明治維新で新しい時代を迎えると、
藩のシンボル的存在であった城は次々に取り壊されていきました。
関東七名城のひとつ忍城(埼玉県行田)も、
明治6年(1873)に取り壊しが作業開始。
二の丸から始まり、城門や曲輪は次々に消滅していきました。
その中のひとつ“北谷門”は田村重兵衛という者に払い下げられ、
明治22年(1889)に總願寺(同県加須)に移築したことは前に述べました。
(「子ども昔語り(47)参照」)
実は加須(かぞ)には、もうひとつ取り壊された城の門が存在するといいます。
その城の名は“古河城”。
茨城県古河市に所在し、かつて“古河公方”の拠点であり、
江戸時代には徳川幕府の大老“土井利勝”が城主に就いたこともあった城でした。
しかし、時代は流れ明治維新を迎えると、古河城も廃城令を受けます。
忍城の取り壊しと同じ年に解体作業が開始。
水運の要所に建ち、関東の動乱期にはその中心にあった古河城は
かくしてことごとく解体されていったのです。
このとき古河城の城門に目をつけたのは、加須に住む小林家。
実は解体作業から遡ること5年前の慶応4年(1868)、
“羽生陣屋”の焼き払いを機に北埼玉地方で起こった“農民暴動”によって、
小林家の母屋と門は焼失していました。
そこで家の主は古河城の城門(裏門)を買い受け、
自宅に移築したと伝えられています。
『かぞの歴史散歩』(加須市教育委員会)には、
門は一般に見かけるものとは異なり、鉄ビョウ、
八双つがいなどの金具を打ちつけた重厚なその姿は、
昔をしのぶに十分な迫力を今に残しています。
と記し、その門の写真を掲載(画像参照)。
忍城と同様にほかの建築物や遺構はことごとく破壊されましたが、
その門だけがいまも加須で時を重ねています。
藩のシンボル的存在であった城は次々に取り壊されていきました。
関東七名城のひとつ忍城(埼玉県行田)も、
明治6年(1873)に取り壊しが作業開始。
二の丸から始まり、城門や曲輪は次々に消滅していきました。
その中のひとつ“北谷門”は田村重兵衛という者に払い下げられ、
明治22年(1889)に總願寺(同県加須)に移築したことは前に述べました。
(「子ども昔語り(47)参照」)
実は加須(かぞ)には、もうひとつ取り壊された城の門が存在するといいます。
その城の名は“古河城”。
茨城県古河市に所在し、かつて“古河公方”の拠点であり、
江戸時代には徳川幕府の大老“土井利勝”が城主に就いたこともあった城でした。
しかし、時代は流れ明治維新を迎えると、古河城も廃城令を受けます。
忍城の取り壊しと同じ年に解体作業が開始。
水運の要所に建ち、関東の動乱期にはその中心にあった古河城は
かくしてことごとく解体されていったのです。
このとき古河城の城門に目をつけたのは、加須に住む小林家。
実は解体作業から遡ること5年前の慶応4年(1868)、
“羽生陣屋”の焼き払いを機に北埼玉地方で起こった“農民暴動”によって、
小林家の母屋と門は焼失していました。
そこで家の主は古河城の城門(裏門)を買い受け、
自宅に移築したと伝えられています。
『かぞの歴史散歩』(加須市教育委員会)には、
門は一般に見かけるものとは異なり、鉄ビョウ、
八双つがいなどの金具を打ちつけた重厚なその姿は、
昔をしのぶに十分な迫力を今に残しています。
と記し、その門の写真を掲載(画像参照)。
忍城と同様にほかの建築物や遺構はことごとく破壊されましたが、
その門だけがいまも加須で時を重ねています。
確かに總願寺の黒門に比べると、小林氏の門は個人宅ということもあってか、大きく取り上げていないかもしれませんね。
私自身、小林氏と直接お会いしたことはなく、このような記事を書いてしまったことにお叱りを受けるかもしれません。
ですので、私の口から小林氏のお宅について申すことは気が憚れます。
ただ、この記事を書くにあたって、『かぞの歴史散歩』という本を参考にしました。
1991年に加須市教育委員会が出版したものです。
その本の中に小林氏の住所が記載されていたかどうか忘失してしまいましたが、
加須の図書館が所蔵していますので、
そちらを参考にしていただければと思います。
一般書コーナーではなく、郷土資料コーナーにあるはずです。
心もとないコメントで恐縮ですが、ご了解いただければと思います。
しかしプライバシーの問題、心無い見学者に自邸を散策されることを快く思わない方がいらっしゃることも理解しておりますので、仰る通り郷土資料を紐解く中から見当をつけることができればと思います。
古河城のどの門(大手門等)なのか特定はされているのでしょうか?
私の方は把握していません。
『かぞの歴史散歩』に載っていたようなそうでないよな……
手元にないいま、ちょっと確認ができない状態です。
わかり次第、それが公の情報であれば拙ブログに追加したいと思います。
いまは寺の関係者が仏像を売り払ってしまう世の中で、
心もとない者による盗難も多発しています。
拙ブログに記事を書くときもかなり気を遣っていますが、
理想としては地域の人たちが身近な文化を知り、
誇りに思う町作りをしていただけたらと思っています。
個人で知り得た情報は書けず、
公になっているものをおおよそ取り上げています。
身近な文化を語り継ぎ、後世に残していきたいですね。
御当主に許可をいただいて門の表裏を拝見させていただきました。さすがは大藩の城、豪壮かつ重厚な門で柱の太さ、一枚板の門扉、飾り金具といい総願寺の忍城門以上の存在感があり、画像では伝わらない現物が持つ力の大きさを改めて感じました。
その後、私市城、菖蒲城を散策し夕刻となり帰路に就きましたが、今度は羽生城まで足を延ばしたいと思います。
貴重な情報をありがとうございました。
加須で古河城の門、私市城、菖蒲城の散策……
充実した一日をお過ごしになられたようですね。
観光地化はされていませんが、
機会がありましたら羽生城もぜひ足をお運びください。
良き散策になりますように……