クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

北武蔵の“パワースポット”はどこにある?(14)―岡部六弥太の墓―

2010年11月08日 | パワースポット部屋
岡部町の小さな公園に、
“五輪塔”が物々しく並んでいる。
ここは埼玉県指定史跡の“岡部六弥太の墓”である。

岡部氏は武蔵七党の猪俣党の一族であり、
六弥太は“岡部忠澄”(おかべただずみ)と名乗った。
墓および、近くに所在する普済寺一帯が岡部氏の館跡と考えられている。

終始源氏に仕え、一ノ谷の合戦では“平忠度”を討ち取った功績により、
伊勢国に地頭職を拝領した。
奥州藤原氏征伐にも参加しているし、
源頼朝にも認められる武蔵武士だった。

血気盛んな武蔵武士というわけではなく、
慎み深い性格だったらしい。
一ノ谷合戦で討ち取った平忠度のために、
五輪塔と桜をたててその菩提を弔ったと伝えられる。
祟りを恐れたためとも考えられるが、
民に慕われる領主だったようだ。

というのも、岡部六弥太の墓を削って飲むと、
子のない人には子ができ、
乳のでない人には乳が出ると信じられていたという。
そのため、六弥太の五輪塔は歪に変形している。

その武が崇拝されたのか、
それとも徳のある領主だったのか、
亡きあとも六弥太を慕う民は後を絶たなかった。
『新編武蔵風土記稿』には普済寺と六弥太の墓の絵図が収録され、
「五輪塔十三四基並立り、何れも欠損して全からず」と記している。

ちなみに、発掘調査によって五輪塔の下から蔵骨器が出土した。
蔵骨器とは、いわゆる骨壺である。
この蔵骨器は地元産および、
常滑産のものが交ざっていた。
流通や交通を見る上で示唆を投げかけている。

現在の岡部六弥太の墓は囲いに守られ、
墓碑を削ることはできない。
しかし、削られた墓碑は生々しい感じで見ることはできる。
往古よりここがパワースポットだったことが読み取れるだろう。

※最初の画像は県指定「岡部六弥太の墓」
手前が父行忠、次が六弥太で、3基目が六弥太の妻の五輪塔だという。

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2 コメント

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Unknown (うたこ)
2010-11-08 18:59:17
パワースポットで検索していたらこちらに辿り着きました。
お墓を削って飲む…最初にしようと思った人にびっくりですが、それだけのパワーを感じられたのでしょうね^^;
こちらのブログはいろいろ興味深い記事がたくさんですね!
いろいろ拝見させて頂こうと思います^^
返信する
うたこさんへ (クニ)
2010-11-09 06:26:39
コメントありがとうございます。
埼玉県羽生市にはお地蔵さまを削って飲んでいた人もいたので、
「爪の垢を煎じて飲む」ではないですが、
わりと一般的な行為だったのかもしれませんね。
徳のある人や物からパワーをもらおうと……
今後もお気軽に足をお運びくださいね。
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