The Last Rose of Summer
Thomas Moore
'Tis the last rose of summer,
Left blooming alone,
All her lovely companions
Are faded and gone.
No flow'r of her kindred
No rosebud isnigh
Toreflect back her blushes,
I'll not leave tree, thou lone one,
To oine on the stern,
Since thelovely are sleeping,
Go, sleep thou with them.
Thus kindly I'll scatter
Thy leaves o'er The bed,
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.
So soon may I follow
When friendships decay;
And from love's shining circle
The gems drop away!
When true hearts lie wither'd,
And fond ones are flow'n
Oh! who world inhabit
This bleak world alone?
* * * * * * * *
夏の名残の薔薇
それは夏の名残の薔薇
一輪だけ咲き残る
美しき仲間たちはすでに
色褪せ散っていった
ともに咲く花もなく
小さな蕾すらない
ため息を分かち合う
あなたをけして独りにはしない
茎の上で枯れ行くがために
美しき者たちは眠れるがゆえ
行きなさい、共に眠るがいい
そして私はあなたを手折り
土の上に優しく散らすだろう
その庭のあなたの友だちが
香りなく散り敷く場所に
まもなく私も後に続くだろう
友情が消えてゆく時に
そして愛の輝ける輪から
宝石たちがこぼれ落ちる
真実の心が枯れてしまい
愛しき者たちも去って行く
ああ、誰が生きて行けようか
この荒野のごとき世界に独りきりで
以前にも紹介した「庭の千草」の元の詩だ。
霜枯れの直前まで咲いている薔薇を見かけると、決まって思い出すのがこの歌だ。
と言うのも、ちょっとばかり訳がある。
いや、どうって事無い話しなんだけどね。
もう10年ちょっと前になるなぁ。
当時住んでいたところのご近所さんにイタリア人の指揮者が居て、ときどき手伝いなんかしてたことがあったんだけど。
5月の初め頃、まだやっと新緑と言っていい気候だというのに、彼と、それに彼と一緒に暮らしていた日本人のおばさん(ま、僕の友達でもあったんだけれど)が、ふとこんな事を漏らした。
「ほんとに暑いわねぇ、まるでイギリスの真夏みたいだわ。」
そのあと彼も続けて、「もうじき息子がイタリアから日本に来るのに、こう暑くちゃかなわない」とかなんとか。
「日本に帰ってきてから、ソバカスがひどくなって....。」
彼女は、オノヨウコとヤノアキコをたして、もうちょっと美人にした感じ。
2人とも、イギリスでの暮らしが長かったのだ。
ヴォーン・ウィリアムスやブリテン、ホルスト、ペーター・ワーロックなんかのことを読んでると、あのはっきりしないイギリスの気候風土のことが必ずと言っていいほどに紹介されるのだけれど、こんな風に目の前でうんざりされると、確かにそうなのかも知れないなぁなんて、妙に実感させられてしまったり。
で、日本の感覚で言えば、夏をとっぱずしてそのまま秋になっちまうらしいのだ。
そう、あちらから来た薔薇にも、日本の夏は耐え難い季節らしいのだね。
力無い夏の日差しと、朝靄や霧に包まれてはっきりしない空、しっとりとした風。
そんな気候が、あの国の音楽にも独特の湿度を与えているのだとか。
そんなことを思い出しながら、冬の入り口に佇んでいる薔薇の花を見ると、日本の今頃の気候が丁度イギリスの秋にあたるんだろうなぁ、なんて事を思い起こさせたりするのだ。
ただ、それだけの話し。
それにしても、例年ならうやむやになって終わってしまう東京の紅葉も、今年ばかりはいやに豪奢な紅に染まっている気がする。
ここ数年というもの、
山でもなかなかお目にかかれなかったほどの赤が、街中の公園で楽しめるなんて、まぁなんて贅沢なことでしょう。
この深紅。
もう、空恐ろしいほどの美しさじゃありませんか。
世の中は、紅葉ばかりが美しいとな。
Oh! who world inhabit
This bleak world alone?
いや、それでも、この世は限りなく美しいと言おう。
果てしなく、底知れぬ美しさに満たされていると。
N'est-ce pas?
ね、そうでしょう?