私が病気人生の中で、一番目を向けていたこと目を向けたことは『本当の自分』
これは、変な話ですが「病気になったからこそ」目を向けてきたのだと思います。逆に病気にならなかったらこんなに自分自身と向き合う
ようなことはなかったかもしれません。病気になる前、20歳前後の時に思ったことがあります。社会に出て社会人としてはしっかり日々を
送っていたのに「ひとりの人間としては未熟」素直にこんなふうに思ったことがありました。今考えればその通りだったのかもしれません。
勿論、社会人として社会に出て成長して行くのですが、私の場合は、病気というものがきっかけで「自分と向き合う」そういう方向を自分
で選んでいたのかもしれません。きっと、自分の中では自分の望んではいない方向を歩んでいた時に、「病気」というものが、何かとても
大切なことを気づかせてくれたのかもしれません。確かに、14年~15年の時間は長いし、苦しい事もあったり生き地獄のように思ったり
したこともありますが、全く意味のない時間でもないし、遠回りをして今の自分があるようにも思いますが、考えようによっては遠回りで
もないように思います。とっても不思議な気分です。
私は、「病気」や「薬」に何か試されて来たのだと思います。病気や薬を手放そうとすればするほど試される。その試されていた時間の
中で薬に自分をコントロールされることなく、本質の自分を見失わずに生きてこれたのだと思います。どうしても向精神薬というのは、
人間の意識や思考をぼやかしてしまったりするものなので、自分で考えていることや自分の思いなどが本物なのかどうなのかわからなく
なる時もあります。長い間薬を飲み続けてきたので、その期間の自分というのは偽りの部分が多かったのだと思います。
「病院や薬任せ」病気に関してこんなような考えは危険とも感じます。
今の時代、メンタルの病気は私がしている限りでも凄く多いし増えています。新しく基準を作って病気が増えているというような言い方
のほうが適切かもしれません。メンタルの病気は「病気・障害」としてだけで考えるより、幅広く色々な視点から考えていくのがいいと
思います。そうでなければ、薬に依存したまま、薬がなければ生きていけないとかそんなふうになってしまうと思います。
薬は長い間飲んでいても、手放そうと思えば何らかの方法で手放すことが出来ると私は思います。
ただ、物凄く大事なのは「治したい、治りたい」この気持ち。その人にこの気持ちが無い限りいい方向へは行かないと思いますし、そのよう
な感じで向き合ったとしても、ある位置以上へはいけないと思います。こればかりは「本人次第」病気・障害ではなくて、「ひとりの人間
として」何か問われてくるのだと思います。
私は、ここまでくる間にいろんなことをやってきました。ヨガ・カイロ・ラフターヨガ・チベット体操・クリスタルボウル・シンギングボウ
ルなど。一体どうやって自分と向き合えばいいのか、どうやって本当の自分を見つけていけばいいのかなんてわからないから、とにかくいい
と思ったことはやってみようというような「自分の体と心を実験台にする」こんなような感じです。めちゃくちゃのように思われますが、
とにかくやってみないとわからないというような世界なのでチャレンジするしかないという訳です。
まさか、環境を変えてこんなに色々なものに出会うとも思ってもいませんでした。だけど、出会ったものすべてが私にとって凄くいい方向
に導いてくれるものだったと今になって思います。私は運がいいというか、ラッキーというか・・・。
だけど、運もラッキーさも過去自分なりに自分と向き合っていたからこそ訪れたのだと思います。病気に関しては、向き合い方は人それぞれ
だと思います。改善や解決しなくてはいけないことを向き合わないで病院や薬だけに寄りかかっていたら、知らないうちに悪いものが積み
重なってしまい大変なことになってしまうと思います。
向き合う中で大事なのは、「本人の気持ち」もそうですが、「家族・兄弟姉妹」これは「身内・家族にしか出来ない事」この部分はかなり
大きくて、この部分がしっかりしていないといい方向には行けないと思います。大変なのですが、私にはこの部分がしっかりしていたので、
環境をかえて「家族にもでいない事」にしっかり向き合うことが出来ました。それなりにいいバランスをとることが出来たのだと思います。
環境を変えてから大きく変わったものは「人間関係」です。東京(実家)で過ごしていた時は、基本的には1人。病気や環境の関係もあって
基本は1人でしたが、その中で自分自身と向き合って最大限の努力はしてきました。そこから環境を変えての新しい生活が始まりました。
絶対にやらなくてはいけないことは、病気と薬を手放すこと。これが出来なければ先に進むことは出来ない状況に不安を感じたこともあり
ましたが、徐々に自分が良くなっていく変わっていくのを自分でも感じられるようになり、少しずつ安心感が出てきました。本当に大事なの
は病気や薬を手放してから。ここからが本番と言ってもいいのではないかと思います。病気・障害の世界は終わり、自分の人生の組立直し。
私にとって必要になってくるのは「人」これは私だけではなく誰でもそうですが、1人ではどうしても出来ない事です。背中を押してくれた
のは「目に見えないもの」目に見えるものも大事ですが、目に見えないものも見ていかないと変わっていけない。目に見えないものに目を
向けるというのは凄く大変なことですし、「信じる力」が必要になってくると思います。メンタルの病気などは酷くしてしまうと、「人が
信じられなくなる」「何も信じられない」こんな感じになってしまうと思います。私にも病気人生の中でそんなような時期はありました。
こういう時期があっても仕方がないと思いますが、そのまま人生送ってしまうと実はその本人が辛いのです。とは言っても、本人も病気・
障害というものに本気で向き合ったり、「誰かを信じよう」とか「何かを信じよう」そういう気持ちを持たなければ何も変わりません。
「信じる」という気持ちを持つのが出来ないのは「裏切られる」などの怖さなどがありなかなか素直になれないというのもあると思います。
だけど自分自身が「信じよう!」としなければ信じてもらえないし・・・。難しいですよね・・・。私は環境を変えてから、自分自身と
向き合うために色々やってきた中で、「クリスタルボウル」「シンギングボウル」これには物凄く不思議な力があると感じました。「音」
なのでもちろん目には見えませんが、体感すると自分に合っていれば物凄くいいものだと思います。リラックス効果やDNA修復。
確かにリラック効果はあるなと体感しました。いちばん不思議だと感じたのは、お世話になっていた元主治医がクリスタルボウルやシンギン
グボウルを持っていたということ。全然知らなかったので驚きはありましたが、千葉でクリスタルボウルを音を聴くことが多くなったら、
東京(実家)の方で、元主治医が講演会でシンギングボウルを鳴らしていました。偶然と言えば偶然ですがとっても不思議。だけど私は
この時思いました。自分の歩むべき道は間違ってないと。目には見えない事なので、本当にそうかどうかは確実でもないし、正しい答え
なんてありませんが、「自分がそうおもんだからいいんだ」そんなふうに言い聞かせて進みました。クリスタルボウルは自分がクリスタルボ
ウルになってしまうのではないかというくらい聴きました(笑)詳しい事はよくわからないのですが、何か不思議な力があるのではないか
と思いますし、メンタルの病気や病気とかではなくても、上手に使えば凄くいいものだと思います。ちなみに私は、クリスタルボウルが
だんだんと「物」→「生き物」に見えてきました。顔や口があって、手足があってのそのそ歩いているのではないかと(笑)
*「優良クリスタルボウル演奏家 くう太郎くんとくう子ちゃんのそれはそれは不思議な不思議な奥の深すぎるお話より。
だんだんエロくなっちゃう・・・。」
「生きづらさ」「生きづらい」このような感覚を持ちながら私は今まで生きてきたように思います。勿論、病気の時は病気・障害での
生きづらさを感じていましたが、生まれてから病気になるまでの間も無意識に生きづらさを感じていたのかもしれません。そういうのを
全体的に見直すことが出来たのだと思います。もし、病気とかなっていなければそんなことに向き合うこともなく、気づかずに生きていた
可能性もあったかもしれません。そう考えれば病気人生には何か物凄く意味があったのではないかというように思えます。
もっと違う視点から考えれば、私の場合「うつ病」とかではなく「パーソナリティー」の問題だったのかもしれません。
そうなると、ただ薬を飲んでいるだけでは何も解決しないまま。「本当の自分」「本当の生き方」そのようなものを探し続けて
来ました。大事なのは「一時の事」ではなくて「細く長く続く事。続いていく事」
なが~いスパンで考えることが重要なのだと思います。
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