こんな言葉、初めて聞いた。しかも公の場で語られていたとは露知らず、上手く言い
当てたと感心した。何ということはない『原子力発電所』のことを、こう表現するのだと
か。常日頃から原発を目の敵のように、こき下ろしているが、そうした事情や技術的な
ことを熟知していて、『こんな危ないもの』と言っているのではない。
ど素人がど素人の論理でど素人なりの考えを無責任に、つまり放言しているだけと言
われても仕方は無かろう。
私は原発を運転している他の国々では、原発から出る放射性物質、つまり核のゴミは
自国内で、それなりに処理されているとばかり思っていた。勿論、最終処理方法の技
術が確立されていないから、こうしたゴミがクリーンなものに処理されることはないと
理解しながら何とかなっているだろうとの、いい加減な理解をしていた。
日本は青森県六ケ所村に最終処理場を作り、ここで処理後に出る始末し切れないゴミ
の行き先は未定、ゴミはたまる一方になるから青森県は今から、そのゴミは青森県外と
布石を打っている。いい加減な計画だし、本格的な最終処理に向けての努力が、どの
ように為されているのかも全く分からない。
その内、何とかなるだろう。この力強い言葉に励まされながら、ゴミを貯め続けているの
はJapanだけではなかったのだ。そうした状況にJapanはより強く励まされてしまう。
原発立地の国で最終処理場(本当の)はどこにもないから、冒頭の『トイレのないマンショ
ン』と有難い別名を頂いているのだ。
安全対策や安全宣言なんか明日にでも発表できる。これを大半の人は信用しないだろ
うが、安い電気がないと困るから、安全でなくても稼働させる必要に迫られていると、早期
再稼働を望む人もいる。
では、ここから排出される核のゴミはどうするのか、一番電気を沢山使う『都会』の何処か
に深い穴でも掘って埋めて貰おうか。それは困るとおっしゃる。
それでは、どうすればいいのか。
沖縄の米軍基地を国内の何処かに移設し沖縄の負担軽減を・・・これと同じだ。受け入れ
たくない、自分さえよければ、それでよい。
TPPの参加に前のめりになってきた。これも、自分のテリトリーさえ良ければそれでいい。
日本中『自分さえよければ、それでいい』
大和民族は他人を慮(おもんばか)ることのできる、優しい民族だったはずだ、それは時代
が代わってもDNAとして受け継がれていくもだと信じていたい。