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名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭

2013-08-27 07:55:56 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、「逆井の渡し(さかさいのわたし)」付近にあった江東区(こうとうく)の亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)の例祭(れいさい)です。
 (亀戸天神や深川祭と違い、地元以外では、ほとんど知られていないので、ある意味珍しいです。)

 今年、平成25年の夏は、本祭(ほんまつり)の祭りが少なかったのですが、
 平成25年7月28日(日)が、亀戸浅間神社は、4年に一度の本祭りが行われました。
 逆井の渡しを渡り、神社に手前で、行列に遭遇。いきなり、馬に乗った宮司(ぐうじ、神主)さんが登場!!!
 「くまドン」は、「え~~馬!」と、いきなり驚きました。
(絵画調)

 地元の人でなければ、「驚くような事か?」と思うかもしれませんが、
 たとえば、江戸三大祭(神田・山王・深川)の氏子(うじこ)エリアは、何十もの町の人達が氏子になっていて、都心の大きな企業や商店街も氏子として構成されているのです。祭りの費用は氏子さん達が出し合います。
 これに対して、亀戸には、4つの神社(亀戸天神、香取神社、天祖神社、浅間神社)があり、それぞれの神社の氏子に分かれているのです。亀戸一つの町どころか、浅間神社の氏子さんは、亀戸東側(7丁目と9丁目が多い)しかいないのですよ。・・・・・・・・・

 カメラのフィルタ機能の中に特定の色だけ抽出する機能があるので、使用してみました。

 こちらは、亀戸浅間神社の宮司さんですが、「名所江戸百景046 ・・・ 日枝神社の山王祭(3)」に出てきた、馬に乗った禰宜(ねぎ)さんも、同じ赤い服を着ていました。
 この赤い服は、神社の正装(衣冠(いかん))でして、大祭(例大祭や、神社造営等などの重要な祭り)の時に着用します。この正装の色は、神社本庁の規定により、身分(特急~四級)ごとに決められていて、勝手な色は使えないそうです。ちなみに、この赤色の服を着用できるのは、神宮(じんぐう)の禰宜や、別表神社(べっぴょうじんじゃ)と呼ばれる大きな神社の宮司になれる人です。

 行列の先頭の大神輿(みこし)が、江戸百景の「逆井の渡し」のあった場所に向かっていきます。元気があります。

 大神輿の歴史は古く、11代・家斉(いえなり)の寛政2年の頃の作らしいです。

 江東区側に、新しいですが、「逆井の渡し跡」の碑がありました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第67景 逆井のわたし」(夏景)です。

 逆井の渡しは、旧中川と竪川(たてかわ)との合流点にあった渡し舟です。
 この絵は、「逆井の渡し」の少し上流の亀戸側から描かれた絵です。

 先導車の囃子(はやし)に続き、山車(だし)、稚児(ちご)、菅笠(すげがさ)を付けた氏子総代、そして、大神輿と続きます。子供神輿もあり、先に進んでいました。
(絵画調)

 山王祭をミニにしたような雰囲気ですが、亀戸の1/4弱のエリアで行われている祭り規模としては、立派でしょう。

 浅間神社は、富士山信仰(ふじさんしんこう)の神社ですが、ここの富士塚(ふじつか)には、猿の像もあります。
 (富士塚については、別の機会に話を致します。)

 下の写真が亀戸浅間神社ですが、ここの茅ノ輪(ちのわ)は関東一の大きさがあります。夏越(なごし)や年越(としこし)には見る事ができます。
(絵画調)

 この神社は、歴史が古く、社伝によれば、室町幕府11代将軍・足利 義晴(あしかが よしはる)の頃(西暦1527年)の創建です。その由来は、なんと日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征まで遡ってしまいます。
 本殿は、大正12年の関東大震災(かんとうだいしんさい)で被災して、昭和初年に建てられたものだそうです。 

 江戸時代の亀戸浅間神社の「逆井の渡し」付近は、以下の理由で有名でした。
(1)下総国(しもうさのくに、現在の千葉県北部)にある成田山(なりたさん)に向かう佐倉道(さくらどう、現在の旧千葉街道)の渡しであった。
(2)江戸から、逆井の渡し付近まで舟で行き、亀戸浅間神社を参拝後、古道を通り、亀戸天神に向かう参拝者が多かった。
 浅間神社には、古道の説明板がありました。右上には、途中にある亀戸水神社の絵図があります。


 一応、説明の補足として、地形図(大雑把な位置で、正確ではありません)を載せておきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 下の地図の右端を蛇行して流れる川が、江戸時代の中川(なかがわ)です。
 赤○で囲ってある所が、広重の名所江戸百景で描かれた「逆井の渡し」と「中川口」です。
 近くにある黄星印付近が亀戸浅間神社、左上の赤星印が亀戸天神ある所です。
 
 地図を見て分かりますように、江戸時代に、現在の江東区の内部に運河が縦横(じゅうおう)に造られました。
 江戸の町の人達は、亀戸方面に行く場合、舟で「逆井の渡し」まで行き、そこから陸路で亀戸浅間神社へ行き、古道を通って、名所江戸百景で描かれた「亀戸天神」や「梅屋敷」、「吾嬬(あづま)の森」に参拝へ行ったわけです。
 北十間川(きたじゅっけんがわ)と横十間川(よこじゅっけんがわ)の合流部が「柳島(やなぎしま)」の所です。
 (この付近の話は、最初の「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」でやりましたので、割愛します。)

 以前も申しましたが、本祭は神社の正式の祭りですが、費用負担が大きく、毎年続ければ、費用負担に限界が来て、続けられなくなります。このため、陰祭(かげまつり)を地味にやって、お金を貯めて、本祭に回すことにより、江戸時代からの伝統を続けてきました。言わば、長年の伝統から生まれてきた生活の知恵と言えるでしょう。
 「くまドン」は、これからも無理せず、昔から続く下町の伝統が続いて行けば良いのですが・・・と思いました。
 昨年は、他にも江東区内の夏祭りを三か所撮影したのですが、とても、出している余裕がありませんでした。
 いつか時間のある時に、まとめてみたいと思います。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、別の水の景の予定です。(大分横道に入りましたが、8月分の残り3景、8月中に終るでしょうか・・・・?)