大学1年の時、どちらかといえば野暮ったい同級生が多かった中で、メンズ・ファッション誌から抜け出したようなM君が「統計学」のレポートで彼らしく、「お洒落な男子学生の割合と大学の立地条件の相関関係」について調べると言っていたのを思い出す。「お洒落な男子学生」の数をどうやって測るのか、尋ねてみたところ、「夏に秋服を着ている割合、具体的に言うとジャケットを羽織っていたりする数を数える」とのことだった。なるほど、暑い最中でも売っているファッションは秋物であるし、流行に敏感な人ほど季節の先を行く格好をするようである。
ドイツの19世紀の作曲家・ヨハネス・ブラームスの楽曲もさしずめ秋のイメージだろう。「秋のブラームス」と銘打ったコンサート企画もよく広告で目にする。弦楽六重奏曲第一番、交響曲第四番、クラリネット五重奏曲・・・いずれも秋以外の情景が浮かんでこない。しかし地球温暖化対策が喧しい今日、真夏の昼間に冷房を効かせてブラームスを聴いて秋を想う、などというのは背徳的ですらあるかもしれない。中学生の時に本格的にクラシックを聞き始めるようになって一番好きになった作曲家はブラームスだった。彼は日本人に最も愛されている作曲家の一人であるに違いない。
ドイツの19世紀の作曲家・ヨハネス・ブラームスの楽曲もさしずめ秋のイメージだろう。「秋のブラームス」と銘打ったコンサート企画もよく広告で目にする。弦楽六重奏曲第一番、交響曲第四番、クラリネット五重奏曲・・・いずれも秋以外の情景が浮かんでこない。しかし地球温暖化対策が喧しい今日、真夏の昼間に冷房を効かせてブラームスを聴いて秋を想う、などというのは背徳的ですらあるかもしれない。中学生の時に本格的にクラシックを聞き始めるようになって一番好きになった作曲家はブラームスだった。彼は日本人に最も愛されている作曲家の一人であるに違いない。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルのような欧州の主要オーケストラの来日公演では必ずと言っていいほどブラームスの交響曲が取り上げられる。「ハンガリー舞曲第5番」や「交響曲第三番」の第三楽章のような哀愁を帯びたメロディアスな曲や「大学祝典序曲」のような明るい曲、楽章を多く作っているし、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ、バイオリン独奏曲、歌曲など、オペラ以外の全てのジャンルで人気曲を書いていて、はずれの少ない作曲家だと思う。映画音楽やBGMにもよく使われているので、気づかずに聴かれている方も多いだろう。1989年に昭和天皇が亡くなった時、テレビはずっとブラームスのシンフォニーを流していた。荘厳で厳粛なイメージが強いのかもしれない。
ブラームスの伝記は日本語でも英語でもずいぶん読んだ。生涯独身だったこと、シューマンから「ベートーベンの後継者」と激賞されて、音楽界で早くから注目されたが、そのプレッシャーに悩んで、最初の交響曲を完成するまで20年も要したこと、シューマン夫人ですぐれたピアニストだったクララ・シューマンとの恋愛と生涯にわたる付き合い、ワーグナーとのライバル関係、名バイオニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムとの友情といさかいなど興味深いエピソードもつきないが、クラシック・ファンならご存知の方も多いだろう。
ブラームスの伝記は日本語でも英語でもずいぶん読んだ。生涯独身だったこと、シューマンから「ベートーベンの後継者」と激賞されて、音楽界で早くから注目されたが、そのプレッシャーに悩んで、最初の交響曲を完成するまで20年も要したこと、シューマン夫人ですぐれたピアニストだったクララ・シューマンとの恋愛と生涯にわたる付き合い、ワーグナーとのライバル関係、名バイオニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムとの友情といさかいなど興味深いエピソードもつきないが、クラシック・ファンならご存知の方も多いだろう。
私が興味をもったのは、ウィーンで既に大作曲家として評価されていたブラームスだが、生涯、生まれ故郷のハンブルクのオーケストラの音楽監督の地位を望み、ハンブルク市民として安定した生活を送ることを希望していたのだが、下層階級の出身だったため、成功してからもそのポストを得られなかったことである。生活を支えるため、幼少の時から酒場でピアノを弾かされていたらしいが、その時に身につけたポピュラーな楽曲センスが「ハンガリー舞曲」や数々の曲で生かされ、結果的にブラームス・ファンの裾野を広げているのも人生の不思議なめぐり合わせといえるかもしれない。「ハンブルクで常任監督となっていれば、普通の幸せな人生を送っていたかもしれない」と晩年のブラームスは語っていたそうだが、それが実現していればハンブルクのローカルな一音楽家として終わり、「世界のブラームス」は誕生していなかったのだろう。貧しいながらも教育熱心な両親の方針で、名教師についてバロック音楽の基本である対位法などをきちんと学んで、新古典主義的な作曲技法上の武器にしたこと、フォーマルな教育はあまり受けていなかったが大変な読書家で教養を身につけたことなども彼の人生を成功させた鍵となっている。
「クラシック classic」という言葉は、「古典的」という意味と同時に「階級的」という意味がある。まさにクラシックは上流「階級」の音楽という意味合いが強かった。フランス革命後、宮廷や貴族のお抱え料理人の職を失ったコックたちが町で開業し、実力をつけてきた都市商人たち(ブルジョワジー)を客として始めたのが街の高級レストランのおこりだったように、音楽でもヘンデルやハイドンといった宮廷お抱えの音楽家から、やがては蓄財した都市市民階級をパトロンとする音楽家たちが成長したのだが、モーツァルトやシューベルトが生涯生活で苦しんだのに対して、ブラームスは特定のパトロンの庇護を受けることなく、楽曲による収入で生活し、経済的に自立できた最初のクラシック作曲家だったと言われる。出身階級ゆえに、出身地での望むポストを得られなかったのだが、その分、作曲家の社会的自立に大いに貢献したと言えるだろう。
ブラームスの音楽の魅力は何であろうか。交響曲や協奏曲に顕著に現れているが、ヨーロッパのがっちりした建築のように構築された全体像の中で、時に激しく、情熱的なメロディや主題が繰り返し現れ、それがやさしく諦められていく、感情の波のような作りになっている点にある気がする。ブラームスをあまり好きになれない人はそこに「しつこさ」を感じたり、あるいはベートーベンのように高らかに歌い上げるような起承転結がなく、最後が諦念で締められるところが不満なのかもしれない。いずれにしても全ての楽章を聴き通さなくても、気にいったメロディをピックアップして聴くだけでも十分、魅力的な作曲家であるはずだ。
「ブラームス」論をブログで一度書きたいと前から思ってはいたが、音楽を言葉で語るのはやはり難しい。絵画も音楽も言葉で考えるより、見たり聴いたりして直接、感じるべきものであろう。クラシック・ファンの悪いところは薀蓄を語りすぎるところだといつも思っていた。中学生でクラシックを聴き始めた時は、『レコード芸術』といった雑誌や『名盤100選』のような本を買って、そこで褒められている名演奏を集めて聴いたりしたが、結局のところ、音楽評論家自身が最初に好きになった演奏にとらわれすぎていたり、あるいはあまりメロディアスにならないように、テンポを遅く演奏するほど、「音楽的」だ、「芸術的だ」などと高く評価する衒学的な傾向があることに気づいてしまってからは、自分なりに好きな演奏を聞いて満足するようになった。これからクラシックを聞いてみたい人はまずはそういう名盤ガイドブックやあるいはオムニバスCDに頼ってもいいと思うが、気に入ったのがあればどんどんそこから聞き始めたらいいのではないかと思う。
最後にブラームスのお勧めCDをいくつか挙げてリンクしてみたい。いずれもかなり昔の演奏で今は廉価盤になっているようだ。かくいう私は最近はブラームスを聴いていない。ブラームスの音楽は全く絵画的でない、抽象的な絶対音楽で、じっくり聞き込んで、「構造」とか考えたくなるもので、特に交響曲や協奏曲などの長く、複数の楽章から成る曲は「ながら作業」にあまりむいていないようだ。音楽だけをじっくり聞く時間はなかなかとれないので自然と聞けなくなった。私の近くの研究室の先生はシンフォニーのCDなどをかけながら夜中まで仕事をしている。人にもよるのだろうが、ブラームスの楽曲はどちらかと言えばコンサートか、CDを家でじっくり聞くホームコンサート向きかもしれない。この文章を読んで、何か引っかかるところがあれば、ぜひ聴いていただきたいと思う。
交響曲第1番、第2番、第3番、第4番
ヘルべルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
「カラヤンが好き」というと眉をひそめるクラシックファンも多いが、ポピュラリティと演奏技術と芸術性の三点の融合という点で一つの頂点を極めた指揮者だと思う。2500円で交響曲全集が聴けるのは手頃だし、この晩年の演奏はブラームスで求められる重厚さと「枯淡」の境地も表現できていてお勧めである。
ピアノ協奏曲第1番
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス青春の曲で、若さのエネルギーが漲る激しい曲だが、それを往年の名ショパン弾きのルービンシュタインが最晩年の89歳で録音しているのが驚きである。89歳という年齢を忘れる、まさに若い情熱が爆発しているような演奏である。
ピアノ協奏曲第2番
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
この曲の定番演奏である。ブラームスでお薦めを一曲と聞かれると、この曲を挙げることが多い。ブラームスの得意のメロディアスでふくよかなピアノとシンフォニックな構成の両面を楽しめる。
バイオリン協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団
昔はオイストラフ、メニューインといった渋いおじいさんバイオリストを好んで聞いていたが、パールマンもブラームスは上手いと思う。曲もブラームス得意の哀愁を帯びた激しくロマンティクなメロディーと、第三楽章の明るくポップな終わり方の両方を楽しめる。
バイオリンとチェロのための二重協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
ヨーヨーマ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
なぜか評論家の評判がよくない「二重協奏曲」だが、バイオリン、チェロ、オーケストラの緊張感ある掛け合いと、やはりブラームス・メロディーを楽しめる名曲だと思う。ブラームス好きなら必ず好きになると思う。
ピアノ3重奏曲第1~3番、ピアノ4重奏曲第1~3番
アイザック・スターン(バイオリン)他
室内楽では名バイオリスト・アイザック・スターンが中心になって演奏する、ピアノ・トリオとカルテットを全曲収めたこの一枚をお勧めする。ユーロピアン・ジャズが好きな人にもお勧めである。本人も名ピアニストだったブラームスは親友の名バイオリニストのヨアヒムの協力も得て、ピアノとバイオリンの持ち味を生かした曲作りを行なっているが、室内楽ながらシンフォニックな演奏を楽しめるのはブラームスならではと思われる。ベートーベンの同種の曲と比べるとロマンティックな響きがある。
(イメージは守屋多々志『ウィーンに六段の調べ(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』1992、ウィーンに駐在していた戸田氏共伯爵の夫人・極子が『六段』の演奏をブラームスに聞かせた可能性があるというエピソードを基にした歴史画である。変奏曲の名手だったブラームスは邦楽の主題にも関心があったという)。
「クラシック classic」という言葉は、「古典的」という意味と同時に「階級的」という意味がある。まさにクラシックは上流「階級」の音楽という意味合いが強かった。フランス革命後、宮廷や貴族のお抱え料理人の職を失ったコックたちが町で開業し、実力をつけてきた都市商人たち(ブルジョワジー)を客として始めたのが街の高級レストランのおこりだったように、音楽でもヘンデルやハイドンといった宮廷お抱えの音楽家から、やがては蓄財した都市市民階級をパトロンとする音楽家たちが成長したのだが、モーツァルトやシューベルトが生涯生活で苦しんだのに対して、ブラームスは特定のパトロンの庇護を受けることなく、楽曲による収入で生活し、経済的に自立できた最初のクラシック作曲家だったと言われる。出身階級ゆえに、出身地での望むポストを得られなかったのだが、その分、作曲家の社会的自立に大いに貢献したと言えるだろう。
ブラームスの音楽の魅力は何であろうか。交響曲や協奏曲に顕著に現れているが、ヨーロッパのがっちりした建築のように構築された全体像の中で、時に激しく、情熱的なメロディや主題が繰り返し現れ、それがやさしく諦められていく、感情の波のような作りになっている点にある気がする。ブラームスをあまり好きになれない人はそこに「しつこさ」を感じたり、あるいはベートーベンのように高らかに歌い上げるような起承転結がなく、最後が諦念で締められるところが不満なのかもしれない。いずれにしても全ての楽章を聴き通さなくても、気にいったメロディをピックアップして聴くだけでも十分、魅力的な作曲家であるはずだ。
「ブラームス」論をブログで一度書きたいと前から思ってはいたが、音楽を言葉で語るのはやはり難しい。絵画も音楽も言葉で考えるより、見たり聴いたりして直接、感じるべきものであろう。クラシック・ファンの悪いところは薀蓄を語りすぎるところだといつも思っていた。中学生でクラシックを聴き始めた時は、『レコード芸術』といった雑誌や『名盤100選』のような本を買って、そこで褒められている名演奏を集めて聴いたりしたが、結局のところ、音楽評論家自身が最初に好きになった演奏にとらわれすぎていたり、あるいはあまりメロディアスにならないように、テンポを遅く演奏するほど、「音楽的」だ、「芸術的だ」などと高く評価する衒学的な傾向があることに気づいてしまってからは、自分なりに好きな演奏を聞いて満足するようになった。これからクラシックを聞いてみたい人はまずはそういう名盤ガイドブックやあるいはオムニバスCDに頼ってもいいと思うが、気に入ったのがあればどんどんそこから聞き始めたらいいのではないかと思う。
最後にブラームスのお勧めCDをいくつか挙げてリンクしてみたい。いずれもかなり昔の演奏で今は廉価盤になっているようだ。かくいう私は最近はブラームスを聴いていない。ブラームスの音楽は全く絵画的でない、抽象的な絶対音楽で、じっくり聞き込んで、「構造」とか考えたくなるもので、特に交響曲や協奏曲などの長く、複数の楽章から成る曲は「ながら作業」にあまりむいていないようだ。音楽だけをじっくり聞く時間はなかなかとれないので自然と聞けなくなった。私の近くの研究室の先生はシンフォニーのCDなどをかけながら夜中まで仕事をしている。人にもよるのだろうが、ブラームスの楽曲はどちらかと言えばコンサートか、CDを家でじっくり聞くホームコンサート向きかもしれない。この文章を読んで、何か引っかかるところがあれば、ぜひ聴いていただきたいと思う。
交響曲第1番、第2番、第3番、第4番
ヘルべルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
「カラヤンが好き」というと眉をひそめるクラシックファンも多いが、ポピュラリティと演奏技術と芸術性の三点の融合という点で一つの頂点を極めた指揮者だと思う。2500円で交響曲全集が聴けるのは手頃だし、この晩年の演奏はブラームスで求められる重厚さと「枯淡」の境地も表現できていてお勧めである。
ピアノ協奏曲第1番
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス青春の曲で、若さのエネルギーが漲る激しい曲だが、それを往年の名ショパン弾きのルービンシュタインが最晩年の89歳で録音しているのが驚きである。89歳という年齢を忘れる、まさに若い情熱が爆発しているような演奏である。
ピアノ協奏曲第2番
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
この曲の定番演奏である。ブラームスでお薦めを一曲と聞かれると、この曲を挙げることが多い。ブラームスの得意のメロディアスでふくよかなピアノとシンフォニックな構成の両面を楽しめる。
バイオリン協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団
昔はオイストラフ、メニューインといった渋いおじいさんバイオリストを好んで聞いていたが、パールマンもブラームスは上手いと思う。曲もブラームス得意の哀愁を帯びた激しくロマンティクなメロディーと、第三楽章の明るくポップな終わり方の両方を楽しめる。
バイオリンとチェロのための二重協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
ヨーヨーマ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
なぜか評論家の評判がよくない「二重協奏曲」だが、バイオリン、チェロ、オーケストラの緊張感ある掛け合いと、やはりブラームス・メロディーを楽しめる名曲だと思う。ブラームス好きなら必ず好きになると思う。
ピアノ3重奏曲第1~3番、ピアノ4重奏曲第1~3番
アイザック・スターン(バイオリン)他
室内楽では名バイオリスト・アイザック・スターンが中心になって演奏する、ピアノ・トリオとカルテットを全曲収めたこの一枚をお勧めする。ユーロピアン・ジャズが好きな人にもお勧めである。本人も名ピアニストだったブラームスは親友の名バイオリニストのヨアヒムの協力も得て、ピアノとバイオリンの持ち味を生かした曲作りを行なっているが、室内楽ながらシンフォニックな演奏を楽しめるのはブラームスならではと思われる。ベートーベンの同種の曲と比べるとロマンティックな響きがある。
(イメージは守屋多々志『ウィーンに六段の調べ(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』1992、ウィーンに駐在していた戸田氏共伯爵の夫人・極子が『六段』の演奏をブラームスに聞かせた可能性があるというエピソードを基にした歴史画である。変奏曲の名手だったブラームスは邦楽の主題にも関心があったという)。