言の葉綴り

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新・書物の解体学 吉本隆明著 サルトル書簡集1『女たちへの手紙』

2022-10-07 12:25:00 | 言の葉綴り

言の葉綴り137新・書物の解体学

吉本隆明著

サルトル書簡集1『女たちへの手紙』







新・書物の解体学 著者 吉本隆明

199291日発行 株式会社メタローグより


サルトル書簡集朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳

『女たちへの手紙』



このサルトルの書簡集にはとびきりおおきな特色がある。生涯平坦に、ほとんど直線的に続いたボーヴォワールとの関係はそのまま心棒をおいて、別の女たちとそのときどき熱烈に愛しあったり、憎みあったり出会ったり、離別したりした記録をボーヴォワールに告白した形になっている。いずれにせよ盛りあがり、また滅衰する曲線を描いた恋人たちとの体験を、微細に、露出症的に描写して、直線的な愛人ボーヴォワールに知らせた珍しい書簡集だ。ボーヴォワールの手で保存され彼女の検閲を経て公刊されたことも加算すると、珍しいという意味は、やや変態的な性愛という含みも存在している。ただこの変態には病的な意味はない。サルトルとボーヴォワールの性愛にたいする並外れた知的な透徹性が救っているからだ。この奇妙な並外れたカップルは、男女のあいだに性愛をめぐって引き起こされるトラブルについて、心理的な陰影から社会的な通念にいたるまて、たぶん徹底して考えつくしていた。

この書簡集にでてくるさまざまなタイプの女性との、サルトルの性的交渉の記述を読んでいくと、ごく普通の男女と同じように怒ったり、機嫌を直したり、憎み合ったかとおもうと、抱き合って寝ることで仲直りになったりといった、ありふれた場面が繰返されている。ところがこのサルトルの微細で率直で、露悪的な、きわどい性交渉の場面の描写から陰画のように浮かびあがってくるのは、逆にボーヴォワールとの特異な関係の仕方だとおもえる。真っ先にそこからいってしまえば、サルトルと他のそのときどきの女性たちの交渉は、官能やフィーリングや精神が融けあった正常な普通の性愛だが、サルトルとボーヴォワールのあいだの結びつきは、いってみれば〈知〉としての性愛ともいうべきものだったようにおもえる。これは肉欲や官能やフィーリングの親愛がまったくなかったという意味ではない。およそ〈知〉自体がエロチックでありうることを、はじめて提起しているといった意味だ。男女の性愛にまつわるあらゆる陰影を、体験によってではなく〈知〉によって知りつくすこと。この稀にみる領域を、サルトルとボーヴォワールは、、はじめて新たに提起している。もしかすると人間の男女のあいだの性愛は、肉体愛や精神の官能や愛のほかに〈知〉としての性愛という項目をつけ加えなくてはならぬかも知れぬ。そんな方向性を、この書簡集は予言しているといえなくもない。これがこの書簡集のただひとつの存在価値だ。

シモーヌ・ジョリヴェとの恋愛では、サルトルは男としてすこし小うるさずぎる人物になり、シモーヌ・ジョリヴェの方は、すこし蓮っ葉に男に感情を流しずぎる女の像になっている。ジョリヴェにたいしては、どうしてもその場の雰囲気で上着を脱がせ、裸にして寝るという行為がいちばん自然で、必然なんだという感じを描きだしてボーヴォワールに報告している。リュシルにたいしてはただ行きずりの関係だったというほどのことにして、別れたい気分を暗示している。ブルダン嬢との交渉については、その毛深さや、体の匂いや、お尻の形や、愛撫の仕草や、性交以外のことならどんなこともやった有様を、微に入り細をうがってボーヴォワールに描写してみせている。ベットでサルトルの性器をなめ、じぶんの体の中にはいってきて欲しいと訴え、痛がったり拒んだりしながらそれが実現するさまを、小説のヒトコマのように微細に、ボーヴォワールに告げ知らせる。このブルダン嬢との交渉の性描写は、、書簡集のなかで圧巻である。ターニャとのあいだでは処女を奪い、愛し合っているかとおもうと瞬時に、女が苛立って憎悪を吐き散らし、感情も行為も行き違ったとおもうと、また激しく抱き合い、翻弄されて自失の状態に落ち込むサルトルの気持が描かれて、ボーヴォワールに報告されている。

いったいサルトルは、何のためにこんな何人もの恋人との性愛の交渉の場面を微細に描いて愛人ボーヴォワールあての書簡にしなければならなかったのか。そしてこんな別の複数の女との交渉を描写して愛人に送る男の神経と、それを受け取り読んで、怒りを爆発させもせず、破り棄てもせずに、その書簡を保存しておいた女の神経とは、いったいどうかんがえれば、阿呆でないのか。これがこの書簡集が最終的に読者に提起する謎々みたいなものだ。そしてこの謎々の周辺からはもうひとつ、当の恋愛相手の女たちにたいして、こまごまと理屈っぽい手紙をだす、くどすぎる嫌な男サルトルという像が立ちのぼる。フランスの知識人は、みな恋愛中の女にたいして、こんな書誌的になるものなのか。またフランスの女たちは、それでも嫌にならず、すんなりと受け入れるものなのか。これが第二番目の馬鹿らしい謎だ。これは色男が複数の恋愛をそれぞれの女性に判らないように、巧みにさばいてみせた報告書ではない。壊れかかった官能(本能)の代わりに、〈知〉としての性愛という範疇をもってこなければ謎は解けないし好意的にもなれない。そんな男が、魅力的な官能をもった女性たちとやった性的な交渉の記録を、愛人の女に告げ知らせることで、じつは報告の告白自体が〈知〉としての性行為になっている、奇妙で特異な記録ということになりそうだ。(人文書院刊)