しゃかしゃか母、旅に出ました

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【最後の砦だった扶蘇山城】百済歴史遺跡へのFAM⑤2017/10/28

2017年11月23日 | 2017/10百済歴史遺産へのFAM
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『扶蘇山城』 の駐車場まで来ました。

『扶蘇山城』 には百済の歴史に関わりの深い遺跡が今なお多く残っており、

2015年には「百済歴史遺跡地区」 の1つとしてユネスコ世界文化遺産にも指定されたそうです。



実は、以前にもこの近くに来たことがありました。

今回は、コースが少し違っているので、楽しみ♪



扶蘇山の麓は、それほど高低差がないとのことで、歩いてスタートします!



ここ 『扶蘇山城』 は、百済が中国・唐と新羅の連合軍に滅ぼされるまでの約120年間

首都である泗沘の繁栄を支えた軍事的象徴そして、滅亡の瞬間をともにした最後の砦だそうです。

都の中心部である扶蘇山の麓に王宮 「泗沘城」 も作られたため、

昨日見学した土の城 「扶余羅城」 とつながって王都を守護するもっとも重要な砦だということです。



歩きをすすめる道の先に 『三忠祠』 が見えてきました。

神や祖先を祭るほこらだそうです。



門をくぐるわけですが、向かって右側から入り、左側から出て来るとのこと。

真ん中は、王様が通られる道なので、門が閉じてあります。



中に進むと、祠堂があり、



その中に、なにやら祀られている模様…

ガイドさんによると、祠堂の中には、百済三大忠臣とされる3人の肖像画があるそうです。



左から成忠 (ソンチュン)、興首 (フンス)、階伯 (ケベック) だそうです。

成忠は、義慈王 (百済最後の王) の時の忠臣で、誤った政治をただすために尽力し、

興首と階伯は2人とも軍人で最期まで勇敢に唐と新羅の連合軍と戦ったそう。

その3人の功を称え、こちらには、お位牌と肖像画が祀られているんだとか。



ガイドさんに続いて道なき道の先を進みます。



ここは、韓国の人にとってハイキングコースになっているようで、

運動靴が必須ですね~



ガイドさんがいなかったら、迷子になりそう…

そして、そのガイドさんがこの左の土壁が 「城壁」 だと教えてくれました。

教えてもらわないと、これも分からなかったかも…



他にも山頂に行くためのコースはまがたくさんあるそうです。



私は、前回違うコースで訪れています。

【부소산성 (扶蘇山城)】
충청남도 부여군 부여읍 관북리 산1 (忠清南道 扶余郡 扶余邑 官北里 山1)
営業時間 : (3~10月)8:00~18:00、(11~2月)8:00~17:00
休業日 : 年中無休
交通手段 : 扶余市外バスターミナルより徒歩13分 (タクシーにて約2分)
ホームページ : こちら

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