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外出自粛なので、自宅でちょっとタイムスリップしませんか。
時代は昭和。
2019年に刊行された“いき出版”の『行田加須羽生の昭和』を繙けば、
たちまち昭和の時代へ連れて行ってくれます。
というのも、昭和における三市の古写真が掲載されているからです。
川で泳ぐ少年、
商工祭(産業祭)で行われていた“仮装行列”や“ミス東京”のパレード、
町中のあちこちに建っていたアーチ、
昭和の駅舎や駅前の風景、
戦中の消火訓練の様子や、
三市それぞれで勃興する産業に携わる人びとなど、
いまは目にできないものばかりです。
羽生市須影に洋裁学校があったなんて本書で初めて知りましたし、
加須駅近くの千方神社境内にはかつて池があり、
いまでも石敢當の建つ小さな土山は、池を掘ったときの土ということ。
また、行田を流れる見沼代用水路の整備の様子などは、
星川に関心を持つ身としては興味深く拝見しました。
本書に掲載された古写真の解説は、それぞれの執筆者が担当しています。
縁あって、僕も羽生の古写真と各リード文を書きました。
対象は何百年も前の戦国時代ではなく、ちょっと昔のこと。
その時代をリアルタイムで生きていないので、
決して楽な仕事ではありませんでした。
本当に僕でいいのか、何度も編集者に聞いたものです。
文献だけでは限界があったので、年配の方から聞き取り調査。
文字には残らないエピソードがたくさん聞けました。
まさに生きた声。
実際にその時代を生きた人のリアリティ。
そんなエピソードが聞けたことは大きな収穫でしたし、
それをなるべく解説に織り込んだつもりです。
多くの古写真を見ながら感じたのは、
戦国史でも現代史でも、大なり小なり起こるできごとにはそれぞれ理由があるということでしょうか。
理由や目的がなければ何も起こらないし、建造物もできません。
そして、理由や目的の裏には、人の密やかな企みが隠れているもの。
表面上の名目とは異なる理由と目的です。
そのようなものはとても人間臭くて、最も理にかなっているかもしれません。
全てではありませんが、そんな古写真の裏側に潜む“意図”、
換言すればなぜその写真が撮られたのか、というその理由が透けて見えることがありました。
実際にその時代を生きておらずとも、親近感を覚えることもしばしば。
人の考えること、望むものは、昔からそう変わっていないのかもしれません。
それにしても「昭和」という時代の凄まじさ。
戦前の不況や開戦に至るまでの流れ。
戦中の苦しさと敗戦。
そして、それから経済大国へのし上がっていく日本。
高度経済成長期を迎え、大きく変わっていく町並や人びとの暮らし。
昭和54年生まれの僕は、その時代の終盤を少しかじった程度ですが、
ひいき目に見ても「特殊な時代」だったと思います。
昭和の延長線上に現在があるとはいえ、
その時代の感覚でいまを捉えることはできません。
捉えようとすれば読み違いを起こすでしょう。
昭和生まれの僕もそんな読み違えをすれば、若者との齟齬が生じるのかもしれません。
ちなみに、『行田加須羽生の昭和』のスケジュールはとてもタイトなものでした。
本書に掲載された古写真は、市民から提供されたものが多数です。
担当の編集者は、写真を収集し選定するだけでも大変だったと思います。
本書の編集が個人からの資料提供スタイルなので、
スケジュールがタイトにならざるを得なかったのですが、
もっとじっくり取り組みたいテーマだったと思います。
なお、本書と合わせて、
十年以上前に郷土出版社から刊行された『目で見る行田加須羽生の百年』や
『行田加須羽生の今昔』を見ると、
さらに時を遡ることができると思います。
ところで、これらの古写真集を見ると、
町中を歩きたい衝動に駆られます。
写真に載っている場所を見てみたい。
現在と比べてみたい、と好奇心が湧くのではないでしょうか。
そして、町がいつもと違って見えるかもしれません。
しかし、残念ながらいまは外出自粛の期間。
町歩きは自粛が解除されるまで我慢ですね。
時代は昭和。
2019年に刊行された“いき出版”の『行田加須羽生の昭和』を繙けば、
たちまち昭和の時代へ連れて行ってくれます。
というのも、昭和における三市の古写真が掲載されているからです。
川で泳ぐ少年、
商工祭(産業祭)で行われていた“仮装行列”や“ミス東京”のパレード、
町中のあちこちに建っていたアーチ、
昭和の駅舎や駅前の風景、
戦中の消火訓練の様子や、
三市それぞれで勃興する産業に携わる人びとなど、
いまは目にできないものばかりです。
羽生市須影に洋裁学校があったなんて本書で初めて知りましたし、
加須駅近くの千方神社境内にはかつて池があり、
いまでも石敢當の建つ小さな土山は、池を掘ったときの土ということ。
また、行田を流れる見沼代用水路の整備の様子などは、
星川に関心を持つ身としては興味深く拝見しました。
本書に掲載された古写真の解説は、それぞれの執筆者が担当しています。
縁あって、僕も羽生の古写真と各リード文を書きました。
対象は何百年も前の戦国時代ではなく、ちょっと昔のこと。
その時代をリアルタイムで生きていないので、
決して楽な仕事ではありませんでした。
本当に僕でいいのか、何度も編集者に聞いたものです。
文献だけでは限界があったので、年配の方から聞き取り調査。
文字には残らないエピソードがたくさん聞けました。
まさに生きた声。
実際にその時代を生きた人のリアリティ。
そんなエピソードが聞けたことは大きな収穫でしたし、
それをなるべく解説に織り込んだつもりです。
多くの古写真を見ながら感じたのは、
戦国史でも現代史でも、大なり小なり起こるできごとにはそれぞれ理由があるということでしょうか。
理由や目的がなければ何も起こらないし、建造物もできません。
そして、理由や目的の裏には、人の密やかな企みが隠れているもの。
表面上の名目とは異なる理由と目的です。
そのようなものはとても人間臭くて、最も理にかなっているかもしれません。
全てではありませんが、そんな古写真の裏側に潜む“意図”、
換言すればなぜその写真が撮られたのか、というその理由が透けて見えることがありました。
実際にその時代を生きておらずとも、親近感を覚えることもしばしば。
人の考えること、望むものは、昔からそう変わっていないのかもしれません。
それにしても「昭和」という時代の凄まじさ。
戦前の不況や開戦に至るまでの流れ。
戦中の苦しさと敗戦。
そして、それから経済大国へのし上がっていく日本。
高度経済成長期を迎え、大きく変わっていく町並や人びとの暮らし。
昭和54年生まれの僕は、その時代の終盤を少しかじった程度ですが、
ひいき目に見ても「特殊な時代」だったと思います。
昭和の延長線上に現在があるとはいえ、
その時代の感覚でいまを捉えることはできません。
捉えようとすれば読み違いを起こすでしょう。
昭和生まれの僕もそんな読み違えをすれば、若者との齟齬が生じるのかもしれません。
ちなみに、『行田加須羽生の昭和』のスケジュールはとてもタイトなものでした。
本書に掲載された古写真は、市民から提供されたものが多数です。
担当の編集者は、写真を収集し選定するだけでも大変だったと思います。
本書の編集が個人からの資料提供スタイルなので、
スケジュールがタイトにならざるを得なかったのですが、
もっとじっくり取り組みたいテーマだったと思います。
なお、本書と合わせて、
十年以上前に郷土出版社から刊行された『目で見る行田加須羽生の百年』や
『行田加須羽生の今昔』を見ると、
さらに時を遡ることができると思います。
ところで、これらの古写真集を見ると、
町中を歩きたい衝動に駆られます。
写真に載っている場所を見てみたい。
現在と比べてみたい、と好奇心が湧くのではないでしょうか。
そして、町がいつもと違って見えるかもしれません。
しかし、残念ながらいまは外出自粛の期間。
町歩きは自粛が解除されるまで我慢ですね。
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