いくつになっても「こんなのはじめて~!」って言う経験はあるものだね。
詳しいことは、後日。
先日のシベリウスフェスティバルでのこと。
グリーグのあの有名な弦楽合唱曲[二つの悲しき旋律]、
元々は歌曲だった物を作曲家自身が編曲した物なんだけど。
「過ぎし春」とか「過ぎゆく春」とか訳されていた作品が、
実は「最後の春」というタイトルだったと言う話し。
"Letzter Fruhling"(Last spring:「過ぎにし春」)
となっているケースが多いのだけれど、
詩を読んでみると、「今年も春を迎えることができた」
「雪が融けるのを見ることができた」などとあって、
つまりこれは最後の春を迎えた歌だったという訳なのだね。
ただのノスタルジーどころではない、
この世の春の見納めの歌。
そう思って聴くと、鬼気迫る物があって、感動を新たにするのだけれど、
歌詞が取り外されているのでそう言うゴカイは、まぁしかたないのかとも。
この曲、元々は歌曲だったんで、言葉に頼っている側面もかなりあるって訳なんだよね。
元々が器楽曲だったホルベルグなんかとは、
ちょっとちがうんだねぇなんて思ったりしたのであった。
それにしても、国内のCDは軒並み「過ぎし春」とか「過ぎゆく春」だってのも
ねぇ.......。
ディーリアスの"On Hearing the First Cuckoo in spirng" 「春初めての郭公を聞いて」もたまに「春を告げるカッコウを聴いて」とか「春を告げるカッコウ」なんてタイトルになっていたりする。
こっちの方は、物を知らないにもほどがある。
郭公は初夏の訪れを告げる鳥なのだからと、あっさり反論できる。
けれど、「初めての春」か「最後の春か」というのは、
どちらもあり得る個人的なことなので、状況判断を誤るととんでもない誤解を生じかねないね。
別の話になるんだけれど、「初めての春」って言う、僕の大好きな絵がある。
ロシアの絵描きの作品だったと思うのだけれど、誰だったか思い出せない。
作家の名前は忘れてしまったけれど、その絵は今でも克明に思い出せるのだ。
エッチングの作品だった。花盛りの深い木陰の下、
ゆりかごの中で赤ちゃんが目を見開いている。
初めての春に驚きながら、花盛りの梢に見入っている。
大学に入ってから、ある写真の雑誌におなじ心で撮られた写真が紹介されていたのを憶えている。
たぶんその人も、僕とおなじ感動に突き動かされて撮ったんだと思っている。
花盛りの尾瀬の木道を、後ろ向きに背負子に乗せられた赤ちゃんが、
やはり目を見張って、ただただ目を見張ってお父さんの背中で揺られている。
どちらも30年以上も前に一度見たきりなのに、忘れられないでいる。
ところで、「こんなのはじめて~!」っていうのをたまに言われる。
名付けようのない未知の感覚にとまどいながらも満たされていく様を見るとき、
いつも少しばかり感動を覚えたりする。
もっとも、それが演技かどうかぐらい、わからないようではお話しになりませんがね。
"愛情こそは最高の媚薬"なんちて。
http://windy.vis.ne.jp/art/lib/grieg.htm
詳しいことは、後日。
先日のシベリウスフェスティバルでのこと。
グリーグのあの有名な弦楽合唱曲[二つの悲しき旋律]、
元々は歌曲だった物を作曲家自身が編曲した物なんだけど。
「過ぎし春」とか「過ぎゆく春」とか訳されていた作品が、
実は「最後の春」というタイトルだったと言う話し。
"Letzter Fruhling"(Last spring:「過ぎにし春」)
となっているケースが多いのだけれど、
詩を読んでみると、「今年も春を迎えることができた」
「雪が融けるのを見ることができた」などとあって、
つまりこれは最後の春を迎えた歌だったという訳なのだね。
ただのノスタルジーどころではない、
この世の春の見納めの歌。
そう思って聴くと、鬼気迫る物があって、感動を新たにするのだけれど、
歌詞が取り外されているのでそう言うゴカイは、まぁしかたないのかとも。
この曲、元々は歌曲だったんで、言葉に頼っている側面もかなりあるって訳なんだよね。
元々が器楽曲だったホルベルグなんかとは、
ちょっとちがうんだねぇなんて思ったりしたのであった。
それにしても、国内のCDは軒並み「過ぎし春」とか「過ぎゆく春」だってのも
ねぇ.......。
ディーリアスの"On Hearing the First Cuckoo in spirng" 「春初めての郭公を聞いて」もたまに「春を告げるカッコウを聴いて」とか「春を告げるカッコウ」なんてタイトルになっていたりする。
こっちの方は、物を知らないにもほどがある。
郭公は初夏の訪れを告げる鳥なのだからと、あっさり反論できる。
けれど、「初めての春」か「最後の春か」というのは、
どちらもあり得る個人的なことなので、状況判断を誤るととんでもない誤解を生じかねないね。
別の話になるんだけれど、「初めての春」って言う、僕の大好きな絵がある。
ロシアの絵描きの作品だったと思うのだけれど、誰だったか思い出せない。
作家の名前は忘れてしまったけれど、その絵は今でも克明に思い出せるのだ。
エッチングの作品だった。花盛りの深い木陰の下、
ゆりかごの中で赤ちゃんが目を見開いている。
初めての春に驚きながら、花盛りの梢に見入っている。
大学に入ってから、ある写真の雑誌におなじ心で撮られた写真が紹介されていたのを憶えている。
たぶんその人も、僕とおなじ感動に突き動かされて撮ったんだと思っている。
花盛りの尾瀬の木道を、後ろ向きに背負子に乗せられた赤ちゃんが、
やはり目を見張って、ただただ目を見張ってお父さんの背中で揺られている。
どちらも30年以上も前に一度見たきりなのに、忘れられないでいる。
ところで、「こんなのはじめて~!」っていうのをたまに言われる。
名付けようのない未知の感覚にとまどいながらも満たされていく様を見るとき、
いつも少しばかり感動を覚えたりする。
もっとも、それが演技かどうかぐらい、わからないようではお話しになりませんがね。
"愛情こそは最高の媚薬"なんちて。
http://windy.vis.ne.jp/art/lib/grieg.htm