伏見稲荷神符の絵解きで、残るは鼠と狐である。
稲荷信仰にとって狐は重要な位置をしめており、稲荷といえば狐を連想する人が多
い。しかし、伏見稲荷神符で両狐とされていた一方が鼠とは、思いがけない発見で
あった。が、確かに鼠かどうか、もっと古い時代の伏見稲荷神符を見たいと思い探
していたところ、神田の三省堂書店で見つけた。しかし高価な本なので購入を迷っ
ている内に書店からなくなっていた。その伏見稲荷神符 . . . 本文を読む
対馬で埋納一類の銅矛は航海安全の祭祀に用いられたと考えられているが、出雲の
大神(大国主神)への加護を祈ったのだろうか?または出雲の大神の祟りを畏れて
祭祀したのだろうか?現代に矛がどのように伝えられているかを見れば判断のひと
つになるだろう。私が注目したのは京都の八坂神社の祇園祭りである。
祇園祭は、京都市東山区祇園町にある八坂神社の祭礼で、以前は祇園会あるいは祇
園御霊会(ごりょうえ)といっ . . . 本文を読む
出雲大社で行われる祭祀は、年間72度に及ぶというが、由緒が古く学者にも注目
されながら明確な説明がつかない「身逃神事(みにげのしんじ)」と「爪剥祭(つ
まむぎさい)」があるという。
この神事に注目したのは「今は<つまむぎ>と読むが、古くは<つまむき・つま向
>と書き、<き>は濁音ではなく常に清音であった」との『出雲大社』の記述と、
『古事記』の国譲り神話で、大国主命が葦原中国を献上する段に登場する . . . 本文を読む
弥生時代の対馬の銅矛埋納に、出雲王朝の紋章である<交い矛>がそのままの姿で
発掘されていたとは驚くべきことではないか。そして弥生時代に存在したと思われ
る出雲王朝の銅矛を奉ずる地域が、出雲のみならず越や北部九州やさらには朝鮮半
島南部の伽耶地方にまで存在していたのである。
出雲王朝の末裔という富氏は、富家の遠い神祖・久那戸大神を祀っていたと証言し
ているが、久那戸大神とは岐神(くなどのかみ)・道 . . . 本文を読む