2011年3月11日14時46分東北・三陸沖を震源とするマグニチュード8,8の巨大地震がおきた。
私はブログの更新のための下書きをしていたが、三島でもかなり大きな横ゆれがあり、一瞬東海地震が頭
をよぎった。我に返りテレビをつけると「津波が来るので避難を」というばかりで震源がどこか暫く判ら
ず「何処?何処?」とあせった。そして郷里の宮城県沖を震源とする巨大地震と知った。姉一家の安全は
確認できたが、実家や親族とはいまだに連絡がとれない。
テレビは三陸から茨城にかけての信じられないような壊滅的津波被害の状況を映しだしている。
専門家の解説によるとМ8,8は観測史上最大で千年に一度の大規模地震と言う。それを聞いて、ある新
聞記事が頭に浮かんだ。
『古代からの暗号』の取材で、京都の八坂神社の祇園御霊会の起源が、スサノオ命の祟りを鎮めるためで
あると知り、当時の朝廷が祟りと感じる事件がおきたと考えて調べたところ、794年平安京に遷都以来
富士山の噴火、疫病の発生で死者多数、暴風雨、長雨、大火がおこっていたが、さらに869年陸奥大地
震、大津波がおきたという天変地異の記録が残されていた。
この869年の大地震、大津波の痕跡らしい堆積物がみつかったという朝日新聞の記事を思いだし、探し
出したので記事全文を掲載します。
朝日新聞2005年10月22日の記事より
「1100年前の巨大津波跡か」
仙台平野 産総研発見、調査へ
仙台平野を襲った巨大津波の痕跡ではないかと見られる堆積物を、産業技術総合研究所(茨城県つく
ば市)の研究チ-ムが確認した。広範囲に内陸数キロまで入り込む巨大津波の堆積物は、国内ではこ
れまで北海道太平洋岸で知られているだけだった。伝承が残るものの、実態がはっきりしない869
年の津波の可能性があり、産総研は詳しい調査をはじめた。
産総研活断層研究センターの岡村行信チーム長らが21日、札幌市で開かれた日本地震学会で発表し
た。
岡村さんらは、海岸線から約2キロ入った宮城県南部の水神沼(山元町)で、沼の泥の中に津波が運
んだ海の砂と考えられる4層の堆積物を見つけた。最も厚く最も新しい10センチ程度の堆積物は、
1300~1000年前のもので、869年の津波堆積物と推定された。
三陸海岸はたびたび津波被害を受けているが、仙台平野は比較的被害がすくない。しかし869年に
は今の宮城県から茨城県にかけての地域を襲った津波で、仙台平野も大きな被害を受けたという記録
が古文書などに残る。津波の痕跡があるとの報告もあったが、実態は分かっていなかった。
石巻平野などでも、同時期のものとみられる津波堆積物が見つかった。
海岸線から数キロの内陸に広範囲に残る津波堆積物は、巨大津波の痕跡とされる。北海道の太平洋岸
で約500年おきに繰り返てきたことがつ突き止められてから注目されるようになった。死者行方不
明者3千人以上の1933年の三陸地震津波でもこうした堆積物は残されておらず、それを上回る
規模と推定される。 (瀬川茂子)
この調査、発見の学会発表が今回の巨大地震の予測に繋がらなかったことが残念でならない。今後日本列
島の巨大地震の歴史を洗い出し、防災情報をしっかり国民に伝えてほしい。
被害の惨状はみれるのに、個人の安否が確認できない状況にもいらだたしい。いつかきっと東海大地震が
おこると覚悟をし、備えをしなければと思った。
私はブログの更新のための下書きをしていたが、三島でもかなり大きな横ゆれがあり、一瞬東海地震が頭
をよぎった。我に返りテレビをつけると「津波が来るので避難を」というばかりで震源がどこか暫く判ら
ず「何処?何処?」とあせった。そして郷里の宮城県沖を震源とする巨大地震と知った。姉一家の安全は
確認できたが、実家や親族とはいまだに連絡がとれない。
テレビは三陸から茨城にかけての信じられないような壊滅的津波被害の状況を映しだしている。
専門家の解説によるとМ8,8は観測史上最大で千年に一度の大規模地震と言う。それを聞いて、ある新
聞記事が頭に浮かんだ。
『古代からの暗号』の取材で、京都の八坂神社の祇園御霊会の起源が、スサノオ命の祟りを鎮めるためで
あると知り、当時の朝廷が祟りと感じる事件がおきたと考えて調べたところ、794年平安京に遷都以来
富士山の噴火、疫病の発生で死者多数、暴風雨、長雨、大火がおこっていたが、さらに869年陸奥大地
震、大津波がおきたという天変地異の記録が残されていた。
この869年の大地震、大津波の痕跡らしい堆積物がみつかったという朝日新聞の記事を思いだし、探し
出したので記事全文を掲載します。
朝日新聞2005年10月22日の記事より
「1100年前の巨大津波跡か」
仙台平野 産総研発見、調査へ
仙台平野を襲った巨大津波の痕跡ではないかと見られる堆積物を、産業技術総合研究所(茨城県つく
ば市)の研究チ-ムが確認した。広範囲に内陸数キロまで入り込む巨大津波の堆積物は、国内ではこ
れまで北海道太平洋岸で知られているだけだった。伝承が残るものの、実態がはっきりしない869
年の津波の可能性があり、産総研は詳しい調査をはじめた。
産総研活断層研究センターの岡村行信チーム長らが21日、札幌市で開かれた日本地震学会で発表し
た。
岡村さんらは、海岸線から約2キロ入った宮城県南部の水神沼(山元町)で、沼の泥の中に津波が運
んだ海の砂と考えられる4層の堆積物を見つけた。最も厚く最も新しい10センチ程度の堆積物は、
1300~1000年前のもので、869年の津波堆積物と推定された。
三陸海岸はたびたび津波被害を受けているが、仙台平野は比較的被害がすくない。しかし869年に
は今の宮城県から茨城県にかけての地域を襲った津波で、仙台平野も大きな被害を受けたという記録
が古文書などに残る。津波の痕跡があるとの報告もあったが、実態は分かっていなかった。
石巻平野などでも、同時期のものとみられる津波堆積物が見つかった。
海岸線から数キロの内陸に広範囲に残る津波堆積物は、巨大津波の痕跡とされる。北海道の太平洋岸
で約500年おきに繰り返てきたことがつ突き止められてから注目されるようになった。死者行方不
明者3千人以上の1933年の三陸地震津波でもこうした堆積物は残されておらず、それを上回る
規模と推定される。 (瀬川茂子)
この調査、発見の学会発表が今回の巨大地震の予測に繋がらなかったことが残念でならない。今後日本列
島の巨大地震の歴史を洗い出し、防災情報をしっかり国民に伝えてほしい。
被害の惨状はみれるのに、個人の安否が確認できない状況にもいらだたしい。いつかきっと東海大地震が
おこると覚悟をし、備えをしなければと思った。