越後長尾・上杉氏雑考

主に戦国期の越後長尾・上杉氏についての考えを記述していきます。

長尾景虎(号宗心)期の越後衆一覧 【3】

2013-12-12 22:37:52 | 長尾景虎(宗心)期の越後衆

 旗本衆(もとは越後守護上杉家(前上杉氏)の譜代衆、同じく越後守護代長尾家譜代衆)

 本庄新左衛門入道宗緩(ほんじょうしんざえもんにゅうどうそうかん)
 実名は実乃(読みは「さねゆき」か)を名乗った。官途名は新左衛門尉を称した。のちに美作入道を称する。もとは古志長尾氏の与力か。妻は北条毛利氏の娘か。次男(のちの本庄清七郎)は越後国長尾景虎の小姓を務めたと伝わる。もとは越後守護上杉家の譜代家臣であった奉行人の大熊備前守朝秀が越後国長尾家から離反して甲州武田家の家臣となってしまうまでの間、小林新右兵衛尉宗吉を加えた三人で奉行衆を構成した(時には小林に替わって直江神五郎実綱か新保八郎四郎長重が務めることもあった)。有道姓庄一族と伝わる。越後国古志郡栃尾城主。


 本庄玖介(ほんじょうきゅうすけ)
 のちの本庄新左衛門尉であろう。本庄新左衛門入道宗緩の嗣子。越後国古志郡栃尾城主。


 山吉恕称軒政応(やまよしじょしょうけんせいおう)
 実名は政久を名乗った。仮名は孫四郎、受領名は丹波守を称した。丹波入道。父は山吉四郎右兵衛尉正綱か。次男(のちの山吉孫次郎豊守)は越後国長尾景虎の小姓を務めたと伝わる。越後国蒲原郡司。平姓池一族と伝わる。越後国蒲原郡三条城主。天文22年7月20日に死去した。月清政応。


 山吉孫四郎(やまよしまごしろう)
 実名は景久か。山吉恕称軒政応の嗣子。越後国蒲原郡司。越後国蒲原郡三条城主。永禄元年9月22日に死去した。香雲宗清。


 吉江中務丞忠景(よしえなかつかさのじょうただかげ)
 もとは越後守護上杉家の譜代衆。平姓大河戸一族と伝わる。越後国蒲原郡吉江城主か。


 直江与右兵衛尉実綱(なおえよびょうえのじょうさねつな)
 仮名は神五郎を称した。のちに大和守政綱、景綱を名乗る。越後守護上杉家の譜代衆・直江掃部入道酒椿の世子。本庄実乃・大熊朝秀・小林宗吉で構成された奉行衆のうち、時に小林と替わり、直江実綱か新保長重のどちらかが三奉行に列した。神姓諏訪一族と伝わる。越後国山東(西古志)郡与板城主。越後国長尾景虎の第一次関東遠征に際し、吉江織部佑景資・荻原掃部助と共に、越府留守将の桃井右馬助義孝・黒川竹福丸・柿崎和泉守景家・長尾小四郎景直・同源五郎たちに対する旗本検見(監察)を務めた。


 松本河内守(まつもとかわちのかみ)
 実名不詳。先祖は信濃国筑摩郡松本の地から移ってきたと伝わる。越後国山東(西古志)郡小木(荻)城主。


 松本大学助(まつもとだいがくのすけ)
 実名は忠繁か。のちの松本石見守景繁か。松本河内守の嗣子か。越後国山東(西古志)郡小木(荻)城主。


 小林新右兵衛尉宗吉(こばやししんびょうえのじょうむねよし)
 もとは越後守護上杉家の譜代衆か。本庄実乃・大熊朝秀の三人で奉行衆(三奉行)を構成したが、時に小林宗吉は直江実綱か新保長重と交替していた。


 新保八郎四郎長重(しんぼはちろうしろうながしげ)
 越後守護上杉家の譜代衆であった新保勘解由左衛門尉景重の子か。本庄実乃・大熊朝秀・小林宗吉の三人で構成された奉行衆のうち、時に小林と替わり、新保長重か直江実綱のどちらかが三奉行に列した。時期は不明であるが早世した。不識光珎。


 下条新右衛門尉茂勝(げじょうしんえもんのじょうもちかつ・しげかつ)
 もとは古志長尾氏の被官。出頭人。


 吉江木工助茂高(よしえもくのすけもちたか・しげたか)
 もとは古志長尾氏の被官。出頭人。平姓大河戸一族と伝わる。天文末期に死去したか。覚阿弥陀仏。


 吉江織部佑景資(よしえおりべのすけかげすけ)
 初名は長資を名乗った。仮名は与橘を称したか。吉江木工助茂高の嗣子。越後国長尾景虎から長尾家に縁の一字を二度に亘って賜った。公銭方。景虎の第一次関東遠征に際し、直江与右兵衛尉実綱・荻原掃部助と共に、越府留守将たちに対する旗本検見(監察)を務めた。


 庄田惣左衛門尉定賢(しょうだそうざえもんのじょうさだかた)
 もとは古志長尾氏の被官。公銭方。


 村田次郎右衛門尉(むらたじろうえもんのじょう)
 実名不詳。のちの村田忠右衛門尉秀頼か、或いは村田秀頼の父にあたるか。


 小越平左衛門尉(おごしへいざえもんのじょう)
 実名不詳。もとは古志長尾氏の被官。


 平林 某(ひらばやし)

 山田修理亮長秀(やまだしゅりのすけながひで)
 初め多飯地(大石か)氏という。もとは古志長尾氏の被官か。のちに年寄衆の河田豊前守長親に付属される。


 高梨 某(たかなし)
 のちの修理亮か。


 荻原掃部助(おぎわらかもんのすけ)
 実名不詳。のちに伊賀守を称する。越後国長尾景虎の第一次関東遠征に際し、直江与右兵衛尉実綱・吉江織部佑景資と共に、越府留守将たちに対する旗本検見(監察)を務めた。


 新保清右衛門尉秀種(しんぼせいえもんのじょうひでたね)
 父は永禄2・3年頃に死去した(法名は感林道久)。


 三潴出羽守長政(みづまでわのかみながまさ)
 先祖は筑後国三潴郡三潴荘から移ってきたと伝わる。越後国蒲原郡中目城主。


 楡井又三郎(にれいまたさぶろう)
 のちの修理亮・治部少輔か。源姓村上一族か。もとは越後守護上杉家の譜代衆。越後国魚沼郡板木城主か。


 大石右馬允(おおいしうまのじょう)
 実名不詳。越後由来の大石氏か。永禄2年に死去した。笑山常喜。


 大石源助(おおいしげんすけ)
 実名不詳。大石右馬允の嗣子。のちに右馬允を称する。


 船見宮内少輔(ふなみくないのしょう)
 実名不詳。越中国新川郡船見の地に由来する船見氏か。法名は華翁道雪か。


 鹿嶋彦九郎(かしまひこくろう)
 実名不詳。上杉謙信期の鹿嶋蔵人の父か。


 河村孫六(かわむらまごろく)
 実名不詳。上杉謙信期の河村孫六郎の父か。


 鰺坂 某(あじさか)
 与二か。先祖は筑後国御井郡鰺坂荘から移ってきたと伝わる。


 小嶋 某(こじま)
 弥三か。かつて古志長尾氏の与力であった小嶋源三郎重隆に連なるか。


 梅津 某(うめづ)
 宗三(法名は智光宗円)か。


 本田 某(ほんだ)
 新助か。本田右近允(実名は長定か)の前身か。


 小林 某(こばやし)
 左京進か。もとは越後守護上杉家の譜代衆か。


 蔵田 某(くらた)
 宗六か。伊勢神宮の御師の出身で、府内代官・蔵奉行を務める蔵田五郎左衛門尉の一族か。


 宇津江 某(うつえ)
 藤左(右)衛門尉か。


 山下 某(やました)
 修理入道(永禄3年に自身の逆修供養をしている。在中光珎)か。


 野島平次左衛門尉(のじまへいじざえもんのじょう)
 実名不詳。越後奥郡国衆・色部氏や出羽国衆・大宝寺氏の許への使者を務めた。


 若林 某(わかばやし)
 上杉謙信期の若林九郎左衛門尉家吉の父か。


 山村 某(やまむら)
 藤三(蔵)・右京亮(実名は重信か)であろう。越後国頸城郡青木城主か。


 諏方 某(すわ)
 のちの左近允か。


 相浦 某(あいうら)
 上杉謙信期の相浦主計助の父か。


 荻田 某(おぎた)
 官途名は掃部助か。近江国北郡の出身と伝わる荻田氏か。上杉謙信期の荻田与三左衛門尉(法名は日山道慧)の父か。


 鋳物師屋 某(いもじや)
 公銭方。越後守護上杉家の時代に信濃国から移るか。


 富永 某(とみなが)
 上杉謙信期の富永清右兵衛尉(実名は長綱か)の父か。公銭方。


 塚本 某(つかもと)
 母(円窓昌仲)は景虎と親しい間柄であった。


 林 某(はやし)
 のちの平右衛門尉か。


 吉田 某(よしだ)
 源右衛門尉兼政、のちの美濃守か。越後国頸城郡直峰城主か。


 神余隼人入道(かなまりはやとにゅうどう)
 法号不詳。実名は実綱を名乗った。仮名は小次郎、官途名は隼人佑を称した。父は神余越前守昌綱。越後守護上杉家の京都雑掌を務めていたが、天文末年頃に京都を引き払った。忌部姓神余一族。先祖は安房国安房郡神余郷から出たという。


 神余小次郎(かなまりこじろう)
 実名不詳。のちに隼人佑を称する。神余隼人入道の嗣子。


 金津新右兵衛尉(かなづしんびょうえのじょう)
 実名は弘雅か。景虎の乳母夫と伝わる。源姓平賀金津一族。


 河田九郎左衛門尉長親(かわだくろうざえもんのじょうながちか)
 のちに豊前守を称する。江州六角佐々木氏の旧臣。藤原姓伊東一族か。景虎から越後国長尾家に縁の一字を賜った。小姓衆を経て出頭人となった。


 鰺坂清介長実(あじさかせいすけながざね)
 江州六角佐々木氏の旧臣。景虎から越後国長尾家に縁の一字を賜り、鰺坂与二の名跡を継いだか。小姓衆を経て出頭人となるか。


 吉江喜四郎資賢(よしえきしろうすけかた)
 江州六角佐々木氏の旧臣で、景虎側近の吉江氏の一族に列し、吉江織部佑景資から一字を与えられた。小姓衆を経て出頭人となるか。


 河隅三郎左衛門尉忠清(かわすみさぶろうざえもんのじょうただきよ)
 もとは越後守護代長尾家の被官、或いは古志長尾氏の被官か。
コメント

長尾景虎(号宗心)期の越後衆一覧 【2】

2013-12-11 17:23:44 | 長尾景虎(宗心)期の越後衆

 中郡国衆(もとは越後守護上杉家(前上杉氏)の譜代衆・外様衆)

 長尾越前守政景(ながおえちぜんのかみまさかげ)
 仮名は六郎を称した。越後長尾一族(平姓鎌倉氏)の上田長尾氏。景虎の姉婿。越後国魚沼郡坂戸城主。


 長尾遠江守藤景(ながおとおとうみのかみふじかげ)
 越後長尾一族の下田長尾氏。年寄衆。越後国蒲原郡下田(高)城主。


 長尾 景繁(ながお かげしげ)
 通称不詳。越後長尾一族。年寄衆。


 長尾 景憲(ながお かげのり)
 通称不詳。受領名は筑後守を称するか。古志長尾氏の一族。年寄衆。


 斎藤下野守朝信(さいとうしもつけのかみとものぶ)
 仮名は小三郎を称した。年寄衆。越後国刈羽郡赤田城主。


 北条丹後守高広(きたじょうたんごのかみたかひろ)
 仮名は弥五郎を称した。のちに安芸守を称する。大江姓毛利一族。北条・安田の両毛利氏の当主を兼ねた毛利丹後守広春(五郎)から北条氏の名跡を継いだ。年寄衆。越後国刈羽郡北条城主。


 安田越中守景元(やすだえっちゅうのかみかげもと)
 幼名は百丸、仮名は弥八郎を称した。大江姓毛利一族。毛利丹後守広春から安田氏の名跡を継いだ。妻は北条安芸守輔広(号祖栄)の娘。越後国刈羽郡安田城主。


 安田弥九郎(やすだやくろう)
 実名は景広か。幼名は松若丸を称した。のちに和泉守を称するか。安田越中守景元の嗣子。越後国刈羽郡安田城主。


 琵琶嶋 某(びわじま)
 弥七郎広員を名乗ったか。柏崎琵琶嶋一族か。越後国刈羽郡琵琶嶋城主。


 甘糟近江守長重(あまかすおうみのかみながしげ)
 源姓新田田中一族とも源姓土水一族とも伝わる。越後国山東(西古志)郡桝形城主か。


 大関 某(おおぜき)
 阿波守盛憲を名乗ったか。


 大崎筑前守(おおさきちくぜんのかみ)
 実名は泰継か。越後国魚沼郡大崎城主。


 計見出雲守(けみいづものかみ)
 実名は堯元か。初め雅楽助を称するか。越後国刈羽郡畔屋城主か。


 小国 某(おぐに)
 のちの刑部少輔か。源姓小国一族。越後国蒲原郡天神山城主。


 山岸隼人佑(やまぎしはやとのすけ)
 実名は光重か。越後国蒲原郡黒滝城主。嫡男の山岸宮内少輔秀能は越後国一宮弥彦神社の戸内職を兼ねる。次男は景虎の肝煎りで上郡国衆の村山氏を継いだ。


 飯田与七郎(いいだよしちろう)
 実名不詳。父は飯田小次郎か。のちに旗本衆・山吉氏の同心となる。


 伊与部 某(いよべ)
 実名、通称は不詳。父は伊与部伴四郎顕資か。のちに旗本衆・山吉氏の同心となるか。


 志駄千代松(しだちよまつ)
 のちに源四郎義時を名乗るか。父は志駄源四郎。越後国山東(西古志)郡夏戸城主。


 力丸中務少輔(りきまるなかつかのさしょう)
 実名は慶忠か。大江姓那波一族か。越後国山東(西古志)郡根小屋城主。


 善根 某(ぜごん)
 実名、通称は不詳。大江姓毛利一族。越後国刈羽郡善根城主。


 青海川図書助(おうみがわずしょのすけ)
 実名不詳。幼名は梅千代を称した。越後国刈羽郡青海川城主。


 平子孫太郎(たいらくまごたろう)
 実名は房長、房政などと定まらない。のちに若狭守を称する。平姓三浦一族か。越後国魚沼郡薭生城主。


 宇佐駿河守美定満(うさみするがのかみさだみつ)
 仮名は平八郎を称したか。越後守護代長尾為景に滅ぼされた宇佐美弥七郎房忠の一族か。藤原姓工藤伊東一族とも平姓大見氏とも伝わる。越後国魚沼郡真板平城主か。


 多功 某(たこう)
 実名、通称は不詳。藤原姓宇都宮一族か。


 金沢 某(かなざわ)
 実名、通称は不詳。


 河治 某(かわぢ)
 実名、通称は不詳。


 加治式部少輔定次(かぢしきぶのしょうさだつぐ)
 源姓佐々木加地一族か。


 福王寺兵部少輔(ふくおうじひょうぶのしょう)
 仮名は彦八郎を称した。実名は重綱とも孝重ともいわれる。上野国白井長尾氏の出身で、福王寺掃部助(彦八郎。実名は友重か)の名跡を継いだとされる。源姓佐々木加地一族か。のちに旗本衆を経て上田衆(上田長尾氏の同名・同心・被官集団)に転属するか。越後国魚沼郡下倉山城主。


 江口式部丞(えぐちしきぶのじょう)
 仮名は藤五郎、実名は親広か。のちに安芸守を称するか。藤原姓安達一族か。越後国魚沼郡平地山城主。


 大沢 某(おおさわ)
 実名、通称は不詳。父は大沢伊豆守か。越後国魚沼郡大沢城主。


 上野中務丞家成(うえのなかつかさのじょういえなり)
 仮名は源六を称した。源姓新田大井田一族。越後国魚沼郡節黒城主。


 中条玄蕃允(ちゅうじょうげんばのじょう)
 実名不詳。源姓新田田中一族。一族に中条左近将監がいる。のちに上田衆(上田長尾氏の同名・同心・被官集団)に組み込まれる。越後国魚沼郡大井田城主か。


 鳥山 某(とりやま)
 実名不詳。官途名は大炊助か。源姓新田里見一族。越後国魚沼郡市之沢城主か。


 下平修理亮(しもだいらしゅりのすけ)
 仮名は勘助、実名は吉長か。父は下平修理亮吉良か。のちに上田長尾氏の同心となるか。越後国魚沼郡千手城主。



 上郡国衆(もとは越後守護上杉家(前上杉氏)の譜代衆・外様衆)

 長尾小四郎景直(ながおこしろうかげなお)
 越後長尾一族の御屋敷長尾氏。父は長尾為景(景虎の父)の弟(一峰源統)、その後妻であろう母は為景の娘(秀琳永種)。


 長尾源五(ながおげんご)
 実名不詳。仮名は源五郎とも。越後長尾一族。


 大熊備前守朝秀(おおくまびぜんのかみともひで)
 仮名は彦次郎を称した。奉行衆(三奉行)。公銭方。父は大熊備前守政秀(彦次郎。新左衛門尉)。越後国頸城郡箕冠城主。旗本衆の本庄新左衛門入道宗緩らと対立し、甲州武田家に通じて反乱を起こしたが、景虎の軍勢に迎撃されて敗北すると、甲州に落ち延びて武田家に仕えた。


 柿崎和泉守景家(かきざきいずみのかみかげいえ)
 仮名は弥次郎を称したか。官途名は中務を称した。平姓大見一族。年寄衆。越後国頸城郡柿崎城主。


 柿崎平次(かきざきへいじ)
 実名不詳。柿崎和泉守景家の長男。時期は不明であるが早世したらしい。


 諏訪部 某(すわべ)
 実名、通称は不詳。


 諸越 某(もろこし)
 実名、通称は不詳。謙信期の諸越彦七郎(実名は盛秀、次いで秀満か)の父か。越後小黒一族の本家。


 小黒 某(こぐろ)
 実名、通称は不詳。


 窪宗左衛門尉(くぼそうざえもんのじょう)
 実名不詳。越後国頸城郡直峰(嶺)城衆か。


 山田帯刀左衛門尉(やまだたちはき(たてわき)ざえもんのじょう)
 実名不詳。仮名は彦三郎を称した。越後国頸城郡直峰(嶺)城衆か。


 針生藤兵衛尉(はりゅうとうびょうえのじょう)
 実名は久吉か。越後国頸城郡犬伏城衆か。


 阿佐美彦六(あさみひころく)
 実名は定を通字とする。


 真砂惣右衛門尉(まさごそうえもんのじょう)
 実名、通称は不詳。


 村山与七郎(むらやまよしちろう)
 実名は義信か。のちに安芸守を称するか。父は村上中務丞(実名は直義か)。源姓村山一族。越後国頸城郡徳合城主。


 村山善左衛門尉慶綱(むらやまぜんざえもんのじょうよしつな)
 父兄は山岸隼人佑と同宮内少輔秀能。景虎から村山与七郎の名跡を与えられた。もとは景虎の近習であったか。
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長尾景虎(号宗心)期の越後衆一覧 【1】

2013-12-10 22:49:47 | 長尾景虎(宗心)期の越後衆

 一家衆(もとは越後長尾一族、同じく越後守護上杉家(前上杉氏)の一族)

 長尾右京亮景信(ながおうきょうのすけかげのぶ)
 仮名は十郎を称したか。もとは越後長尾一族(平姓鎌倉氏)の古志長尾氏。父は古志長尾豊前守房景(小宝士丸。弥四郎)。越後国古志郡栖吉城主。


 桃井右馬助義孝(もものいうまのすけよしたか)
 のちに伊豆守を称する。源姓足利桃井一族。越後国頸城郡鳥(富)坂城主か。


 山本寺伊予守定長(さんぽうじいよのかみさだなが)
 越後守護上杉家(藤原姓上杉氏)の一族。越後国頸城郡不動山城主。


 上条 頼房(じょうじょう よりふさ)
 仮名は惣五郎か。越後守護上杉家の一族。上条播磨守定憲(弥五郎。兵部)の後継者。越後国刈羽郡上条(黒滝)城主。天文22年10月12日に死去した。


 上条 某(じょうじょう)
 実名、通称は不詳。越後守護上杉家の一族。上条上杉頼房の後継者。越後国刈羽郡上条(黒滝)城主。


 山浦 某(やまうら)
 実名、通称は不詳。越後守護上杉家の一族。越後国蒲原郡笹岡城主。



 奥郡国衆(阿賀北の外様衆)

 中条越前守(なかじょうえちぜんのかみ)
 実名は房資か。仮名は弥三郎を称した。平姓三浦和田一族。越後国蒲原郡鳥坂城主。


 黒川下野守(くろかわしもつけのかみ)
 実名は平実か。仮名は四郎次郎を称した。平姓三浦和田一族。父は黒川四郎右兵衛尉清実(四郎次郎)。越後国蒲原郡黒川城主。


 黒川竹福丸(くろかわたけふくまる)
 のちに四郎次郎平政と名乗る。平姓三浦和田一族。越後国蒲原郡黒川城主。


 本庄弥次郎繁長(ほんじょうやじろうしげなが)
 幼名は千代猪丸を称した。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡村上城主。


 色部弥三郎勝長(いろべやさぶろうかつなが)
 のちに修理進を称する。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡平林(加護山)城主)


 小河右衛門佐長資(おがわえもんのすけながすけ)
 平姓秩父本庄一族。本庄弥次郎繁長の叔父。越後国瀬波(岩船)郡小河城主。


 鮎川岳椿斎元張(あゆかわがくちんさいげんちょう)
 摂津守清長を名乗った。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡大葉沢城主。


 大川 某(おおかわ)
 駿河守忠秀を名乗ったか。平姓秩父本庄一族。越後国瀬波(岩船)郡藤懸(府屋)城主。


 加地 某(かぢ)
 加地安芸守春綱、或いは加地春綱の子か。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡加地城主。


 新発田尾張守忠敦(しばたおわりのかみただあつ)
 仮名は源次郎を称した。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡新発田城主。


 五十公野 某(いじみの)
 新発田五十公野輔親の後継者にあたる弥三郎景家か。佐々木加地一族。越後国蒲原郡五十公野城主。


 竹俣三河守慶綱(たけのまたみかわのかみよしつな)
 官途名は太郎左衛門尉を称したか。源姓佐々木加地一族。越後国蒲原郡竹俣城主。


 水原 某(すいばら)
 仮名は小太郎か、壱岐守隆家を名乗ったか。平姓大見一族。父は水原伊勢守政家か。越後国蒲原郡水原城主。


 安田治部少輔長秀(やすだぢぶのしょうながひで)
 安田弥太郎実秀の後身であろう。平姓大見一族。父は安田但馬守か。妻は上田長尾越前守房長の娘(長尾六郎政景の妹)と伝わるが年代的に無理がある。実際は長尾房長の妹か。天文10年に嫡男の弥太郎を失っている。越後国蒲原郡安田城主。


 下条 某(げじょう)
 薩摩守実頼を名乗ったか。平姓大見一族。越後国蒲原郡下条城主。


 荒川 某(あらかわ)
 伊豆守長実を名乗ったか。藤原姓波多野河村一族。越後国蒲原郡荒川城主。


 垂水 某(たるみ)
 のちの源次郎か。藤原姓波多野河村一族。越後国蒲原郡垂水城主。



 中郡国衆(阿賀南の外様衆)

 菅名 某(すがな)
 但馬守重国を名乗ったか。藤原姓信夫佐藤一族。越後国蒲原郡菅名城主。


 菅名 某(すがな)
 のちの源三か。菅名但馬守重国の嗣子か。藤原姓信夫佐藤一族。越後国蒲原郡菅名城主。


 母躰孫太郎宗資(もたいまごたろうむねすけ)
 源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡護摩堂城主か。


 平賀 某(ひらが)
 のちの左京亮重資か。源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡護摩堂城主。


 新津 某(にいつ)
 新津上総介景資、或いは新津景資の子か。源姓平賀金津一族。越後国蒲原郡新津城主。


 城織部佑景茂(じょうおりべのすけかげもち)
 父は城次郎左衛門尉貞茂。平姓城一族。越後国蒲原郡木越城主か。改易に処されて甲州武田氏に仕えたのちは、和泉守を称し、意庵を号する。


 新発田宮内少輔(しばたくないのしょう)
 源姓佐々木加地一族。父は新発田出雲守か。越後国蒲原郡神洞城主か。



 奥郡国衆(もとは越後守護上杉家の譜代衆)

 石川 某(いしかわ)
 石川新九郎景重、或いは石川景重の子か。平姓三浦一族か。景重は石川新五郎(斎藤下野守昌信の子)の後継者。越後国蒲原郡石川城主か。


 千坂筑前守(ちさかちくぜんのかみ)
 千坂藤右衛門尉景長の後身か。藤原姓首藤一族か。越後国蒲原郡鉢盛城主。
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