25日、江津市内の高齢者施設の法話会にお参りしました。
ご法話を終えて、入所しているKさんというおばあさんに面会に行きました。
Kさんは、満100才。
お元気なころ、ご自宅にお参りに行くと
たくさん楽しい話をしてくれたものです。
その会話の中に、「(先立たれた)お父さんが早くお迎えに来てくれればいいのに」
ということをたびたびおっしゃっていました。
久しぶりに見るKさんは、ほとんど寝たきりの状態でした。
枕元で「こうぜんじですよー」と大きな声で語りかけると
目をあけられ、「ようきてやんさったなぁ」とおっしゃってくださいました。
少しばかり話をしたのですが、その口から出てくる言葉は
「おおきに、おおきに」
という言葉がほとんどでした。そして、最後まで
「早くお迎えに来てほしい」
という言葉は、おっしゃられませんでした。
阿弥陀さまは、彼岸へと向かう大きな船に、もうすでに我々を
乗せて下さっているのです。
ですから、実はお迎えは誰のところにももう来ているのです。
Kさんの100年生きぬかれたそのお姿から、
阿弥陀さまの確かなはたらきに、あらためて気づかされました。
※画像は大谷本廟の蓮の花です。
ご法話を終えて、入所しているKさんというおばあさんに面会に行きました。
Kさんは、満100才。
お元気なころ、ご自宅にお参りに行くと
たくさん楽しい話をしてくれたものです。
その会話の中に、「(先立たれた)お父さんが早くお迎えに来てくれればいいのに」
ということをたびたびおっしゃっていました。
久しぶりに見るKさんは、ほとんど寝たきりの状態でした。
枕元で「こうぜんじですよー」と大きな声で語りかけると
目をあけられ、「ようきてやんさったなぁ」とおっしゃってくださいました。
少しばかり話をしたのですが、その口から出てくる言葉は
「おおきに、おおきに」
という言葉がほとんどでした。そして、最後まで
「早くお迎えに来てほしい」
という言葉は、おっしゃられませんでした。
阿弥陀さまは、彼岸へと向かう大きな船に、もうすでに我々を
乗せて下さっているのです。
ですから、実はお迎えは誰のところにももう来ているのです。
Kさんの100年生きぬかれたそのお姿から、
阿弥陀さまの確かなはたらきに、あらためて気づかされました。
※画像は大谷本廟の蓮の花です。