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最近ちょっとお疲れ気味

「はやぶさ」地球帰還とものづくりの擬人化

2010-06-15 01:07:32 | ものづくり・素形材
 小惑星探査機「はやぶさ」が数々の困難を乗り越えながら任務を遂行し、自らは大気圏に突入する中で燃え尽きたものの、小惑星の試料を納めた可能性がある内蔵カプセルは無事に回収されたようです。「はやぶさ」の成功は、日本の技術のレベルの高さと研究者と技術者たちの並々ならぬ情熱を世界に知らしめた偉業であり、宇宙に対する夢を国民に与えたという意味でも日本の科学史上特筆すべきことだと思います。
 なお、「はやぶさ」の活躍は多くの天文ファンたちから注目されただけでなく、初めてのおつかいに出された女の子「はやぶさタン」として擬人化され、サブカルチャーの世界の人々からも注目されていたようです。擬人化されたイラストやフィギュアなどは、本物の「はやぶさ」とは似ても似つかない可憐な美少女そのものです(たとえばこれ)。しかし、これらについてはモノを擬人化する我が国の伝統を考えれば特段不思議なことではありません。

(以下引用)
 どのような職業であれ,仕事で使う道具には思い入れがあるもの。以前のブログでも書いたが,宮大工の巨匠・西岡常一氏(1908~1995)の槍鉋(やりがんな)は,今すぐに使えそうなほど手入れが行き届いている。筆者が教わった和裁の先生は,裁ちばさみに敬称を付けて「長太郎さん」(「長太郎」は,日本橋の刃物の老舗・木屋の製品名)と呼んでいた。自分で作ったものに関してはなおさらだろう。取材で,製品や技術に対して「こいつ」「この人」という呼称を使う方に出会うことがある。そうした人々にとって丹精込めて造った製品や技術は,もはや「モノ」ではないのだなと思う。
(引用終わり)

出所:「人がモノを擬人化するとき,それらはどのような人格を持つか」(日経ものづくり雑誌ブログ)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20080331/149758/

 JAXAのスタッフの方々のメッセージを見ても、彼らは「はやぶさ」を擬人化し、単なる探査機とは考えてなかったことが伺えます(こちら)。「はやぶさ」は内蔵カプセルを地球に向けて放出した後、大気圏突入の直前に地球の姿を写真撮影していますが、これは「もう一度地球を見せてあげたい」という研究者の「はやぶさ」への思いやりだった(こちら)ということを知り、ちょっと胸が熱くなりました。世界に類を見ない日本の丁寧なものづくりは、モノを単なるモノと見ないで擬人化する日本人の優しさ、感性があるからこそではないでしょうか。

 ところで、今回の「はやぶさ」の帰還について早速擬人化してマンガにした方がいます(こちら)。これは・・・じーんときました。はやぶさタン、本当にご苦労様でした。