われてくるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

私は、ここまでくる間にいろんなことをやってきました。ヨガ・カイロ・ラフターヨガ・チベット体操・クリスタルボウル・シンギングボウ

ルなど。一体どうやって自分と向き合えばいいのか、どうやって本当の自分を見つけていけばいいのかなんてわからないから、とにかくいい

と思ったことはやってみようというような「自分の体と心を実験台にする」こんなような感じです。めちゃくちゃのように思われますが、

とにかくやってみないとわからないというような世界なのでチャレンジするしかないという訳です。

まさか、環境を変えてこんなに色々なものに出会うとも思ってもいませんでした。だけど、出会ったものすべてが私にとって凄くいい方向

に導いてくれるものだったと今になって思います。私は運がいいというか、ラッキーというか・・・。

だけど、運もラッキーさも過去自分なりに自分と向き合っていたからこそ訪れたのだと思います。病気に関しては、向き合い方は人それぞれ

だと思います。改善や解決しなくてはいけないことを向き合わないで病院や薬だけに寄りかかっていたら、知らないうちに悪いものが積み

重なってしまい大変なことになってしまうと思います。

向き合う中で大事なのは、「本人の気持ち」もそうですが、「家族・兄弟姉妹」これは「身内・家族にしか出来ない事」この部分はかなり

大きくて、この部分がしっかりしていないといい方向には行けないと思います。大変なのですが、私にはこの部分がしっかりしていたので、

環境をかえて「家族にもでいない事」にしっかり向き合うことが出来ました。それなりにいいバランスをとることが出来たのだと思います。

 

 

 

 

 

環境を変えてから大きく変わったものは「人間関係」です。東京(実家)で過ごしていた時は、基本的には1人。病気や環境の関係もあって

基本は1人でしたが、その中で自分自身と向き合って最大限の努力はしてきました。そこから環境を変えての新しい生活が始まりました。

絶対にやらなくてはいけないことは、病気と薬を手放すこと。これが出来なければ先に進むことは出来ない状況に不安を感じたこともあり

ましたが、徐々に自分が良くなっていく変わっていくのを自分でも感じられるようになり、少しずつ安心感が出てきました。本当に大事なの

は病気や薬を手放してから。ここからが本番と言ってもいいのではないかと思います。病気・障害の世界は終わり、自分の人生の組立直し。

私にとって必要になってくるのは「人」これは私だけではなく誰でもそうですが、1人ではどうしても出来ない事です。背中を押してくれた

のは「目に見えないもの」目に見えるものも大事ですが、目に見えないものも見ていかないと変わっていけない。目に見えないものに目を

向けるというのは凄く大変なことですし、「信じる力」が必要になってくると思います。メンタルの病気などは酷くしてしまうと、「人が

信じられなくなる」「何も信じられない」こんな感じになってしまうと思います。私にも病気人生の中でそんなような時期はありました。

こういう時期があっても仕方がないと思いますが、そのまま人生送ってしまうと実はその本人が辛いのです。とは言っても、本人も病気・

障害というものに本気で向き合ったり、「誰かを信じよう」とか「何かを信じよう」そういう気持ちを持たなければ何も変わりません。

「信じる」という気持ちを持つのが出来ないのは「裏切られる」などの怖さなどがありなかなか素直になれないというのもあると思います。

だけど自分自身が「信じよう!」としなければ信じてもらえないし・・・。難しいですよね・・・。私は環境を変えてから、自分自身と

向き合うために色々やってきた中で、「クリスタルボウル」「シンギングボウル」これには物凄く不思議な力があると感じました。「音」

なのでもちろん目には見えませんが、体感すると自分に合っていれば物凄くいいものだと思います。リラックス効果やDNA修復。

確かにリラック効果はあるなと体感しました。いちばん不思議だと感じたのは、お世話になっていた元主治医がクリスタルボウルやシンギン

グボウルを持っていたということ。全然知らなかったので驚きはありましたが、千葉でクリスタルボウルを音を聴くことが多くなったら、

東京(実家)の方で、元主治医が講演会でシンギングボウルを鳴らしていました。偶然と言えば偶然ですがとっても不思議。だけど私は

この時思いました。自分の歩むべき道は間違ってないと。目には見えない事なので、本当にそうかどうかは確実でもないし、正しい答え

なんてありませんが、「自分がそうおもんだからいいんだ」そんなふうに言い聞かせて進みました。クリスタルボウルは自分がクリスタルボ

ウルになってしまうのではないかというくらい聴きました(笑)詳しい事はよくわからないのですが、何か不思議な力があるのではないか

と思いますし、メンタルの病気や病気とかではなくても、上手に使えば凄くいいものだと思います。ちなみに私は、クリスタルボウルが

だんだんと「物」→「生き物」に見えてきました。顔や口があって、手足があってのそのそ歩いているのではないかと(笑)

 

*「優良クリスタルボウル演奏家 くう太郎くんとくう子ちゃんのそれはそれは不思議な不思議な奥の深すぎるお話より。

  だんだんエロくなっちゃう・・・。」

  

 

 

 

 

 

 

 

「生きづらさ」「生きづらい」このような感覚を持ちながら私は今まで生きてきたように思います。勿論、病気の時は病気・障害での

生きづらさを感じていましたが、生まれてから病気になるまでの間も無意識に生きづらさを感じていたのかもしれません。そういうのを

全体的に見直すことが出来たのだと思います。もし、病気とかなっていなければそんなことに向き合うこともなく、気づかずに生きていた

可能性もあったかもしれません。そう考えれば病気人生には何か物凄く意味があったのではないかというように思えます。

もっと違う視点から考えれば、私の場合「うつ病」とかではなく「パーソナリティー」の問題だったのかもしれません。

そうなると、ただ薬を飲んでいるだけでは何も解決しないまま。「本当の自分」「本当の生き方」そのようなものを探し続けて

来ました。大事なのは「一時の事」ではなくて「細く長く続く事。続いていく事」

なが~いスパンで考えることが重要なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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??!!

2016-02-25 08:47:20 | 歯医者

 

歯医者「キョウハ、シタノハノウチガワノヨゴレヲトル。イッポンイッポンヨゴレヲトッテイク。ハトハノスキマノヨゴレモトル」

 

自分「はい!」

 

歯医者「 オッケー!カガミミテ!ウチガワモソトガワモキレイニナッタ。ハジメテキタトキヨリゼンゼンカワッタ!コレデオモイッキリ

    ワラエルヨ!ハガキレイニナッタララクデショ?ダッテハジメノコロヨリアナタアカルクナッタ!」

 

自分「スッキリしました!」

 

歯医者「コノハミデテイルシタノハヲドウスル?ヌク?コノハミダシテイルハガアルトヨコノハガキズツイテシマウ。コノママデモイイケ

    ド、キズツイテバカリニナッテシマウ。コノハハハミダシテイルカラ、ヌイテシマエバリョウドナリノハガモットジユウニナル。ド  

    ウスル?」

 

自分「抜きたいのですが、怖くて怖くて(._.)」

 

歯医者(助手)「ヌイタホウガイイヨ。ヌイチャッタホウガイイ」

 

自分「抜くの怖いですね(._.)」

 

歯医者(助手)「ヌイタホウガイイヨ」

 

歯医者「コノヤエバハノコシテオイテモ、ホカノハガコスレテキズツク、キズツイテバカリニナル。マスイヲシテヌクカラダイジョウブ。ド  

    ウスルカカンガエテオイテ。ライシュウキテ」

    

 

 

 

 

 

 

   ソトガワヲキズツケ、ウチガワハキズツイテバカリ・・・。キズツケキズツイテ・・・。ナケテクルゼ(ノД`)・゜・。

   先生、歯科医だよなぁ・・・。なんだか心療内科医に見えてきた(゜Д゜;)

   ヌクノハトクイダケド、ハヲヌクノハコワイ(´・ω・`)

   ところで親知らずはどうなったんだろう・・・。?3週間考えたのに・・・。

   旅行に行く予定はないからいいのかな?忘れてるのかな?

   どこにも行かなくても、住んでるところがテーマパークみたいに感じて楽しいけど(^-^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Dragonash「grateful days」

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努力・気持ち・運

2016-02-19 06:40:46 | 

 

私が、病気人生の中で特に辛かったこと(何個か)

 

1.ある駅で気が狂いそうになった(T_T)

精神科に入院をして退院してから、何をどうしていいかわからなく孤独になっていた時、ひとりで駅で考えていたら、物凄い不安に襲われ

て訳が分からなくなって、気が狂いそうになりました。精神安定剤など薬を服用していたので、なんとか自分を保つことは出来ましたが、

それほど精神的に追い詰められたのは、自分の中で色々なものが崩れ落ちていたからだと思います。自分1人だけ、世の中から取り残されて

しまったような感覚。

人間は、精神的に追い詰められすぎると壊れていってしまうのだなと、ある意味貴重な経験をしたのだと思います。

 

 

 

2.リストカットが止まらない(T_T)

病気初期から始まったリストカット。左腕手首から肘にかけて、カッターナイフや包丁で切り裂く。入院している間は刃物など基本禁止

なので切ることはありませんでしたが、退院して自宅に戻り再発。母に刃物を取り上げられ、私は入院の経験を活かし、自分の部屋には

ハサミやカッターナイフを一切おかないようにして、料理なども自粛。何かにとりつかれたように、刃物を取り上げられてもコンビニなど

に買いに行ってしまう・・・。そんなこともありましたが、リストカットを止める努力をして、切らなくなりました。

後にわかったことですが、母は私から取り上げたカッターナイフを普段日常で紙を切るなどに使っていたそうです。

そんな縁起の悪いもの処分してしまえばいいのにどういう神経をしているのかわかりません(´゜д゜`)

 

 

 

 

3.アルコール依存が止まらない(T_T)

もともとお酒は好きです。病気になってから薬を飲んでいましたがお酒も飲んでいました。飲んでは吐いてしまう。そんなようなことを

繰り返していました。飲まないように努力してもお酒を買いにいってしまう・・・。ビールやチューハイを自分の部屋で隠れて飲んで

いて、空き缶をベットの下に隠しておいたら母に見つかり「そういうことをするんだったらもう面倒見ない!出てげ!!」といわれて、

ビビってしまい、医者と相談約束をして週に2日だけ飲むと決めて、それを10年弱続けました。アルコール依存症にはならずに済みました

。ちなみに最近「アルコール依存症」→『アルコール使用障害』に変わったらしいです。お酒は楽しく飲むのがいいらしいです。

 

 

 

 

 

4.変な孤独感(T_T)

 

病気も年月が過ぎて、だんだんと薬も減り落ち着いてきたある時、変な孤独感を感じるようになってきました。ひとりで部屋にいて

これがプーおとうさん・・・・。これがプーおかあさ・・・・。これがこども・・・・。これがプー赤ちゃん・・・・うふふふ・・・・。

だんだんと精神が変な方に向いてしまい、ひとりでプーさん人形を並べていました(笑)ある意味病んでいたのかもしれません。

現実が厳しすぎて辛くて、ある意味現実逃避でもしないとどんどんと心が壊れていってしまいそうだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病気人生の中ではとにかくしんどい事辛い事が沢山ありました。だけど、私はひとつひとつ改善・解決するように向き合ってきました。

投げ出したくなる時も、逃げたくなる時もありましたが、そればっかりやっていると逃げ癖がついてしまったり精神的に未熟になってしま

ったり、長い年月が経つと内側がぐちゃぐちゃになってしまい、訳が分からなくなってしまいそうだったので、自分なりに努力して向き合い

ました。(*´з`)(*´з`)ふぅ~~ふぅ~~

メンタルの病気・障害は本当に難しいし、デリケートだし、見えないものなので大変です。人の一度きりの人生を大きく左右してしまったり

、人の可能性や才能などを台無しにしてしまったり、気づかずに人生を送ってしまう場合もあると思います。

私も、14年~15年重たいものを背負ってきました。だけど、「本質」に戻りたいし「すこやかに生きたい」

そんな気持ちを持ち続けてなんとか本当本物にたどり着いたように思います

「積み重ねが大事」くぅちゃんが言ってました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LESSON1(ワンワン)

LESSON2(にゃ~にゃ~)

LESSON3(ツリー)

LESSON4(呼んでるよ!)

LESSON5(ファイト!)

LESSON・・・・警告!!・・・指導!・・・1本!!!えっ(゜д゜)!

ありがとうございました(^○^)(^○^)

 チュチュチュ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DA PUMP Stay together [PV]

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考え方・考え様

2016-02-12 05:40:35 | 気づいた事

 

私が、今まで生きてきて不思議に思ったこと、病気生活の数十年で不思議に思ったこと。(いくつか)

 

 

1. 謎のハンコ売りのおねえちゃん

  高校を卒業して、大手の会社に就職して東京郊外に社員寮に入り住んでいた時、会社に「ハンコ買いませんか?」と仕事中に電話

  が来ました。私のほかの同期にもその電話がありましたが、私は一応仕事が終わった後に話だけ聞くために、喫茶店で待ち合わせをする

  約束だけはしましたが、仕事が終わり疲れていたので、行きませんでした。ハンコ売りのおねえちゃんから携帯に電話が来たので、丁寧

  にお断りしましたが、ドタキャンしたことに必要以上に怒られ叱られました。そんなに怒らなくても、他に探せばいいのに(´゜д゜`)

  後から同期に聞いたら、ミニスカートで派手なギャルだったらしいです。しばらく音沙汰がなく忘れかけたころ、私は会社の都合で

  神奈川の横須賀に住んでいました。仕事中に会社に同じハンコ売りのおねえちゃんから電話がありました。そこでも丁寧にお断りしま

  した。「東京のほうに電話したけどいなかったから会社辞めたのかと思った」と言われました。勝手に失業させないで下さい(´゜д゜`)

  しばらくしてまた仕事中に会社に電話が来ました。「今、横須賀中央にいるんだけど♪追浜駅でもいいよ♪♪」と、言われましたが、仕事

  が二交代制だったので、夜中の12時過ぎにそういう電話が来たので、怖くなりました(゜Д゜;)「ハンコ買って!」というより、「ハンコ

  を押して!!」だんだんとそんなふうに言われているような感じがしてきて、仕事が終わり足早に社員寮に帰りました。一体あれは

  何だったのだろう・・・。

     *ハンコは安易に押すものではありません。

 

 

 

2.感が鋭い寮母

  高校生の時、3年間学生寮に入って生活していました。寮に入っていたのは、田舎なので中学生の時から知っている人間ばかりで、家族

  のような感じでしたが、ある日、隣の部屋の女の子が内緒で彼氏を連れ込んでしまいました。壁の向こうから話し声が聞こえてきました

  が・・・やるなよ( ゜Д゜)・・・。ばれないようにフォローしてあげたいけどフォローしきれない・・・。その夜、私はそわそわしていま

  した。次の日、案の定寮母に「昨日の夜、隣の部屋から話し声聞こえてこなかった?誰かいなかった?」と問いかけられました。

  もちろんしらばっくれていました(笑)私はこっそり抜け出して、原付でどこかに出かけてしまったり、部屋にテレビは禁止なのに

  小さい液晶テレビを持ちこんだり、ルール違反はいっぱいしてました(笑)まっ、臨機応変に。

 

 

 

 

 

3・謎の占い師

    大手の会社で働いていましたが、体調を崩して会社を辞めて横須賀から東京に戻りました。ある日、東京郊外の駅ビルの中で

  「占い」の文字が目に入ったので、興味本位で3000円を払って占ってもらいました。サイコロをころがしたりカードを引いたり

  していました。なんか「インチキくせぇな~」と当時思いましたが、占い師に「あなたは得な性格よ!だけどしばらくの間苦労

  するわね」そんなふうに言われました。でも、よく考えたら人間なんて「楽」もあれば「苦」もあるわけだから、改めて占いで

  言われると・・・。その後少しして見事に精神科・薬・病気の世界の扉を開けて、「苦」どころか死ぬかと思いました(*´з`)ふぅ~~

  今考えると、あの占い師は凄かった(゜д゜)!

 

 

 

 

 

4.抗うつ薬の名前を間違え続けた母

  21歳の時に、精神科・病気・薬の世界に入りましたが、それから10年近く飲み続けていた抗うつ薬「ルボックス」

  この薬の名前を、母は何故か10年間違え続けていました。「ルポックスはいい薬なんでしょ?」「ルポックスは飲んだの?」

  「ルポックスは医者がいい薬だって言ってたもん!」『ルボックスだよ!』と何度も訂正するのですが、頑なに『ルポックス』

  と言い続けていました。どうしても「〃」→「○」にしたいらしく・・・。(´゜д゜`)

  他の精神安定剤や気分安定剤や睡眠薬には興味がないのに、抗うつ薬だけはいい薬と言い続けていました。

  ちなみに、「ルポックス」なんてふぬけたようななまえの抗うつ薬は知りません。 

  私はこの抗うつ薬が好きです!大好きです!!愛してます!!!いい色だいい薬です

    やっぱり、チベット体操大好きインストラクター見てるだけでいいの!

 

 

 

 

 

 

 5.姉に全裸を見られた

  千葉に環境を変えてから、神奈川の湘南の姉の所に行った時、お風呂に入って、脱衣所で全裸で気になる頭(髪の毛)を見ていたら、

  突然ドアを開けられて、姉に全裸を見られてしまいました(/ω\)

  バスタオルを持ってきてくれたのですが、今までそんなことしてくれる人ではなかったし、してもらったこともないので、調子が

  狂ってしまいました。複雑な気持ちで湘南の風に吹かれながら千葉に帰ってきました・・・・。 

 

 

 

 

 

 

 

 私は35年生きてきて、病気人生約15年、人生が上手くいっているようないっていないような・・・。

だけど、上手くいっていることもいっていないこともやっと歯車がかみ合ったように思います。

そして、全体的に本当本物にたどり着いたように思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 MayJ「Precious」

 

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失う・奪われる・築く

2016-02-07 10:03:21 | 

私が病気を発病してから、現在の約15年間で、「奪われてしまったもの」「失ってしまったもの」いろいろとあります。

その中でも「時間」というものに対しては、どうやっても取り戻すことは出来ません。そう考えると「時間」というのは大切なのだと

思います。「1日1日を大切に生きる」こんな言葉を子供の頃教えてもらったことはありますが、子供の頃にはどういう意味かわかるはず

もありません。人間成長して行くにつれて、色々な経験をしていくと思います。楽しい事、辛い事、悲しい事、不安な事、出会いや別れ

・・・。子供から大人になる間にどんな経験をしたか?正直私は辛い事が多かったです。だけど、自分が不幸で惨めなどとは思いません。

子供の頃からの経験が、「病気」というものに立ち向かう力になったのだと思います。もし、子供の頃から順風満帆に人生を歩んでいて、

大人になり突然「病気」という壁にぶち当たったら、私は病気に立ち向かうほどの我慢強さや忍耐力はなく、薬にコントロールされてしまい

、本当の自分には戻れなかったと思います。もっと酷くなっていけば「人格」もおかしくなってしまったと思います。そうなってしまうと、

「心が無い」そんなようになってしまい、頭(能力・思考)で生きていき、他人の事など興味なしで、人を利用したり悪用してでも生きて

いたと思います。ちなみに私は、千葉に環境を変えて思ったことは、人を騙したり悪用したり・・・そんなようなことをしてまで病気を

治したいとは思いませんでした。そこまでして病気に立ち向かっても、1人の人間としておかしいと思ったからです。頭(思考・能力)で

生きている人でも、絶対にかなわない、そして恐れているものは「孤独」「ひとり」

頭(能力・思考)で生きていけないことはありませんが、人を騙したり悪用したり振り回したりするのにも「人」がいなければ出来ません。

私は、病気の長い間ある意味孤独でした。家族はいたので天涯孤独ではありませんが・・・。その中から学んだことは凄く大切なことで、

その学びがなかったら、病気を治すことへつながらなかったと思います。自分の弱さや至らない部分。そういうのを知らずに過ごしてしまっ

ていたら、「心の成長」は止まってしまい、実年齢と心の年齢が離れてしまい、訳が分からなくなって、「自分ってだれ?」

そんなようになっていたと思います。私も薬を手放して少したってこんなような感覚に少しとらわれました。だけど、その裏では、

「どんな自分になりたいか?」「何をしたいか?」など、自分に向き合う作業はしていたので、そんなに見失ったりすることはありません

でした。病院や薬を手放した後が、ある意味凄く重要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

私の場合、病気に対して行政レベルの問題があったのですが、「悪いものを積み重ねてしまうということは恐ろしい」

そんなふうに思いました。私自身「うつ病」という病気になり、精神科に通院して薬も飲んでしましたが、なんとか努力して時間がかかって

も薬も最低限になり、その先の段階に行こうともがいてきましたが、どうにもこうにも上手くいかず、見えてきたのは「絶望」「自殺願望」

そのようなスパイラルにはまってしまうのは「悪い雰囲気」私は私なりに精一杯立ち向かっていたのですが、とてもじゃないけれどいい方向

にいくことは困難でした。もし、この雰囲気の中で生きていくのなら、「病気を治すことは諦める」それしかないと思いました。

病気どころか、自分のやりたいこと、望むこと・・・。諦めるしかありません。そうなってくると「人権の問題」にもなってくると思い

ます。生きている意味がわからなくなり、自殺願望や死がちらついてきます。そうなってしまうと思います。私が病気や自殺について追及

していた中で驚いたのは、病気や心の悩み自殺について、住民側が行政に相談にさえいかない。このレベルはかなりよろしくない状況だと

思いました。何かがうまく機能していない。悩みや不安を溜めてしまい、悪い方向へ行ってしまうということです。

環境を変えてから母が、「どうしてここ(実家)ではだめなの?自分の生まれたところが嫌いなの?」とこんな事を私に問いかけてきたこと

がありますが、私にとってその問いかけが辛いものでした。どうやって答えればいいのかわからず・・・。親が悪い訳ではなく、私が悪い訳

でもなく・・・。だから私は考えました。病気・障がいだけでなく「人生」

根っこから全体的に考えればいいのだと。

全体的に考えていくことで、私も楽になっていくし、私の責任としては支えてくれた親をおかしなスパイラルから脱してあげること。

こうでもしなければ、私も親も共倒れ。行政レベルの問題に関しては、「裏切り」「騙し」そのような言葉が当てはまる位に値してしまう

と思います。その中で、病気と向き合ってきたので、私は人を裏切ったり騙したりはしてはいけないと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

病気とか薬に対して私が思うことは、何年もかけて「とんでもない常識を作ってしまったし、とんでもない常識が作り上げられてしまった」

薬が人を守るけれど、その裏側はとんでもなく残酷な世界がある。精神科や心療内科の世界は少しずつでも変わっていかないと、「人」を

おかしくしてしまう。だけど、病人自身も変わっていかなければいけないと私は思います。

 

 

 

 

 

とんでもなく複雑で、先が見えないような道を歩んできましたが、ここまでになると途中で諦める人のほうが多いと思います。だけど、

諦めるということは、自分の人生にも大きく影響してしまうということ。難しい選択をしなければいけない状況に、私は迷わず

「諦めない」道を選びました。こういう選択も自分自身で決める事なのですが・・・。

 

 

 

 

 

なにはともあれいろんなものを奪われても、失っても私にはくぅちゃんがいるのでそれでいいです(笑)

かわいらしいところにたどり着きました(笑)

くぅちゃんの家を創ろう☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『くぅ子ちゃんとくぅ太郎くんの電話の会話』

 

くぅ子ちゃん「もしもし、くぅ太郎くん?」

くぅ太郎くん「もしもし、くぅ子ちゃん?」

くぅ子ちゃん「くぅ太郎くんくぅ子のこと好き?」

くぅ太郎くん「ちゅきだくぅちゅうしたいくぅ

くぅ子ちゃん「いいよ!ちゅうしようお稽古いっぱいしようくぅ

くぅ太郎くん「うん!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Favorite Blue - 愛よりも激しく、 誰よりも愛しく。(日版)

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!!??

2016-02-03 19:48:12 | 歯医者

 

歯医者(助手)「ゲンキダッタ?クチヲユスグミズツメタイカラネ」

 

歯医者「キニナルトコロハナクナッタデショ?キョウハ、ハノゼンタイテキナヨゴレヲトル。コレデゼンタイテキニシロクナル」

 

自分「はい!」

 

歯医者「ミギノオクバノオヤシラズヲヌク?」

 

自分「できれば歯は抜きたくないです」

 

歯医者「オヤシラズハ、イズレワルクナッテイク。コチラノタチバトシテハイマヌイテシマッタホウガラクダカラソウシタホウガ 

    イイトオモウ」

 

自分「どうしましょう・・・迷います・・・。」

 

歯医者「ワタシノイママデノシンサツシテキタケイケンデハ、カンジャサンノナカデケッコンシタオンナノヒトガダンナサンヲハノチリョウ 

    ニココへツレテキタ。ワタシモオヨメサンモオヤシラズヲヌイタホウガイイトイッタガ、ヌカナイデシンコンリョコウニイッタラ、  

    ハガイタクナッテハレタ。オヨメサンガシンコンヨコウニイクマエニダンナサンニオヤシラズヲヌイタホウガイイトナンドモイッタ

    ケドユウコトキカナカッタ。ケッコンシテシンコンリョコウニイッタノニオオゲンカシタンダッテ。ウソノヨウダケドホントウノハ 

    ナシ。ハハハハハーーー」

 

自分「マジですか?そんなことあるんですか(゜Д゜;)(゜Д゜;)(゜Д゜;)」

 

歯医者「オヤシラズヲドウスルカゲツマツマデニカンガエテオイテ。ゲツマツニキテ。カクニンスル」

 

    

 

    センセイ、ドウシテワタシニソウイウオハナシヲスルノデショウ(@_@)(@_@)(@_@)

    ナニカニセマラレテイルヨウナ、モノスゴクイイモノニトリツカレテイルヨウナ(´゜д゜`)(゜Д゜;)(゜д゜)!

 

 

 

 

歯医者(助手)「キョウハ1830エン」

 

自分「はい!!」

 

 

 

 

 

 

 

ここ歯医者だよなぁ・・・・。結婚相談所?歯医者じゃないじゃん!!!

この黄色い診察券、チュベットタイソウすご~いもっと~もっとぉ~あ~~~~

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久保田利伸 『LA・LA・LA LOVE SONG』

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