すごく 狭い所にありました 隣は 民家です
社務所
昔の地図
平家ゆかりの神社で、本殿には大山祇命ほか2神を祀る旧郷社である。
社伝によれば、後白河天皇中宮建春門院(平滋子)は皇子のいないのを憂え、
摂津国の三島神社に祈って高倉天皇を出産されたが、その報恩のため、
平重盛に勅してこの地に社殿を造営し、三島神社を勧請されたのが起こりとつたえる。
治承2年(1178)高倉天皇中宮建礼門院(平徳子)もまた安徳天皇の降誕に当たって当社に安産祈願をされた。
平家一族の没落後も安産祈願の神として信仰され、
祈願をするものは、「うなぎ」を禁食し、御礼に「うなぎ」の小絵馬を奉納するならわしになっている。
毎月5月・10月の各26日には「うなぎ祭」がおこなわれる。
影向石
高さ2メートル、赤みをおびた岩石で、木花咲耶姫が影向した石とつたえ、
古くは安産石とも誕生石ともよばれ、安産を祈る信仰があった。
また、社伝によれば、牛若丸は当社に参籠し、平家追討を祈願中、夢中に老翁が現れ、
すぐに奥州へ行くようにとの宣託を受け、この石の前から奥州へ旅立ったと伝える。
これに因んでこの石を遥向石とも称する。
ウナギの 絵馬
影向石
高さ2メートル、赤みをおびた岩石で、木花咲耶姫が影向した石とつたえ、
古くは安産石とも誕生石ともよばれ、安産を祈る信仰があった。
また、社伝によれば、牛若丸は当社に参籠し、平家追討を祈願中、夢中に老翁が現れ、
すぐに奥州へ行くようにとの宣託を受け、この石の前から奥州へ旅立ったと伝える。
これに因んでこの石を遥向石とも称する。
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