クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(42) ―上杉謙信からの軍資金―

2008年09月06日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
深谷城が北条に寝返り、
北条氏政の侵攻を受けた羽生城は、
もはや風前の灯火も同然だった。
1日も早い“上杉謙信”の越山を待っていたのだろう。

しかし、謙信は越中の一向一揆との戦いに忙しく、
関東へはなかなか出陣できなかった。
8月に入って謙信は越後に帰国。
関東出陣の準備を始めた。
木戸忠朝、重朝、菅原為繁に宛てて、
いよいよ軍勢を関東へ進めるので、
譜代の者を集めおくよう指示している(『歴代古案』)

羽生城と共に、上杉方として北条氏と対立している関宿城も、
だいぶ雲行きが怪しくなっていた。
“北条氏照”と夜戦を繰り広げ、なんとか退散させたものの、
城中には北条と通じる者がいた(「宇都宮氏家蔵文書」)

謙信はなかなか越山しなかった。
忠朝らはしきりに出陣要請をしていたのだろう。
同年12月、謙信はそんな彼らに軍資金200両を送った(「下條正雄氏所蔵文書」)
また、“斎藤盛秋”ら「侍数十騎」を羽生に派遣している(「斎藤家由緒書」)

しかし、状況は好転するわけではない。
関宿城や水海城も「凶事眼前」(「上杉家文書」)であった。
そして、いよいよ自落の年を迎える……
(続く)

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