九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

サムライの英知が生んだ数式

2017年04月17日 | 熊本城
 NHKスペシャル「熊本城再建」という番組をみた。
 昨年の熊本地震で崩落した城の石垣のうち、多くは明治以降に修復されたものだという。
 つまりは、築城当時の石垣の方が、より地震に耐えられたということ。
                    □
 この謎を解くカギが、400年前の築城記録「秘伝之書」に残されていた。
 それを現代数学で数式化すれば、以下のとおりだそうな。

 数学オンチの私には無理だが、石垣の積み方を数式で表したもの。
 熊本城には「武者返し」と呼ばれる石積みが施され、この数式の具体例が「二様の石垣」でも見られる。


 【二様の石垣。手前が加藤清正、向うが細川忠利により造られたと伝えられる】
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 この反り返った石積みは、攻め方をして「難攻不落の熊本城」と言わしめた。
 西南の役で熊本城を攻めた西郷が「清正公に敗れた」と語った話は、特に有名。
 熊本城の石垣が築城当時に目指したものは、防御より耐震だった、かも?
 ちなみに、伏見地震のとき秀吉の救助に真っ先にかけつけた清正は「地震加藤」と呼ばれたりした。

 
コメント (4)
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