言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

オデオン通り②アドリエンヌ・モニエ頌 ジャック・プレヴェール

2019-08-30 15:23:16 | 言の葉綴り
言の葉綴り76 オデオン通り
②アドリエンヌ・モニエ頌
ジャック・プレヴェール

オデオン通り 著者 アドリエンヌ・モニエ 訳者 岩崎 力
昭和五十年九月初版発行
発行所 (株)河出書房新社 より抜粋



アドリエンヌ・モニエ頌
ジャック・プレヴェール

オデオン通りにあるモニエの書店と著者


木の友の家
ひとつの店、小さな店舗、どさまわりの見世物小屋、神殿、エスキモーの雪小屋、劇場の舞台裏、蝋人形と夢の博物館、読書サロン、そして時には売ったり借りたり返したりする本のあるただの本屋、そこに本の友もである客たちがやってきて、ぱらぱらめくってみたり、買ったり、もって行ったりする。その場で読む人もある。
文学者たちが、すくなくともその多くが『文学(リテラチュール)』を語るときに侮蔑をあらわにし、彼らの語彙のなかで『文学』という言葉がひどく悪い意味で使われるようになってすでに久しい。
映画と舞踊、夢の物語、それに文学を含むその他もろもろのことが、断固たる、学識と軽蔑にみちた判断にゆだねられる——「そんなことはみんな絵空事(リテラチュール)さ」
画家たちは、巧者も下手くそも、偉人も小物も、本物も偽物も、生者も死者も、絵を悪しざまに言うことは決してなかったし、今日でも言いはしない。同じように、庭師も、突拍子もない庭を前にして、手が入っていない、あるいは入れるべきでもない庭、蔦が這い、いらくさの生え茂った異常で神秘的な花壇を前にしたところで、「そんなものみんな庭造りにすぎない!」などとは言わない。
アドリエンヌ・モニエはそういう庭師のようだった。そしてオデオン通りのあの温室で——そこではまったく自由に、敵意もあらわに、なにもかもごちゃまぜに、入りくみ絡みあって、微笑を浮かべながら、感動に打たれながら、あるいは激越に、さまざまな思想が花と開き、交換され、散り散りになって、しおれていった——彼女は自分の愛するもの、つまり文学を語っていた。
オデオン通りを通りかかって、多くの人々が、まるで自分の家に入るように、彼女の店に、本の家に足を入れたのは、そのためである。
彼女の店、それはまた駅の待合室のようでもあった。待つ部屋、そしてそこから出て行く部屋、そこではひどく変わった人たち、遠くから来た人たち、ここの人たち、その辺の人たち、よその人たち、ダブリンやヴュルチェルヌの人たち、グランド・ガラバーニュの、ソドムの、ゴモラの人たち、緑の丘の人たちがすれちがい、またこのうえなく複雑な世界から、このうえなくさりげなくやってきては、アドリエンヌとともにリュクサンブールの一夜を、テスト氏との宵を、地獄の一季節を、サーブル・メモリアルのいくばくかの
時をすごすのだった。
そして、風変りな天使が、モル・フランダースといっしょに法王庁の抜け穴を散歩し、ミラボー橋の下では、オデオンの河岸に沿ってセーヌが流れ、天と地が結婚し、失われた足跡が磁場のなかで自分を探し求め、そして音楽があった。愛国的な五大讃歌を小声で口誦んでいるのが聞こえ、それに重ねて、脳髄ぬきのルフランと振られた男の唄、それにモンテビデオの子供の恐ろしくも美しい歌の素晴らしい歌声が聞こえてくるのだった。
そして麗しい文字たちはいびきをかいていたが、たとえあなたがそれを逆撫でに愛撫しても、アドリエンヌ・モニエは好きなようにさせていたし、時にはそういうあなたに手を貸すことさえあった。
時おり、人目につかぬよう人目を忍んであらわれるごく若い人たちが、本をぱらぱらめくりながら、機械的に耳をそばだて、さもおかしそうな表情をみせるものだった。
奇妙な名前が、ごく単純な言葉に混じって突然あらわれるのだった。まるで珍妙な秘密結社の合言葉のように——フォガール、スメルジャコフ、バルナーブース、ラフカディオ、ペニート・チェレーノ、ノストロモ、シャルリュス、モラヴァジーヌ、アナバース、ファントマ、ビュビユ・ド・モンパルナス、エウバリノス……
そして若い人たちは帰っていった。マントの下に、会話の火でこんがり焼けた栗の実、番号つきの、本のなかの本ともいうべき、まだ頁を切っていない本を隠しもって。彼らは思想の取引の——さほど遠くない河岸で売り飛ばす思想の取引の、つつましい無名の代理人だった。
そして夜の帳が落ちた。
アドリエンヌは、彼女の本たちといっしょにひとり残り、店を閉めるまえ、天使たちに微笑みかけるように、その本たちに微笑するのだった。本たちは善良な悪魔のように微笑みを返した。彼女は微笑を浮かべたまま立ち去る。そしてその微笑が通り全体を明るく照らしていた。オデオン通り、アドリエンヌ・モニエ通りを。
ジャック・プレヴェール

プレヴェール 愛の詩集
嶋岡 晨訳 飯塚書店


映画「天井桟敷の人々」より、プレヴェールのシナリオ、M・カルネ監督の代表作