ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

伏見稲荷神符31 八幡神の祭祀氏族

2009-10-12 07:07:44 | 日本文化・文学・歴史
全国各地で「八幡さま」と親しまれている八幡信仰の発祥地は福岡県田川郡香春町
の古宮八幡宮。この地は<昔、新羅の国の神、自ら渡り来て住みついた>と伝えら
れているが、この古宮八幡宮を出発点とする宇佐八幡宮の放生会を伝えた辛島氏の
<辛>とは<辛国>と同じ<辛>で<韓国=加羅>を指している。

香春神社の祭神<辛国息長大姫>は<息長帯姫(神功皇后・仲哀天皇の皇后・応神
天皇の母>と同一神と思われるが、『古事記』では息長帯姫の母の葛城高額比売の
始祖は<新羅の王子・天之日矛(天日槍・あめのひぼこ)とされるので、新羅の国
の神とする風土記の記述と整合している。

また、<息長>とは、鉄を生産する際にフイゴに長く息を吹き込み空気を送るが、
その状態を指す語で息長帯姫は渡来系の鍛冶氏族の母神とする説もあり、『豊後国
風土記』の<いもの繁茂>と係わり大変興味深い。

では、香春の神(八幡神)を奉じた人々とはどのような氏族であろうか?
最初の祭祀氏族は」赤染・長光・辛島氏らであるが、すべてが古代最大の渡来氏族
である秦氏の同族であるという。
中国の『隋書』倭国伝によると、推古天皇16年(606年)に隋の皇帝は裴世清(
はいせいせい)等を倭国に派遣した。その際の使者の、百済からの順路が次のよう
に記されている。

 「竹斯国に至り、又、東して秦王国に至る。其の人華夏に同じ。以って夷州と為
  すも、疑うらくは、あきらかにするは能はざるなり。又、十余国を経て海岸に
  達す。竹斯国より以東は、皆倭に附属す」

この「秦王国」については、周防説、長門説もあるが、豊前説を主張する学者も多
い。論拠は大宝2年(703年)の豊前国の戸籍である。

『日本にあった朝鮮王国』(大和岩雄・1993年・白水社)に載る上三毛郡(塔里ほ
か)・仲津郡の戸籍の割合は、秦部48%・勝(すぐり)部37%・その他15%
であり、半田康夫氏は「勝」について、『日本書紀』雄略天皇15年条の秦酒公が
秦の民を集め、秦の民である「百八十種の勝」を率い、絹をつくって献上した記事
を引用し、秦部、勝部ともに秦氏に属していた。

また、「塔里」の地名が新羅の首都慶州にあり、今も同名の地名があることから、
「里名の濃厚な半島的色彩を想えば、此の地方に於ける秦系の圧倒的勢力を肯定し
て差し支えないようであろう」と言う。つまり、八幡神を奉ずる豊国は新羅系渡来
人の秦氏が鍛冶や鋳物で富を得て、先住の菟狭国を駆逐して秦王国を築きあげた可
能性があろう。

宇佐八幡宮の「放生会」は戦乱で亡くなった隼人への鎮魂の行事であるが、その大
隅隼人・阿多隼人の本拠地である薩摩地方へも秦氏は進出し『続日本紀』の大宝2
年(702年)条には隼人の反乱・征討・鎮圧・叙勲の記事があり、その征討軍が秦
氏であった。
この折に城塞として「稲積城」を築いたが、この「稲積」という地名は辛島氏の本
拠地や、宇佐郡にも「稲積山」があり、秦氏が祀る伏見稲荷大社の縁起

 「昔、秦中家忌寸らの先祖伊呂具が稲梁を積み上げるばかりに富裕であったが、
  富に奢り餅を的として矢を射たところ、餅は白鳥に化して飛び去り、山の峰に
  留まった。そこに稲が実った。この社を稲荷と呼ぶ謂れである。」

の<稲を積みあげる>を彷彿とさせる。

<山幸・海幸神話>の山幸は大和朝廷側で、海幸は大和朝廷に服属する隼人らとさ
れるているが、九州の菟狭国(宇佐)や大隅・阿多の隼人の地でも<国譲り>が行
われ、その中心に新羅からの渡来集団の秦氏が係わっていたように思われる。










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