散歩の途中で、田舎でもないと今ではあまり見かけなくなった大根干し
と「藁塚」の風景に出会った、農家の軒先等に大根干しや「藁塚」のあ
る風景は、いかにも日本の晩秋から初冬を代表する、懐かしい光景の一
つだと思う。
大根干しの風景、実家にいた頃は干した大根をたくあん漬にしたものを、
まだ半漬かりの状態で、ボリボリと食べるのが好きだった。。
こちらは脱穀した稲藁を積み上げて作った「藁塚」、私の郷里新潟では
「にほ」と言っていた、機械化された現在ではコンバインで一気に刈り
取りから脱穀までやってしまうので、ほとんど見かけなくなってしまった。
子供の頃はこの「藁塚」で乾燥保存した藁で、かまどでご飯を炊いたり
したものだった、またこの藁を利用して大人は草履や米俵を造ったり、
子供達も夜なべ仕事に縄をなったりして、小遣い稼ぎをやっていた。
昭和30年代のまだ日本が貧しかった時代の、懐かしい思い出である。
稲が刈り取られてすっかり寂しくなった田んぼの風景、落穂から新しい
芽も出ているが、もう実る事はない・・・
と「藁塚」の風景に出会った、農家の軒先等に大根干しや「藁塚」のあ
る風景は、いかにも日本の晩秋から初冬を代表する、懐かしい光景の一
つだと思う。
大根干しの風景、実家にいた頃は干した大根をたくあん漬にしたものを、
まだ半漬かりの状態で、ボリボリと食べるのが好きだった。。
こちらは脱穀した稲藁を積み上げて作った「藁塚」、私の郷里新潟では
「にほ」と言っていた、機械化された現在ではコンバインで一気に刈り
取りから脱穀までやってしまうので、ほとんど見かけなくなってしまった。
子供の頃はこの「藁塚」で乾燥保存した藁で、かまどでご飯を炊いたり
したものだった、またこの藁を利用して大人は草履や米俵を造ったり、
子供達も夜なべ仕事に縄をなったりして、小遣い稼ぎをやっていた。
昭和30年代のまだ日本が貧しかった時代の、懐かしい思い出である。
稲が刈り取られてすっかり寂しくなった田んぼの風景、落穂から新しい
芽も出ているが、もう実る事はない・・・