紅旗征戎

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カミーユ・クローデルの悲劇

2005-08-01 08:02:10 | 芸術
小学生の時、最初に好きになった詩人は高村光太郎で、最初に買った詩集も彼の詩集だった。彼の父、高村光雲は老猿などの作品で知られる高名な彫刻家であり、光太郎自身も十和田湖畔の乙女の像などを作った彫刻家でもあった。光太郎はロダンの影響を強く受け、『ロダンの言葉抄』といった本も出している。そうした光太郎への関心や上野の国立近代美術館で見て、「考える人」など、子ども心にもインパクトがあったロダンの彫刻がたちまち好きになった。フィラデルフィアを訪れた時も閉館時間ギリギリだったのを入れてもらい、ロダン美術館を堪能することができたのも良い思い出である。

そんなロダン好きの私にとって衝撃だった映画はフランスを代表する女優イザベル・アジャーニ主演の『カミーユ・クローデル(1988)』だった。アメリカ留学中にビデオで見たのだが、カミーユ・クローデル(1864-1943)とは、ロダン(1840-1917)の弟子で愛人だった彫刻家である。映画ではロダンとの出会い、同棲生活、妊娠中絶、別れ、困窮生活、そして狂気へ落ちていく半生が描かれているが、クローデルの弟子としての師ロダンへの尊敬と女性としての愛情・独占欲、またロダンの芸術家・男性としてのエゴと弟子クローデルの才能への嫉妬、ロダンの内縁の妻との三角関係や若いモデルへのクローデルの嫉妬などがアジャーニの名演で巧みに描かれている。

学生時代に見た映画なので、特にロダン名義の作品を事実上、代作していたクローデルと権威主義的なロダンとの芸術創作をめぐる屈折した関係に特に興味をもって見ていたが、次第に心を病み、人生がうまく行かないのを全てロダンのせいだと考えるようになり、ますます狂気の世界に落ちていくクローデルの姿が悲劇的で印象的だった。さらにインパクトがあったのが映画のエンディングの解説文で、精神病院に入ったクローデルは死ぬまでそこで30年生きたということだった。心を失って、30年間どのような思いで生きたのか、そんなことを考えると今まで好きだったロダンの彫刻も嫌いになりそうだったが、芸術とは何か、人生とは何かをじっくり考えさせられる名画だと思う。今、見直したらまた違った感想を抱くかもしれない。


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