越後長尾・上杉氏雑考

主に戦国期の越後長尾・上杉氏についての考えを記述していきます。

長尾景虎の伝説的な近臣について

2015-11-10 10:10:55 | 雑考

 ここで元服前後の長尾景虎(虎千代。上杉輝虎。号謙信)を守り支えたという伝説的な6名の近臣について考えてみたい。


金津新兵衛:新右兵衛尉。実名は、『謙信公御書集』では弘雅、『北越軍記』を始めとする軍記物では義旧と定まらない。上杉輝虎期に、部将として一手を率いたり、留守将の横目(監察)を務めたり、旗本の重鎮であったことが分かる。また、戦陣の輝虎が留守衆と交信した際、別して本庄美作入道宗緩(実乃。新左衛門尉。新左衛門入道。景虎旗揚げ時代からの老臣)・吉江中務丞忠景(佐渡守。もと越後守護上杉家譜代の重臣)と連名で私信を宛てられるほどであり、虎千代の乳母夫であったというのは事実かも知れない。金津氏は、越後奥郡国衆(阿賀南)の平賀一族である。新兵衛は平賀金津氏の庶族か、景虎の時代に入って没落した金津氏の名跡を継いだものか。ここに挙げる人物のなかで唯一、文書でその存在を確認できる。

秋山源蔵:『謙信公御書集』によると、源三昌綱といい、のちに式部少輔を称したという。上杉謙信(輝虎)の後継者となった上杉景勝の時代に越後国落水城の城将(須賀修理亮盛能と共に務める)・同糸魚川城の城将、陸奥国二本松城の城代(下条駿河守忠親と共に務める)を歴任した秋山伊賀守定綱(式部丞)は同一人、あるいは子か。「長尾・飯沼氏等知行検地帳」によると、景虎の祖父である越後守護代長尾能景の被官に、秋山主計助・同式部がいた。

戸倉与八郎:『謙信公御書集』によると、実名は定次といい、のちに能登守を称したという。越後国蒲原郡菅名荘の戸倉城に拠ったと伝わる。「越後過去名簿」によると、天文年間に菅名荘内の地を本領とした戸倉新右衛門尉がいた。

曽根平兵衛:『謙信公御書集』によると、のちに是言斎を号したという。『先祖由緒帳 御馬廻組』によると、曽根是言斎は、謙信の生涯を通じて近習を務めたのち、子の源左衛門尉(「御家中諸士略系譜」は実名を俊理、仮名を小太郎としている)に家督を譲って古志郡内の地に隠棲したという。また、是言斎の父である曽根備中守は、景虎の父である越後守護代長尾為景が越中国仙段野(栴壇野)で戦死した際、その場で後を追って自害したというが、長尾為景の戦死は事実ではない。「寛永八年 分限帳」の御馬廻衆・三番衆中に、曽根是言斎の孫にあたる弥左衛門(「御家中諸士略系譜」は実名を光俊としている)が載っている。「文禄三年定納員数目録」の栖吉衆中に、曽根小三郎が載るも、平兵衛(是言斎)との関係は分からない。

小嶋弥太郎:鬼小嶋の異名を持ち、慶之助を称したともいう。実名は、『上杉家御年譜 謙信 一』では貞興、『謙信公御書集』では一忠、軍記物でも一忠、家正などと定まらない。この小嶋家正については、鎌倉公方足利氏に仕えた小嶋弥九郎家範の末といい、永禄末年に輝虎の勘気を蒙って、陸奥国会津へと去り、蘆名家に仕官して軽率百名を与えられ、最後は彼の地で迎えたという。「小島氏系図」によると、弥太郎の妻は、輝虎の寵臣である河田豊前守長親(九郎左衛門尉。号禅忠)の長女といい、『越佐人物誌』(名香山村史から引くか)では、その名を晴野としている。また同書によれば、弥太郎の子は弥太郎景一(慶之助)といい、永禄4年の信州川中島の戦いで活躍したという。「長尾・飯沼氏等知行検地帳」によると、越後国古志郡乙吉の一部を本領とした小嶋源三郎がいる。この源三郎と同一人物か、次代にあたる小嶋源三郎重隆は、古志長尾弥四郎房景(小宝士丸。豊前守)の与力として守護代長尾為景の諸戦に従って軍功を挙げた。小島重隆の祖父と父は二代にわたって越後国頸城郡の直峰城に在番した。越後国古志郡の乙吉城に小嶋三郎兵衛尉貞徳・同弥太郎貞弘父子が拠ったと伝わる。「越後過去名簿」には、景虎の旗本と思しき小嶋弥三郎が載る。謙信期に、加賀国朝日山城攻めにおいて、若手の中条与次景泰(沙弥法師丸。越前守。大身の旗本衆・吉江景資の次男で、越後奥郡国衆・中条氏の名跡を継いだ。謙信の小姓を務めたという)が鉄炮の弾が飛び交うなか敵前を駆け回るという危険を冒すと、謙信から小嶋某が、中条景泰を取り押さえて連れ戻すように頼まれている。

黒金孫左衛門:初め奈屋辰蔵といい、もとは越後国古志郡栃尾の郷士で、景虎から黒金の苗字を与えられたというが、実在は疑われる。孫左衛門という通称は、謙信旗本の嶋倉孫左衛門尉泰明の世子である黒金孫左衛門尉泰忠(次郎丸。吉三。上杉景勝の側近である黒金上野介景信(兵部少輔)の名跡を継いだ)から引いてきたものか。黒金景信は板倉長尾氏の出身といい、上田長尾政景が横死した際、長尾政景の名跡を継ぐべき息子が幼年のため、家中を統制する必要から、輝虎が上田に送り込んだともいう。ただし、景信以前にも黒金氏は上田衆に存在した。ちなみに、越後国上杉家の譜代衆・甘糟近江守長重の妻は、黒金景信の妹と伝わる。ここに挙げた人物のなかで唯一、軍記物でしかその名を確認できない。


『謙信公御書集』(東京大学文学部蔵 山田邦明 解説 臨川書店)◆『上杉家御年譜 二十三 上杉氏系図 外姻譜略 御家中諸士略系譜一』(米沢温故会 編 原書房)◆『上杉家御年譜 二十四 御家中諸士略系譜ニ』(米沢温故会 編 原書房)◆『上越市史 別編1 上杉氏文書集一』313号 上杉輝虎書状、395号 上杉輝虎書状(写)、1168号 上杉謙信書状 ◆『新潟県史 資料編3 中世一』180号 小嶋重隆書状、777号 長尾・飯沼氏等知行検地帳 ◆『新潟県史 資料編5 中世三』2534号 雲洞庵寺領注文断簡 ◆『新潟県史 別編3 人物編』 一 文禄三年定納員数目録 ◆『山形県史 資料編16 近世史料1』 一 藩政 2 家臣 23号 寛永八年 分限帳 ◆『新潟県立歴史博物館研究紀要 第9号』山本隆志:高野山清浄心院「越後過去名簿」(写本)◆『戦国人名辞典』(吉川弘文館)◆『日本城郭大系 7 新潟・富山・石川』(新人物往来社)◆『上杉史料集(上)』〔北越軍談〕(井上鋭夫 校注 新人物往来社)◆『上杉謙信のすべて』(渡辺慶一 編 新人物往来社)◆『別冊歴史読本 上杉謙信の生涯』(新人物往来社)◆〔市立米沢図書館デジタルライブラリー〕「先祖由緒帳」◆〔国立国会図書館 近代デジタルライブラリー〕「越後史集 天巻」(黒川真道 編 国史研究会)
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