歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

ロシアパン

2010-06-25 21:24:14 | Weblog
夕方、空腹感に襲われてコンビニで買ったのがこれ。ロシアのパンといえば黒パンだと思うのですが、この「ロシアパン」はとにかく安くて大きいだけが取り柄のパンです。それもまたロシアらしいといえば確かにロシアらしいかもしれません。

森 博嗣 「創るセンス 工作の思考」(集英社新書)

2010-06-25 01:36:20 | 読書
 森 博嗣 「創るセンス 工作の思考」(集英社新書)を読みました。大変面白かったです。
 本書は、木村英紀 「ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる」 (日経プレミアシリーズ) と読み比べてみることをお薦めします。森氏も木村氏も大学の研究者としてのキャリアを有する工学博士で、両者共に日本のものづくりが抱える課題について事例を挙げながら指摘をしているのですが、その視点は全く異なり、示す方向性も正反対です。しかし、どちらも日本のものづくりに対して重要なメッセージを発していることは間違いありません。

制御工学の大家である木村氏は、「ものつくり敗戦」において第二次大戦での失敗例を引きながら、「技」や「匠」を過度に重視することの危険性、そして「理論」、「システム」、「ソフトウェア」の持つ重要性を指摘しています(同書についてはかつてこのブログでも書きました。こちらをご覧ください)。これに対し、かつては工作少年で、現在でも自宅に旋盤やフライス盤を備えて、趣味で模型飛行機を作って飛ばしたり庭に自作の「庭園鉄道」を走らせる森氏は、木村氏とは逆にものづくりのセンスの重要性を強調します。

 本書を読むと、昔の小学生の工作のレベルの高さに驚かされ、そして現在のエンジニアたちが工作の能力とセンスを失っていることを思い知らされます。「それまで伝統的な「工芸」であったものを、「工学」として、教えることができるもの、伝えることができるものなっていった」、しかも「あっという間に技術分野が広まり、知識の量が爆発的に増加したので、どうしても知識入力が大部分にならざるをえなかった」、このため「数字や文字に展開されたデジタルのデータだけで、もの作りをしなければならなくなった」、このため、それは仕方が無いことなのかもしれない、と自らも工学を大学で教える立場にあった森氏は認識する一方で、モジュール化されたユニットを組み合わせるのが本当の技術なのか、それでは次世代のものを作り出す原動力が生まれない、と指摘します。

 「どんな物体であっても、計算どおりにものが出来上がることは奇跡だと言ってよい」のであり、「技術というのは、自然のばらつきを知ることであって、人間や生物を扱うことと全く同じ」、「このばらつきを知るには、作る事の繰り返し、試行錯誤からわかってくる」という著者のメッセージは、自らものを作ることから遠ざかって久しい私にとって新鮮に感じられました。また、現代の若者の多くが「やりたいことがない」ことに悩んでいる背景として、著者は工作の経験の乏しさを指摘しますが、これも非常に印象に残りました。日本社会が再び活力を取り戻すには、工作を復活させることが必要ではないでしょうか。

(以下引用)
 工作から学ぶことは、いろいろなことに広く活かすことができる。ほかのものを作るときにはもちろん応用できる。社会にだって活かすことができる。そして、それ以前に、自分に活かすことができるのだ。
 自分の人生が、つまりは毎日の工作と同じだ、と気づくことになるだろう。だから、工作のセンスは、そのまま「生きるセンス」にもなる。
 このように考えると、現代の若者が見失いがちなものが、だんだんと見えてくるのではないだろうか。作らない世代は、生きるセンスを持っていない世代だともいえる。あらゆる「既成の楽しさ」に囲まれて育ってきたゆえに、「与えられた楽しさ」に手一杯で、自分の楽しさを、自分の新しさを、作ることができない。それがやりにくい環境が現代社会なのだ。
(引用終わり)


 ちなみに著者の森博嗣氏は、建築構造材料の研究者であり、押井守監督によってアニメ化されて話題になった「スカイ・クロラ」シリーズで有名な作家でもあります。本書では「メーカ」、「デザイナ」など、いかにも理系の人らしい表記が目立ちますが、プロの作家であるだけに読者を惹き付け一気に読ませます。「スカイ・クロラ」も読んでみたくなりました。