町のあちこちで満開に咲くアジサイを見かけるようになりました。
車を運転していても、つい止まって見つめたくなります。
天気も雨か曇りが好きなので、個人的には6月は情緒的で詩的に感じます。
ところで、アジサイを見るとふと思い浮かぶのはジッタリンジンの「相合傘」。
17歳のときに初めて知った曲ですが、41歳になったいまも聴き続けています。
歌詞に描かれる「紫陽花」は、不思議とあの頃よりも詩的です。
帰り道 回り道 君がとおる公園で
六月の雨に光る 紫陽花を見つけた
(作詞:破矢ジンタ)
「雨に光る」ということは、雨上がりなのでしょう。
アジサイの花言葉は「移り気」。
「相合傘」の歌詞に“移り気”の要素はありませんが、
人の心は恋愛に限らず色とりどりのアジサイの花のようかもしれません。
歌詞に植物が出てくる曲として、GLAYの『BELOVED』もあります。
この曲に登場するのは「向日葵」。
もうどれくらい歩いてきたのか?
街角に夏を飾る向日葵
面倒な恋を投げ出した過去
想い出すたび切なさ募る
(作詞:TAKURO)
GLAYの数ある曲の中で『BELOVED』を聴き続けているのは、
出会ったのが1996年だったのと、「向日葵」が出てくるからなのかもしれません。
そもそも、植物の名前がタイトルについている曲もあります。
ゼルダの「金木犀」もその一つ。
同名の曲はほかにもたくさんありますが、
24年間聴き続けている意味ではダントツです。
そのほか、松任谷由実さんの「春よ、来い」に登場する“沈丁花”。
たまの「さよなら人類」に出てくる“ブーゲンビリア”。
実際にその植物が身近にあったわけではないのですが、とても愛着を感じます。
曲を通して親しんだからなのでしょう。
このように、植物の登場する曲を挙げたらきりがありません。
日本で登場率が最も高いのは、やはり「桜」でしょうか。
曲ではありませんが、昨年の夏に書いた小説「ムジナモの彼女」(「文芸埼玉102号」掲載)は、
植物の名前をタイトルに入れました。
作中の植物も意図して登場させたものです。
僕は決して植物に強い関心があるわけではないのですが、
音楽や小説、詩などの作品に登場するのは別なのかもしれません。
そういえば、田山花袋の小説『田舎教師』も多くの植物が出てきますね。
細部として描かれる植物。
言い換えれば、植物が人間模様や心、あるいは状況を語っているもの。
神は細部に宿ると言いますが、人間が口で説明するより饒舌に語りかけてきます。
そんな細部としての植物に惹かれるのでしょう。
アジサイは比較的長い開花期間です。
桜や金木犀と違って、雨が降っても散ってしまうことはありません。
むしろ、雨に濡れた方が色鮮やかに見えます。
できることなら、アジサイを花瓶に入れて飾りたい。
雨のそぼ降る日、人知れず咲くアジサイを見つめていたい。
いつまでも咲き続け、町を彩っていてほしい。
そんな想いがよぎります。
イレギュラーなことが続く2020年、
街角に咲くアジサイはどんな風に人々の目に映っているのでしょう。
車を運転していても、つい止まって見つめたくなります。
天気も雨か曇りが好きなので、個人的には6月は情緒的で詩的に感じます。
ところで、アジサイを見るとふと思い浮かぶのはジッタリンジンの「相合傘」。
17歳のときに初めて知った曲ですが、41歳になったいまも聴き続けています。
歌詞に描かれる「紫陽花」は、不思議とあの頃よりも詩的です。
帰り道 回り道 君がとおる公園で
六月の雨に光る 紫陽花を見つけた
(作詞:破矢ジンタ)
「雨に光る」ということは、雨上がりなのでしょう。
アジサイの花言葉は「移り気」。
「相合傘」の歌詞に“移り気”の要素はありませんが、
人の心は恋愛に限らず色とりどりのアジサイの花のようかもしれません。
歌詞に植物が出てくる曲として、GLAYの『BELOVED』もあります。
この曲に登場するのは「向日葵」。
もうどれくらい歩いてきたのか?
街角に夏を飾る向日葵
面倒な恋を投げ出した過去
想い出すたび切なさ募る
(作詞:TAKURO)
GLAYの数ある曲の中で『BELOVED』を聴き続けているのは、
出会ったのが1996年だったのと、「向日葵」が出てくるからなのかもしれません。
そもそも、植物の名前がタイトルについている曲もあります。
ゼルダの「金木犀」もその一つ。
同名の曲はほかにもたくさんありますが、
24年間聴き続けている意味ではダントツです。
そのほか、松任谷由実さんの「春よ、来い」に登場する“沈丁花”。
たまの「さよなら人類」に出てくる“ブーゲンビリア”。
実際にその植物が身近にあったわけではないのですが、とても愛着を感じます。
曲を通して親しんだからなのでしょう。
このように、植物の登場する曲を挙げたらきりがありません。
日本で登場率が最も高いのは、やはり「桜」でしょうか。
曲ではありませんが、昨年の夏に書いた小説「ムジナモの彼女」(「文芸埼玉102号」掲載)は、
植物の名前をタイトルに入れました。
作中の植物も意図して登場させたものです。
僕は決して植物に強い関心があるわけではないのですが、
音楽や小説、詩などの作品に登場するのは別なのかもしれません。
そういえば、田山花袋の小説『田舎教師』も多くの植物が出てきますね。
細部として描かれる植物。
言い換えれば、植物が人間模様や心、あるいは状況を語っているもの。
神は細部に宿ると言いますが、人間が口で説明するより饒舌に語りかけてきます。
そんな細部としての植物に惹かれるのでしょう。
アジサイは比較的長い開花期間です。
桜や金木犀と違って、雨が降っても散ってしまうことはありません。
むしろ、雨に濡れた方が色鮮やかに見えます。
できることなら、アジサイを花瓶に入れて飾りたい。
雨のそぼ降る日、人知れず咲くアジサイを見つめていたい。
いつまでも咲き続け、町を彩っていてほしい。
そんな想いがよぎります。
イレギュラーなことが続く2020年、
街角に咲くアジサイはどんな風に人々の目に映っているのでしょう。
仕事も何が正解で何がNGなのか
五里霧中の様な気がしますが
紫陽花は何事もなく今年も咲いていますね
そういえば…大平山神社参道の紫陽花も
久しく見ていない…それほど振り回されている
自分が滑稽で ときの過ごし方を見直す
いい時期に来ていると信じたい
もう夏ですね。
まだまだ予断を許さない状況で、何がよくて悪いのか悩むことも多々あります。
悩むと言えば、いま羽生城に関係する原稿を推敲していますが、何が史実か否かわからないことだらけです。
新出資料を含めて羽生城に関する資料はひと通り触れているつもりでも、その資料をどう読みどう捉えるかで左右されます。
悩み、苦しみ、書きあぐね、なかなか手が回らない拙ブログ。
こんなご時世ですが、なるべく前向きな気持ちでいたいものです。