日本の正史には「鵜の羽で産屋の屋根を葺き終わらないうちに生まれたために名付
けられた」と記される「鵜葺草葺不合命」。しかし、日本各地に伝わる古文書(竹
内文書・宮下文書・秀真伝など)では、神武天皇以前に<うがや朝が73代続いた
>と記されている。
<鵜>は沖縄語で<アタ>と言うそうで、記紀では鵜飼の祖を阿多氏としている。
ならば、<鵜伽耶>は<アタ加那>とも呼称されていたのではなかろうか?
『 . . . 本文を読む
弥生時代の列島の倭人は倭族の一部であり、朝鮮半島にも倭人はいた。
『魏志・東夷伝・倭人条』によれば
「郡(帯方郡)より倭に到るには、海岸に楯(そ)いて水行し、韓国を歴るに、
南し乍ら東し乍ら、その北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到るに七千余里な
り」
倭へは韓国の海岸沿いに南下し南端の狗邪韓国に立ち寄るが、そこは倭の北岸と言
っており、倭国の領域なのであった。
では、<狗邪韓国>と . . . 本文を読む
出雲国造神賀詞の中で、飛鳥の神奈備に坐す<賀夜奈流美命>とは、奈良県明日香
村の栢森(かやのもり)に坐す加夜奈流美神社の祭神である。この神名は諏訪神社
の建御名方神と同様に、史書には全く記されない謎の神であるが、<秋の七草>の
<茅・伽耶>と係わる唯一の神名を持っている。
そして賀夜奈流美命の名が思いがけないところに記されていた。
岡山県岡山市の吉備津神社の社伝によると、賀夜臣奈流美が中山の麓に . . . 本文を読む
『続日本紀』によると霊亀2年(716年)2月10日出雲国造・出雲臣果安(はた
やす)が神賀詞(かんよごと)を奏上した。
この神賀詞は、出雲の杵築大社をはじめ熊野大社など186社の神主である、意宇
郡大領という出雲の祭政を一手につかさどる出雲国造が代替わりごとに朝廷に出仕
し、天皇の長寿を祈り、神宝を献上し、服属を誓う祝詞である。
この文中に
「己命の和魂(にぎたま)を八咫の鏡に取り託けて、倭の . . . 本文を読む
伏見稲荷神符の絵解きの最後は狐である。
現在、稲荷信仰といえば狐、狐といえば稲荷神と誰もが考えるほど親しまれている
狐ではあるが『山城国風土記』逸文として伝わる<伏見稲荷縁起>に現れるのは白
鳥であって、狐ではない。
一般的に稲荷信仰にとって狐は、稲荷明神そのものではなく、その神使としての霊
獣とされているものであり、江戸後期の国学者・前田夏蔭が『稲荷神社考』の中で
上代古典にみえる神々の使者と . . . 本文を読む