ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

伏見稲荷神符29  『豊後国風土記』のキーワード<いも> 1

2009-10-10 06:11:08 | 日本文化・文学・歴史
宇佐国造家の伝承によれば、<菟狭族は日本最古の先住民族として、早期縄文時代
には、山城国の稲荷山を根拠地として、狩猟・漁労・採取の生活をいとなんでいた
>と伝えている。早期縄文時代とは信じがたいが、九州大分の宇佐家の伝承に山城
の稲荷山が登場し、伏見稲荷神符発祥の地がなぜ係わっているのかが興味深い。

「伏見稲荷縁起」は国譲り神話の天神側からの伝承では?と述べてきたが、その伏
見稲荷縁起に語られる<餅が白鳥に化す「白鳥の変容伝承」>が、古代の豊の国
(九州北東部の呼称。七世紀末豊前・豊後に分かれた)にも伝えられている。
それには出雲国造神賀詞で事代主と係わる<うなて>が登場する。

『豊後国風土記』の総記条・国名由来説話である。

  景行天皇の時代、天皇の命をうけた豊国直の祖<菟名手>が豊国を統治するた
  めに、豊前国中臣村にいたり、ここで日が暮れて宿泊した。翌朝、この村に白
  鳥が北方より飛来してきたので、菟名手が従者に命じて見させたところ

  <白鳥が餅となり、さらに、それが芋数千ばかりに化す>

  <この芋の花と葉は冬も栄えて枯れなかった>

  ので菟名手が瑞兆であるとして朝廷へ参上して奏聞した。

この説話は白鳥が餅と化し、さらに芋に化すという、稲荷縁起とは違う展開をする
が、その根には共通の比喩が隠されているように思われる。
稲荷縁起では白鳥を<新羅>、餅を<杵築(出雲)大社>と推定したが、『豊後国
風土記』の説話にもあてはめて推理してみたい。
興味深いことには、国東半島の南部に杵築(江戸時代には豊後国速見郡・中世には
木次)があり、『出雲国風土記』の出雲郡杵築郷(本の字は寸付)と共通の地名が
存在する。

豊国の国東地方の先住者は、記紀や宇佐国造家の伝承によれば菟狭族である。
そこへ景行天皇の頃に北方から白鳥が(新羅系の人)がやってきて、餅(穀霊・国
霊・国造)となった。その後、この地では芋が夏も冬も繁茂し大変栄えたという。
『豊後国風土記』の速見郡田野の条等にも稲荷縁起同様の説話があり、こちらは白
鳥が去ったあと百姓が死に絶え、水田も荒れ果ててしまう状況を伝えており、豊国
でも出雲国同様の国譲りが行われた可能性があろう。

問題は<芋>である。定説では里芋とされるが、芋によって栄えるとはどのような
状況を指しているのだろうか?
私はこの<いも>が大分地方では特別な意味を持ち、この伝承のキーワードでは
ないかと思った。そして、『日本大百科全書(小学館)』の「大分の伝説」の項に
興味深い<いも>の存在を知った。

  大分の代表的伝説に三重町に伝わる「真名野長者(まののちょうじゃ)」があ
  る。炭焼き男が神の恩寵にあずかって巨額の黄金を得る「炭焼き長者」と共通
  する物語で、この手の伝承は中部地方から東北地方にまで分布しているが、
 「真名野長者」伝説は宇佐八幡の信仰と濃厚に結びついていて、おそらくこの種
  の古伝ともいうべきであろう。

とするが、、その伝播の役割をつとめたのが<鋳物師(いもじ)>や、金属売買を
業とする旅行者と推測されるという。

<鋳物>とは金属加工法のひとつで、目的製品の形状に合わせた鋳型を造り、注入
口から溶かした金属を流し固めること。また、その製品をいう。
日本では紀元前300年頃から青銅の剣・矛・銅鐸の鋳造が始まったが、鉄は400
年頃からと考えられている。

<鋳物師>の<いも>が私のさがしているキーワードではないかと思った。

















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