びっくりしました。
虚を突かれ、しばし放心。
そのあと起こったのが笑い……。
時間が経つほどその笑いは大きくなって……
19日00:10分にNHKで放送された「18年目の学園祭~大人計画フェスティバル」。
俳優の大沢たかおを案内役として、
ドキュメンタリー風に造られていたのですが、
最後にあのようなどんでん返しがあるとは思いませんでした。
まさに「大人計画」ならではの発想。
もはやドキュメンタリーの枠を超えています。
「大人計画」は周知のように松尾スズキ氏率いる劇団。
そのメンバーは、もはやメディアでおなじみになった「宮藤官九郎」「阿部サダヲ」
「猫背椿」「村杉蝉之介」「宮崎吐夢」「荒川良々」などの個性派揃いです。
劇団を結成して18年目を迎えた2006年、
初心に返る意味を含めて「大人計画フェスティバル」が開催されたのが、
同年9月9日(土)、10日(日)でした。
その様子をドキュメンタリー風にまとめたのが今回の番組だったのですが、
最後に視聴者をあっと驚かせる結末が待っていたのです。
「ああ、うまいなぁ」とつくづく感心してしまいました。
それは“工夫”であり“遊び”の何ものでもありません。
いわば型にはまっていない自由さが滲み出ています。
何気なく見た番組だったのですが、
深夜放送では勿体ない気がしました。
“自由”と“バカ”はよく似ています。
歳を重ねるごとに型にはまり、
“普通”になっていく人々がほとんどの世界で、
「大人計画」はバカと自由に満ちあふれています。
それは“遊び”に近い感覚でしょう。
“楽しさ”も含まれているかもしれませんが、
素人のそれとは一線を画すものです。
彼らはすでに自分の殻を破り、“自由”の幅が違います。
そんな自由人の発想がおりなす世界の豊かさに、
人は惹かれ憧れるのでしょう。
この「大人計画」のエネルギー源となっているものは、
おそらく“笑い”です。
ただし、単なる面白可笑しい“笑い”でありません。
彼らが題材をしているのは、いずれも“負”であり、
それを笑いに転換せしめているところに、「大人計画」の凄さがあります。
一般的に「大人計画」の作品は、差別用語が頻繁に使われ、
世間的なタブーが題材になっていると言われますが、
これは負を笑いに転換する力を内包しているがためです。
いわば「悪運で何が悪い」の開き直りがあり、
負を逆手にとった奇抜な発想が根幹にあるのです。
「大人計画」のメンバーが、ひときわ個性的に見えるのはそのためでしょう。
すなわち、彼らはいずれも“負”を抱えた者たちです。
スター性を兼ね備えた容貌をしているわけではなく、
「子供時代にいい思い出がなかった」と松尾スズキ氏が言うように、
鬱屈を背負って生きてきたような者たちばかりです(ぼくが見た限り)。
しかし、彼らはその部分を逆手に取り、“個性”へと転換しています。
メディアに登場し、癖のある演技をするのは、
抜群の演技力を持っているわけではなく、
負が彼らのキャラを燦然と輝かせているからです。
コンプレックスをそのまま“負”として捉えてはいけません。
ほかの誰もが真似することのできないその負=個性を捨ててしまうのは勿体ない。
「××で何が悪い」と開き直ったところに、
それまでとは別のものが見えてくるはずです。
そうしたメッセージと手段を織り交ぜているのが、「大人計画」なのでしょう。
ここに、この劇団の人気の秘密がある気がします。
最初に書いたように、
番組が終わってもクスクスと笑いが止まりませんでした。
思い出すほど笑いがこみ上げ、頭の中でリプレイしてしまいます。
おそらくそうした狙いもあったのでしょう。
これを書いているいまも、なんだか楽しい気分になってくるのでした。
※画像の人は“クドカン”こと「宮藤官九郎」氏です。
虚を突かれ、しばし放心。
そのあと起こったのが笑い……。
時間が経つほどその笑いは大きくなって……
19日00:10分にNHKで放送された「18年目の学園祭~大人計画フェスティバル」。
俳優の大沢たかおを案内役として、
ドキュメンタリー風に造られていたのですが、
最後にあのようなどんでん返しがあるとは思いませんでした。
まさに「大人計画」ならではの発想。
もはやドキュメンタリーの枠を超えています。
「大人計画」は周知のように松尾スズキ氏率いる劇団。
そのメンバーは、もはやメディアでおなじみになった「宮藤官九郎」「阿部サダヲ」
「猫背椿」「村杉蝉之介」「宮崎吐夢」「荒川良々」などの個性派揃いです。
劇団を結成して18年目を迎えた2006年、
初心に返る意味を含めて「大人計画フェスティバル」が開催されたのが、
同年9月9日(土)、10日(日)でした。
その様子をドキュメンタリー風にまとめたのが今回の番組だったのですが、
最後に視聴者をあっと驚かせる結末が待っていたのです。
「ああ、うまいなぁ」とつくづく感心してしまいました。
それは“工夫”であり“遊び”の何ものでもありません。
いわば型にはまっていない自由さが滲み出ています。
何気なく見た番組だったのですが、
深夜放送では勿体ない気がしました。
“自由”と“バカ”はよく似ています。
歳を重ねるごとに型にはまり、
“普通”になっていく人々がほとんどの世界で、
「大人計画」はバカと自由に満ちあふれています。
それは“遊び”に近い感覚でしょう。
“楽しさ”も含まれているかもしれませんが、
素人のそれとは一線を画すものです。
彼らはすでに自分の殻を破り、“自由”の幅が違います。
そんな自由人の発想がおりなす世界の豊かさに、
人は惹かれ憧れるのでしょう。
この「大人計画」のエネルギー源となっているものは、
おそらく“笑い”です。
ただし、単なる面白可笑しい“笑い”でありません。
彼らが題材をしているのは、いずれも“負”であり、
それを笑いに転換せしめているところに、「大人計画」の凄さがあります。
一般的に「大人計画」の作品は、差別用語が頻繁に使われ、
世間的なタブーが題材になっていると言われますが、
これは負を笑いに転換する力を内包しているがためです。
いわば「悪運で何が悪い」の開き直りがあり、
負を逆手にとった奇抜な発想が根幹にあるのです。
「大人計画」のメンバーが、ひときわ個性的に見えるのはそのためでしょう。
すなわち、彼らはいずれも“負”を抱えた者たちです。
スター性を兼ね備えた容貌をしているわけではなく、
「子供時代にいい思い出がなかった」と松尾スズキ氏が言うように、
鬱屈を背負って生きてきたような者たちばかりです(ぼくが見た限り)。
しかし、彼らはその部分を逆手に取り、“個性”へと転換しています。
メディアに登場し、癖のある演技をするのは、
抜群の演技力を持っているわけではなく、
負が彼らのキャラを燦然と輝かせているからです。
コンプレックスをそのまま“負”として捉えてはいけません。
ほかの誰もが真似することのできないその負=個性を捨ててしまうのは勿体ない。
「××で何が悪い」と開き直ったところに、
それまでとは別のものが見えてくるはずです。
そうしたメッセージと手段を織り交ぜているのが、「大人計画」なのでしょう。
ここに、この劇団の人気の秘密がある気がします。
最初に書いたように、
番組が終わってもクスクスと笑いが止まりませんでした。
思い出すほど笑いがこみ上げ、頭の中でリプレイしてしまいます。
おそらくそうした狙いもあったのでしょう。
これを書いているいまも、なんだか楽しい気分になってくるのでした。
※画像の人は“クドカン”こと「宮藤官九郎」氏です。
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