以下は、中国明代の『がい子後話』として掲載されている話し。
中国で荒れ狂った文化大革命の原点ともされる『燕山夜話』から引く。
斉の国の某は、行けば止まることを忘れ、臥しては起きることを忘れるというていたらくであった。
そこで妻が心配して「がい子という人は滑稽多智、よく膏盲に入った病気を治すというから、
行って診てもらったら」と勧めた。
くだんの男、これを承知して馬にまたがり、弓矢をたずさえて出かけて行った。
ところが、まだ一丁も行かないうちに便意をもよおして馬をおり、矢を地面に立て、
馬を樹につないで用便をした。
終わって、左を見ると地面に矢が突き刺さっている。
もう少しで当たるところであった、と首をすくめ、右の方を見ると馬がつないである。
流れ矢の恐ろしい目にあったが、その代りこんな好い馬が手に入ってよかったと、
言いながら馬を引いて出かけた。
すると、いま排便したばかりの自分の糞を踏みつけ、足をちぢめて、これはしたり、
犬の糞を踏んだわい、靴が台なしだ。
惜しいことをしたと言いながら、くるりと回ったから、もと来た道を戻ることになった。
本人は、それとは知らず自分の家の前に着いて、しばらく門外をうろつき、
これは誰の住居だろう、がい子先生の家かも知れないと呟いた。
丁度、そこへ妻が出てきて、また夫の病が出たと気付いたから口ぎたなくののしった。
すると男は、しょんぼりして御新造さんはどなたですか、
どうして、そんなにがみがみ私をいじめるのですか、といった。
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話しは、これだけだが、これはありそうな話しである。
過日、某テレビで『認知症の第一人者が認知症になった』という番組をみた。
登場したのは、かっての大学教授・医師で認知症という病名の発案者でもあった。
それまでは、健忘症とか痴呆症とか、あるいは恍惚の人とか呼んでいた。