とある大人な方のサイトからの抜粋。
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夜と朝のあいだに | Peter (1969)
1969年というと、アメリカではストーンウォール事件が起きた年なんです。それまでアンダーグラウンドな存在であったゲイが横暴な警官の仕打ちに反乱を起こし、自らの生存場所を求めるべく立ち上がった時期です。
「彼は男とか女とかホモとかそういうんじゃないんです。ピーターっていう性別なんです。」
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翌1970年は、大阪万博の年。バラ族が創刊されて朝日新聞トップの書籍広告欄に載っていた。
三島由紀夫が自決して、僕は高校1年生だった。
じつは、この2年間、僕は僕のことを書いたことが一度もなかったのだ。
1度だけあるか。ゲストブックのプロフィールがそれだね。
1ファンを名乗る者がどんな人物であるか、
そんなことはどうでも良いことだからねぇ。
ただ、例のクリスマス前のごたつきでちょっと考えたのだよ。
現時点でのべ71814件のアクセスしかない裏ページだけれど、
そんな物は必要ない、23049件もアクセスのある表ページだけあれば十分だという彼の意見に、
実のところ僕は同感したりもしていたのであった野田野田野田秀樹。
一時期好き好き爺日記みたいにしてたけど、
あれって閉鎖になっちゃったセトちゃんとこのアンチテーゼだったのよね。
タネをあかせばノンスメル>わかる人いね~よ
われは傷口にして刃、いけにえにして刑吏
ボードレール『悪の華』の一節
ってのを、サブタイトルに掲げるにあたって(って、どうせすぐ次のに入れ替えるんだけどさ)、
僕のことを少しも書かないのはフェアーじゃないかななんて思ってね。
色ぼけ爺サイト状態を注意深く読んだ人なんていないだろうから、
あえて書く必要もないんだろうけど、
誰かさんに関する僕の感想のような物ばかり書いてきたんで、
さすがに僕も飽きてきたって言うのかしらん。>汎用性?無いし
スタンス的には、とてもはた迷惑なあり方だったんで、
彼のファンからも僕のファン?からもいやがられる内容だったと、
ほほえみながら思い起こしたりなんかして。>ぼかすかっ!!
あ、でも、安心してくださいね。
ここをこれ以上に、評判の悪い爺の世迷い言掲示板にするつもりはありませんから。
それと、ホームページをそろそろリニューアルする時期かななんて思ってもいるのだよ。
今の状態だと、リンクをお願いするにも、
相手からしてみれば黒子と話しをしているという気持ち悪さは避けられないのでねぇ。
まぁ、いつになったらヤルかはわからないんですけどね。
何となく、そんなことを考えたりなんかしてね。
あ、ファンサイトというスタンスは続行しますよ。乗りかかった船ですから。
アクセス件数、減るだろうなぁ。
その分、表サイトが頑張ってくれればいいことだから。
おいら、アマチュアだし。ぶはは(毒?