くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景062 第55景 佃しま住吉の祭 佃島の船渡御(3)

2013年08月06日 12時45分32秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、前回の続きで、佃島(つくだじま)にある住吉神社(すみよしじんじゃ)の例祭です。

 下の写真は、中央区(ちゅうおうく)の佃島にある住吉神社です。

 佃島の漁師(りょうし)が、大阪の佃から江戸に移る時に、大阪の住吉神社を分霊したのが始まりです。
 現在は、中央区の佃・月島(つきしま)・勝鬨(かちどき)・豊海(とよみ)・晴海(はるみ)が、神社の氏子(うじこ)さんです。

 今年平成25年は陰祭です。次回の本祭りは、平成27年の予定(3年に1度の本祭り)です。
 このブログの写真は、昨年・平成24年(2012年)は、佃島の住吉神社の本祭で撮影した写真です。

【佃島の住吉神社 例祭】
 日時: 平成25年8月6日(火) :大祭式 11:00~
            8月7日(水) :神楽奉納 午後

 住吉神社とその付近にあったものからです。(江戸からの文化と、時の流れを感じさせます。)

 
【佃島の歴史】
 佃島(つくだじま)という地名は、江戸時代の書籍や、時代劇で、時々、舞台になるので、地名を知っている方も多いかと思います。

 徳川幕府の初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が、旧領の東海(とうかい)地方から、関東(かんとう)に移封になる時に、摂津国(せっつのくに、大阪府)佃村(つくだ、大阪市西淀川区佃)の漁師を江戸に呼び寄せたことが、佃島の歴史の始まりです。

 ここまでは、知っている方も多いかと思います。そして、

 3代家光(いえみつ)の寛永年間に、現在の佃島の位置にあった砂州(さす)を埋め立てを開始して、正保年間(西暦1645年)に現在の佃島を完成させ、「佃嶋」と名づけ、定住することになりました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・???

 こうやって、書いてみると、一つの疑問が湧いてきます!!!
 「家康の関東移封は、安土桃山(あづちももやま)時代の西暦1580年頃です。
 佃島の先祖(せんぞ)が佃島を作り、定住する西暦1645年までの約60年間は、
 佃島の先祖は、一体どこに住んでいたのか???」


 佃島の対岸にある鉄砲洲(てっぽうす)か?と思いましたが、それらしい記録も見当たりませんでした。・・・
 色々調べて、まとめてみると以下のようになります。

 戦国時代の天正年間(織田信長全盛期です。家康は信長の同盟国)、家康が上洛(じょうらく)し、大阪の佃にあった住吉神社に参詣(さんぱい)した際、佃村と隣の大和田村の漁民が、渡し船を出して家康一行を運び、白魚(しらうお)などを献上したことが、家康と佃村の関係の始まりとなる。

 同じ天正年間に、本能寺の変(ほんのうじのへん)が起き、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代になると、家康は関東に移封されます。
 この時に、「佃村と大和田村の住民33人が江戸に移る」とありました。???

 2代・秀忠(ひでただ)の慶長年間に、徳川家康の最後の戦(いくさ)となる大阪の役(おおさかのえき)で、大阪の佃村と大和田村の漁民は、軍船や魚の調達をして、家康を助けました。
(家康は、息子の秀忠に将軍の座をゆずっていたので、徳川幕府としては、秀忠の時代です。)
 家康は恩賞として、漁民に全国での漁業権を与える代わりに将軍家に白魚を献上する義務を課したそうです。

 江戸時代初期は、大阪の佃の漁民は、毎年11月より翌年3月まで江戸に行き、将軍家に白魚の献上していたそうです。???
 佃の漁民は江戸との往復が大変だとして、江戸在住を願い出たそうです。???

 3代・家光(いえみつ)の寛永年間に、鉄砲洲(てっぽうす)向かいにある百間四方の干潟を、幕府から許可を得て、漁夫らが、佃島の埋め立てを始めました。そして、佃島の完成後、定住することになりました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 少し情報の混乱があるので、確証は持てませんが、
 「くまドン」は、おそらく、定住するまでの約60年間は、元の大阪の佃に住んでいて、白魚漁の間だけ、江戸の海でで生活していたのではと考えています。
 話の主題がずれますが、葛飾北斎(かつしかほくさい)の富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろくけい)でも、船上生活している人の絵が見事に描かれていますしね!

 神輿(みこし)が佃の町を練り歩く(ねりあるく)中、馬が住吉神社にやってきました。

 当日の午後からは、佃島から勝鬨(かちどき)のご旅所まで、巡行が行われます。その巡行に加わる馬です。
 「くまドン」は、午後から百景の撮影が何カ所もあったので、残念ですが、巡行の撮影はあきらめました。
 他の方のブログには、雰囲気のある巡行の写真が載っています。

【佃煮(つくだに)】
 佃煮の語源となったように、現在も佃島の名物は、佃煮です。
 佃煮は、江戸に移った佃島の漁民が、保存食としたものですが、
 佃島は、隅田川の河口部にあるため、小魚が多く獲れ、余った佃煮を江戸の町で売るようになり、江戸庶民の間に広がっていったそうです。
 住吉神社の祭りの日も、川沿いの店が、おいしそうな佃煮を販売していました。

 当日は、午後から、何カ所も百景の撮影があったので、炎天下(えんてんか)で持ち歩くことは、体力消耗が大きく不可能でした。
 代わりに、お昼に月島(つきしま)の名物「もんじゃ焼き」を食べていくことにしました。

 下の写真は、月島の店の地図です。見ての通り、店が一杯あります。すべて、「もんじゃ焼き」の店です。

 巡行列は、この商店街を通ります。ここの祭りは、水掛け祭りですので、沿道には、大きなポリバケツに、水が満タンに入れらていました。

 当日は祭りのお昼頃ですから、見物のお客さんが沢山います。
 一人だと、「お好み焼き」などの店には、入り難いのですが、「麦」という店の前にいた店員さんに「一人でも食べられる店はないですか?」とお聞きしましたら、「麦」の本店が空いていたので、食べられることになりました。

 この日は、寝坊したので、朝食抜きで、お昼まで撮影していましたので、お腹が空きましたので、店で一番大きな「もんじゃ焼き」を注文しました。これで、「くまドン」一人前です。

 「もんじゃ焼き」の焼き方が分からなくても、店の人が親切に教えて、目の前で実演してくれます。
 腹が空いていたこともあり、あっさり、平らげてしまいました。
 「ごちそうさまでした。色々な具も入っていて、美味しかったです。」


 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 当初計画は、夏休み期間らしく、「祭りの景」と「水の景」を交互に入れたかった(実際の撮影もそのようにしていました。)のですが、「くまドン」のブログ作成能力を超えていて、無理の様です。(汗)
 水の景の大半は、8月後半になりますが、可能な限り、前倒しの努力してみます。

 次回は、築地の後に行った場所の景を作りたいのですが、来週の祭りの景が日程が決まっています。
 ブログ作成の進行状況次第ですが、おそらく祭りの景になると思います。


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