一家衆(もとは越後長尾一族、同じく越後守護上杉家(前上杉氏)の一族)
長尾右京亮景信(ながおうきょうのすけかげのぶ)
仮名は十郎を称したと伝わる。越後国長尾氏(平姓鎌倉氏)のひとつである古志長尾氏。天文22年に古志郡内の相論を裁定するなど、古志郡司としての活動が見られる長尾景憲と同一人物の可能性がある。父は古志長尾豊前守房景(小宝士丸。弥四郎)。越後国古志郡の栖吉城主。
桃井右馬助義孝(もものいうまのすけよしたか)
永禄4年には伊豆守を称する。先代も伊豆守義孝を名乗った。源姓足利桃井一族。越後国頸城郡の鳥(富)坂城主と伝わる。
山本寺伊予守定長(さんぽうじいよのかみさだなが)
越後守護上杉家(藤原姓上杉氏)の一族。越後国頸城郡の不動山城主。
上条 頼房(じょうじょう よりふさ)
仮名は惣五郎か。越後国守護上杉家の一族。上条播磨守定憲(弥五郎)の後継者。天文22年10月12日に「春日山平三」(上洛中の長尾景虎と考えられている)から高野山清浄心院に「上椙頼房」の供養が依頼されている。天文21年に自身の逆修供養を高野山清浄心院に依頼した「鵜河庄上条上サマ」こと明印月窓は妻と思われる。越後国刈羽郡の上条(黒滝)城主。
上条 某(じょうじょう)
実名、通称は不詳。越後守護上杉家の一族。上条上杉頼房の後継者である。長尾為景の娘で、景虎の姉である小少将(法名は光室妙智大姉)を妻に迎えたと思われる。越後国刈羽郡の上条(黒滝)城主。
山浦 某(やまうら)
実名、通称は不詳。越後守護上杉家の一族。越後国蒲原郡の笹岡城主。
奥郡国衆(阿賀北の外様衆)
中条越前守(なかじょうえちぜんのかみ)
実名は房資、次いで景資であろう。仮名は弥三郎を称した。平姓三浦和田一族。越後国蒲原郡の鳥坂城主。
黒川下野守(くろかわしもつけのかみ)
実名は平実であろう。仮名は四郎次郎を称した。平姓三浦和田一族。父は黒川四郎右兵衛尉清実(四郎次郎)。越後国蒲原郡の黒川城主。
黒川竹福丸(くろかわたけふくまる)
のちに四郎次郎平政と名乗る。平姓三浦和田一族。越後国蒲原郡の黒川城主。
本庄弥次郎繁長(ほんじょうやじろうしげなが)
幼名は千代猪丸を称した。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡の村上城主。
色部弥三郎勝長(いろべやさぶろうかつなが)
のちに修理進を称する。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡の平林(加護山)城主)
小河右衛門佐長資(おがわえもんのすけながすけ)
平姓秩父本庄一族。本庄弥次郎繁長の叔父。越後国瀬波(岩船)郡の小河城主。
鮎川岳椿斎元張(あゆかわがくちんさいげんちょう)
摂津守清長を名乗った。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡の大葉沢城主。
大川 某(おおかわ)
駿河守忠秀を名乗ったと伝わる。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡の藤懸(府屋)城主。
加地 某(かぢ)
越後国守護上杉定実(号玄清)・同国守護代長尾為景(絞竹庵張恕)期の享禄4年に見える加地安芸守春綱あるいはその次代か。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡の加地城主。
新発田尾張守忠敦(しばたおわりのかみただあつ)
仮名は源次郎を称した。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡の新発田城主。
五十公野 某(いじみの)
新発田五十公野輔親の後継者にあたる弥三郎景家か。佐々木加地一族。越後国蒲原郡の五十公野城主。
竹俣三河守慶綱(たけのまたみかわのかみよしつな)
官途名は太郎左衛門尉を称したと伝わる。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡の竹俣城主。
水原 某(すいばら)
仮名は小太郎か、壱岐守隆家を名乗ったか。平姓大見一族。父は水原伊勢守政家か。越後国蒲原郡の水原城主。
安田治部少輔長秀(やすだぢぶのしょうながひで)
安田弥太郎実秀の後身であろう。平姓大見一族。父は安田但馬守か。妻は上田長尾越前守房長の娘(長尾六郎政景の妹)と伝わるが年代的に無理がある。実際は長尾房長の妹か。天文10年に嫡男の弥太郎を失っている。越後国蒲原郡の安田城主。
下条 某(げじょう)
薩摩守実頼を名乗ったと伝わる。平姓大見一族。越後国蒲原郡の下条城主。
荒川 某(あらかわ)
伊豆守長実を名乗ったか。藤原姓波多野河村一族。越後国蒲原郡の荒川城主。
垂水 某(たるみ)
のちの源次郎か。藤原姓波多野河村一族。越後国蒲原郡の垂水城主。
中郡国衆(阿賀南の外様衆)
菅名 某(すがな)
但馬守重国を名乗ったか。藤原姓信夫佐藤一族。越後国蒲原郡の菅名城主。
菅名 某(すがな)
のちの源三か。菅名但馬守重国の嗣子か。藤原姓信夫佐藤一族。越後国蒲原郡の菅名城主。
母躰孫太郎宗資(もたいまごたろうむねすけ)
源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡の護摩堂城主か。
平賀 某(ひらが)
のちの左京亮重資か。源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡の護摩堂城主。
新津 某(にいつ)
上杉定実・長尾為景期の大永6年に見える新津上総介景資あるいはその次代であろう。源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡の新津城主。
城織部佑景茂(じょうおりべのすけかげもち)
父は城次郎左衛門尉貞茂と伝わる。平姓城一族。越後国蒲原郡の木越城主と伝わる。改易されて甲州武田氏に仕えたのちは、和泉守を称し、意庵を号する。
新発田宮内少輔(しばたくないのしょう)
源姓佐々木加地一族。神洞の新発田出雲守の次代に当たる。越後国蒲原郡の神洞城主か。
奥郡国衆(もとは越後守護上杉家の譜代衆)
石川 某(いしかわ)
上杉定実・長尾為景期の永正18年に見える石川新九郎景重あるいはその次代であろう。平姓三浦一族か。景重は石川新五郎(斎藤下野守昌信の子)の後継者。越後国蒲原郡の石川城主と伝わる。
千坂対馬守(ちさかつしまのかみ)
上杉定実・長尾為景期の永正年間に見える千坂藤右衛門尉景長の後身か。千坂景長の世子と伝わる千坂対馬守景親(はじめ朝儀を名乗ったか)の可能性もあろうが、間に一代を挟む可能性もあろう。藤原姓首藤一族か。越後国蒲原郡の鉢盛城主と伝わる。
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