心が疲れてくると、夏目漱石の『草枕』の書き出しを目にします。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい(『草枕』)。
古い友人と一緒にラーメンを食べる機会がありました。
旧友というのは、例え一緒にお酒を呑めば簡単に酔えるほど気兼ねないものです。
そういえば、彼は中学3年生のときに『吾輩は猫である』を読んでいました。
僕もつられて角川文庫版の同書を購入。
近くの席にいた酒屋の息子は、新潮文庫版を買いに行ったのを覚えています。
高校時代の教科書に『こころ』の第三部が掲載され、
千円札としても親しんだ夏目漱石ですが、40歳を越えて読み返してみると、
共感できる部分もあれば、なんだかなぁと思うところもあります。
例えば『道草』の九十三章。
やや大きな地震が起こると、主人公の健三は奥さんと赤ん坊を構わず一人外へ飛び出します。
四五日前少し強い地震のあった時、臆病な彼はすぐ縁から庭へ飛び下りた。彼が再び座敷へ上って来た時、細君は思いも掛けない非難を彼の顔に投げ付けた(『道草』)
雷や火事より恐いと言われる地震です。
一人逃げ出してしまうのは仕方ないとしましょう。
なんだかなぁと思うのは、そのことに何も感じないことです。
妻からの非難に「思いも掛けない」と感じるその感性です。
小説ゆえ創作なのかもしれません。
漱石はわざとこのような人像を描いている可能性があります。
ただ、『道草』は自伝的要素が強い作品と言われています。
作品の登場人物にはモデルが実在しますし、多少の創作はあっても事実を基にしているようです。
モデルにされた人たちは、『道草』を読んでどう思ったでしょう。
「細君はよく寝る女であった。朝もことによると健三より遅く起きた」と書かれた妻(三十章)
「兄は過去の人であった。華美な前途はもう彼の前に横たわっていなかった」と書かれる兄(三十七章)
「夫婦は何かに付けて彼等の恩恵を健三に意識させようとした」と書かれる養父母(四十一章)。
もっとも、漱石の養父はこの一文にはかなり反発したそうです。
創作のため、漱石そのものに当てはまるわけではありません。
とはいえ、文章を通して人間を見る視線はどこか冷たく、対等に捉えていないように感じます。
神経質でどこか上から目線。
あくまでも、現代人の感覚かもしれませんが。
外国文学については、文化が異なるせいか共感する機会は多くありません。
逆に、首を傾げてしまうことがあります。
例えば、フローベールの『感情教育』。
自分の子どもが亡くなったというのに、長年恋い慕った人が去ってしまったことに悲嘆に暮れる男が出てきます(ややネタバレになるので名前は伏せます)。
そして、我が子を失った女と一緒にむせび泣く男。
あの人は永遠に手のとどかないところへ行ってしまったのだ。まるでわが身を裂かれるような思いだった。朝からこらえていた涙が、堰をきったように流れだした。
女がそれを目にとめた。
「まあ、あなたも泣いているの? 悲しいのね?」
「そうだよ、悲しくてたまらない……」
男は女を抱きしめ、ふたりは抱きあったままむせび泣いた。
(太田浩一訳『感情教育(下)』光文社。※登場人物の名は伏せてあります)
子どもの死よりも恋人との別れに泣く男。
子を持ついま、この男の心情は異世界です。
だからこそ印象深く残るのも確かです。
この小説は歴史的な出来事を絡ませている点で関心を惹くのですが、
どうも男の想いの強さは異文化のように感じます。
ところで、井伏鱒二は太宰治の師だったことは周知の通りです。
その太宰が亡くなったあと、井伏は回想記のようなものをいくつも書いています。
それを一冊にまとめたのが1989年刊行の『太宰治』(筑摩書房)です。
2018年には、同書が中央公論新社から文庫で刊行されました。
太宰治研究の資料と言える内容ですが、エッセイとして読んでも面白いものです。
井伏鱒二の太宰治を見るまなざしにぬくもりを感じます。
井伏の妻の話によると、彼は太宰のことをとてもかわいがり、
その葬儀のときは自分の子どもが死んでも泣かなかったのに涙を流したということです(中公文庫版『太宰治』)
そんな師としての愛情を感じる文章だと思います。
ところが、油断は禁物。
晩年の井伏と太宰の関係は破局に近いものがありました。
加藤典洋の『太宰と井伏』(講談社)によると、太宰は師に対して激烈な怒りを覚えていたということです。
その理由を井伏が知っていたかどうかはわかりません。
ただ、距離を置いていることははっきりわかっていましたし、
太宰による仕打ちも知っていました。
だとすれば、『太宰治』に収録された各原稿を書く井伏の胸中には、一体何があったのでしょう。
単なる回顧や懐かしさだけではなかったはずです。
複雑な感情が渦巻いていた可能性があります。
なぜ太宰が井伏に距離を置いていたのか。
旧知に煩わしさを覚えるように内訌をきたしてきたと井伏は述べていますが、
『太宰と井伏』が論じる内容が事実で、もしそれを知っていたとしたら、
鎮魂、あるいは贖罪の想いが含まれていたかもしれません。
井伏の胸中はなかなか読めません。
その文章を面白く読めても、薄い膜のようなものがあり、彼の心には触れていない印象を受けます。
学生時代に太宰に会った三島由紀夫は、後年『仮面の告白』という小説を書きましたが、
仮面をかぶっているのは井伏鱒二、その人だったのでしょうか。
さて、中学時代に『吾輩は猫である』を読んでいた旧友は42歳になりました。
本厄です。
彼は元気ですが、身の周りで色々あったらしく、話を聞けば僕も似たようなことが起こっていたことに気付きます。
かくいう僕も本厄。
夏目漱石があの頃とは違って読める年になりました。
どんな本でも素直に読みたい反面、
史料批判と言わないまでも、ちょっと斜めに読みたいのが大人かもしれません。
とはいえ、中学生や高校生のときに知った作家たちはまるで旧友のように感じるものです。
あの頃のような感性で再会することはできませんが、
読み返せば新たな発見があります。
それは自分自身の発見でもあるでしょう。
そんな旧友のような作家が1人でもいれば、それは幸せなことかもしれません。
心がちょっと疲れたら、
傷ついたり、悲しいことがあったら、
あるいは行き詰まりを感じたら、
古い友人(昔読んだ本)に再会してみるのもいいかもしれません。
きっと気兼ねなく心を通わせることができるはずだから。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい(『草枕』)。
古い友人と一緒にラーメンを食べる機会がありました。
旧友というのは、例え一緒にお酒を呑めば簡単に酔えるほど気兼ねないものです。
そういえば、彼は中学3年生のときに『吾輩は猫である』を読んでいました。
僕もつられて角川文庫版の同書を購入。
近くの席にいた酒屋の息子は、新潮文庫版を買いに行ったのを覚えています。
高校時代の教科書に『こころ』の第三部が掲載され、
千円札としても親しんだ夏目漱石ですが、40歳を越えて読み返してみると、
共感できる部分もあれば、なんだかなぁと思うところもあります。
例えば『道草』の九十三章。
やや大きな地震が起こると、主人公の健三は奥さんと赤ん坊を構わず一人外へ飛び出します。
四五日前少し強い地震のあった時、臆病な彼はすぐ縁から庭へ飛び下りた。彼が再び座敷へ上って来た時、細君は思いも掛けない非難を彼の顔に投げ付けた(『道草』)
雷や火事より恐いと言われる地震です。
一人逃げ出してしまうのは仕方ないとしましょう。
なんだかなぁと思うのは、そのことに何も感じないことです。
妻からの非難に「思いも掛けない」と感じるその感性です。
小説ゆえ創作なのかもしれません。
漱石はわざとこのような人像を描いている可能性があります。
ただ、『道草』は自伝的要素が強い作品と言われています。
作品の登場人物にはモデルが実在しますし、多少の創作はあっても事実を基にしているようです。
モデルにされた人たちは、『道草』を読んでどう思ったでしょう。
「細君はよく寝る女であった。朝もことによると健三より遅く起きた」と書かれた妻(三十章)
「兄は過去の人であった。華美な前途はもう彼の前に横たわっていなかった」と書かれる兄(三十七章)
「夫婦は何かに付けて彼等の恩恵を健三に意識させようとした」と書かれる養父母(四十一章)。
もっとも、漱石の養父はこの一文にはかなり反発したそうです。
創作のため、漱石そのものに当てはまるわけではありません。
とはいえ、文章を通して人間を見る視線はどこか冷たく、対等に捉えていないように感じます。
神経質でどこか上から目線。
あくまでも、現代人の感覚かもしれませんが。
外国文学については、文化が異なるせいか共感する機会は多くありません。
逆に、首を傾げてしまうことがあります。
例えば、フローベールの『感情教育』。
自分の子どもが亡くなったというのに、長年恋い慕った人が去ってしまったことに悲嘆に暮れる男が出てきます(ややネタバレになるので名前は伏せます)。
そして、我が子を失った女と一緒にむせび泣く男。
あの人は永遠に手のとどかないところへ行ってしまったのだ。まるでわが身を裂かれるような思いだった。朝からこらえていた涙が、堰をきったように流れだした。
女がそれを目にとめた。
「まあ、あなたも泣いているの? 悲しいのね?」
「そうだよ、悲しくてたまらない……」
男は女を抱きしめ、ふたりは抱きあったままむせび泣いた。
(太田浩一訳『感情教育(下)』光文社。※登場人物の名は伏せてあります)
子どもの死よりも恋人との別れに泣く男。
子を持ついま、この男の心情は異世界です。
だからこそ印象深く残るのも確かです。
この小説は歴史的な出来事を絡ませている点で関心を惹くのですが、
どうも男の想いの強さは異文化のように感じます。
ところで、井伏鱒二は太宰治の師だったことは周知の通りです。
その太宰が亡くなったあと、井伏は回想記のようなものをいくつも書いています。
それを一冊にまとめたのが1989年刊行の『太宰治』(筑摩書房)です。
2018年には、同書が中央公論新社から文庫で刊行されました。
太宰治研究の資料と言える内容ですが、エッセイとして読んでも面白いものです。
井伏鱒二の太宰治を見るまなざしにぬくもりを感じます。
井伏の妻の話によると、彼は太宰のことをとてもかわいがり、
その葬儀のときは自分の子どもが死んでも泣かなかったのに涙を流したということです(中公文庫版『太宰治』)
そんな師としての愛情を感じる文章だと思います。
ところが、油断は禁物。
晩年の井伏と太宰の関係は破局に近いものがありました。
加藤典洋の『太宰と井伏』(講談社)によると、太宰は師に対して激烈な怒りを覚えていたということです。
その理由を井伏が知っていたかどうかはわかりません。
ただ、距離を置いていることははっきりわかっていましたし、
太宰による仕打ちも知っていました。
だとすれば、『太宰治』に収録された各原稿を書く井伏の胸中には、一体何があったのでしょう。
単なる回顧や懐かしさだけではなかったはずです。
複雑な感情が渦巻いていた可能性があります。
なぜ太宰が井伏に距離を置いていたのか。
旧知に煩わしさを覚えるように内訌をきたしてきたと井伏は述べていますが、
『太宰と井伏』が論じる内容が事実で、もしそれを知っていたとしたら、
鎮魂、あるいは贖罪の想いが含まれていたかもしれません。
井伏の胸中はなかなか読めません。
その文章を面白く読めても、薄い膜のようなものがあり、彼の心には触れていない印象を受けます。
学生時代に太宰に会った三島由紀夫は、後年『仮面の告白』という小説を書きましたが、
仮面をかぶっているのは井伏鱒二、その人だったのでしょうか。
さて、中学時代に『吾輩は猫である』を読んでいた旧友は42歳になりました。
本厄です。
彼は元気ですが、身の周りで色々あったらしく、話を聞けば僕も似たようなことが起こっていたことに気付きます。
かくいう僕も本厄。
夏目漱石があの頃とは違って読める年になりました。
どんな本でも素直に読みたい反面、
史料批判と言わないまでも、ちょっと斜めに読みたいのが大人かもしれません。
とはいえ、中学生や高校生のときに知った作家たちはまるで旧友のように感じるものです。
あの頃のような感性で再会することはできませんが、
読み返せば新たな発見があります。
それは自分自身の発見でもあるでしょう。
そんな旧友のような作家が1人でもいれば、それは幸せなことかもしれません。
心がちょっと疲れたら、
傷ついたり、悲しいことがあったら、
あるいは行き詰まりを感じたら、
古い友人(昔読んだ本)に再会してみるのもいいかもしれません。
きっと気兼ねなく心を通わせることができるはずだから。
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