クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

解けぬ誤解のまま、また春が来て

2023年02月04日 | ブンガク部屋
彼女に恋愛感情を持ったことは一度もない。
年上の彼氏がいて、雨の日、映画館近くの薬局へ一緒に行ったときも何とも思わなかった。
「私のこと軽蔑する?」と言った彼女に、「軽蔑なんかしないよ」と答えたのは僕の本音だった。

それなのに、僕が恋愛感情を抱いていると思ったらしい。
隠れてバイクに乗るクラスメイトから、内緒話のようにそう聞かされた。

彼女と僕は友だちだった。
まばたきするほどの一瞬間だけ、接点を持った同級生だった。
放課後の書店で偶然顔を合わせ、そのまま利根川の土手を駆け上ったのをきっかけに一緒に遊ぶようになったのだけど、
僕はその頃消えない悲しみに髪が白くなりかけ、
彼女は誰にも言えない不安を抱えていた。

放課後に会ったのはほんの気まぐれでも、彼女と過ごす時間は優しかった。
必要とされたくて、会う約束を交わした。
でも、薬局へ行って数日ののち、彼女は一方的に僕を突き放した。
三学期終業式の放課後に電話を切られ、また一人になった。

春休みが明けると、彼女とクラスが一緒という皮肉な現実が待っていた。
しかし、空高く飛んでいった風船は二度と戻らぬものらしい。
一年間同じ教室だったのに、すれ違うこともなく、席も不思議と遠かった。
目が合うことも、日直もかぶらず、さよならも言わず、三月に離ればなれになった。
一年前の記憶が嘘のように、
彼女は一度も話したことのないクラスメイトよりもずっと遠くに見えた。

以来、偶然どこかで会うこともなく、30年近い歳月が流れた。
偶然会ったのは、彼女の父親の方だった。
いつかの放課後の書店のように、キツネのいる神社の境内に父親はにこやかに立っていた。

目元がどこか彼女と似ていた。
ふと懐かしさのようなものを覚えた。
が、むろん気まぐれのように過ぎていったあの頃の時間や誤解を父親が知るはずもなく、
ただ彼女が元気で過ごしていることを聞いた。
嫁いで東京に住み、母親になったという。

「相田みつを」の詩集はまだ持ってますか? 
そう訊きかけてやめた。
彼女は相田みつをの詩が好きだった。
放課後の書店で会ったときも、ちょうど相田みつをの詩集を買っているところだった。
もし、それが銀色夏生や宮澤賢治だったならば、何かが違っていたかもしれない。

誤解なんです、と言えるはずもなく、
それ以前に僕のことなどとっくに忘れているだろう。
思い出話を口にしたところでそれは野暮というもので、
記憶の中の解けぬ誤解は、この先いくつもの春を越えてもそのままに違いない。

別にそれでもかまわない気がした。
一年間同じ教室にいても、誤解を解こうとしなかったのだ。
年上の彼氏に嫉妬めいた感情を抱いたことのなかった僕にとって、
彼女にどう思われようが何でもよかったのかもしれない。
ただ、友だちですらなくなってしまったことが、心に隙間を覚えた。

気まぐれに過ぎ去った人には、
かけ違いの時間があるらしい。
かみ合わぬ想いはすぐに忘れると思っていたのに、
そう単純なものではないらしい。
回収されなかった伏線のように、花火は打ち上がらず、仄かな光のまま消えていく。

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