紅旗征戎

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「危険な関係」と平行線の「粋」

2005-07-24 17:14:55 | 小説・エッセイ・文学
アメリカ都市についての随想に飽きてきた方も多いと思うので、以前から書こうと思って、機会を逸してきたトピックについて書いてみたい。日中、会社が学校にいる方はほとんど見たことないと思うが、今年の4月から6月末までドロドロした展開で有名な東海テレビの昼メロで『危険な関係』を放映していた。原作はいわずと知れた同名のフランスの18世紀の書簡体の小説(1782)である。テレビのメロドラマの原作だと思って、この小説を読み始めた読者は読みにくさに失望することは間違いないだろう。何故ならばこの小説には第三者的なナレーターが背景解説するような部分は一切なく、ただいろんな登場人物間の手紙が順番に並べられてあり、その行間から展開を類推して、話を理解していくというきわめて頭を使わせる構成になっているからである。

何度も映画化、ドラマ化された作品で最近ではペ・ヨンジュン主演の韓国映画『スキャンダル』があるし、グレーン・クロースとジョン・マルコビッチ、ミシェル・ファイファーらが出演した、原作に忠実なハリウッド映画版などもあるし、若者関係に翻案した『クルーエル・インテンションズ』といった映画もある。三島由紀夫の『禁色(1964)』も明らかにこの小説をベースにしている。この中で一番のお勧めはフランス宮廷の様子も上手く再現されており、クロース、マルコビッチらの演技が光るハリウッド版だろう。

話は、メルトイユ夫人が、かつて自分を捨てた男に復讐するため、過去の恋人ヴァルモン子爵と共謀して、男の婚約者を堕落させ、さらに周囲の人物を次々誘惑させていくという危険なゲームを行なっていくのだが、ポイントはメルトイユ夫人とヴァルモン子爵の関係である。メルトイユ夫人はヴァルモンにツールヴェル法院長夫人を誘惑させるのだが、ヴァルモンが本気になったことに嫉妬し、彼女を残酷に捨てさせる。その間の二人の意地の張り合いと緊迫した関係、隠された未練がハリウッド版では上手く演技されているのだが、現代日本に舞台を移した東海テレビ版ではメルトイユ夫人に当たる人物を若いヒロインにして美化していたため、最初から二人が未練を持っていることがあからさまで、この小説がもつ「悪」の部分というか、憎しみの裏側の感情を十分描き出せていなかったように思う。誘惑される側のツールヴェル法院長夫人に当たる女性の方が後でしたたかな「反撃」を試みるなど、やや悪役風で、むしろヒロインの方に同情・共感が集まるような描き方になっていた。
 
著者のラクロ(1741-1803)は軍人で、小説はこの『危険な関係』一本しか書いていないのだが、幾何学を学んだ人らしく、書簡という二者関係(線)を積み重ねて、全体の構造を類推させる手法は見事というしかない。同じように数学的な連想でこうした恋愛の緊張関係を論じたものとして思い出されるのは、戦前の哲学者・九鬼周蔵の『いきの構造(1930)』である。九鬼の文章は一見難解だが、辰巳芸者の着物の縦縞模様からヒントを得て、決して交わることのない、「平行線」の関係こそ「いき」の極致であると考えたようである。二つの線が交わってしまえば関係は点になってしまい、一つの決着がついてしまう(あるいは点からやがては「分かれて」しまう)。お互いに関心を持ち合いながら、言ってみれば線と線が見つめあいながら、しかし平行で決して交わることのない緊張関係を保ち続けることこそ「粋」なのだそうだ。

大学院で日本政治思想史を研究していた先輩は、「九鬼のように頭のいい人が『いきの構造』のような軟派な本を書いて、和辻(哲郎)のようなあまり明晰じゃない人が『日本精神史研究』のような本を書いたのは残念だ」などと暴言?を吐いて、嘆いていたのを思い出す。九鬼は祇園にも頻繁に出入り、戦時下では目をつけられていたらしいが、九鬼の分析はヴァルモン子爵とメルトイユ夫人の平行線関係を思い起こさせる鋭い数学的な感性だと思う。ラクロの小説は退廃文学だと言えるかもしれないが、2国間関係の説明を積み重ねて国際関係全体を説明するような本を書けたらすぐれた研究になるのではないか、などと政治学的なセンスも感じさせる小説である。実際、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議や国連安保理常任理事国拡大をめぐる国家間関係などを眺めているとまさに昼メロさながらのドロドロした「危険な関係」であるに違いない。


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