昔、木炭づくりは立派な産業だった。産業や商業の発達していなかった頃の田舎の
現金収入の多くを炭焼きが担っていたことを、今炭焼きに参加している私ですら詳し
くは知らなかった。炭焼きグループの人たちは子供の頃から、そうした環境の中にお
られたから『親父が町に行く時、炭を持って行き飲み屋でしこたま頂いた』なんて逸話
をされるから、木炭の価値は高いことの裏付けでもあろう。
私たちが子供の頃、昭和30年代前半でも家にはクドと呼ばれる薪を焚いて調理する、
今でいえばガスレンジを使っていた。詳しくは覚えていないが、釜でご飯を炊いていた
ことだけははっきりと覚えている。其の頃の燃料は暖房にしろ、調理にしろ木炭が主流
だった。プロパンガスの普及により台所から、灯油ストーブや電気こたつの普及で、ほ
ぼその役目を終えてしまい、茶道やグルメの通が使う焼き肉などでしか使われなくなっ
た。その後、木炭といえば東南アジア産のマングローブやラワンのようなもので作った悪
質なものが売られるようになった。ホームセンターなどで扱っているが、焼きむらや技術
的なこともあり、使うと悪臭と煙を我慢しなければ使うに耐えられないものだ。
昔、炭焼きが盛んだった頃は山の木を次々と切っていくから、段々と山奥の方に行かざ
るを得ない。奥にいく度、新しい炭窯を作り木がある限り、そこに留まり炭焼きをする。焼
いた木炭を運搬するのに子供も家業の手伝いをしなければならず、大変な重労働だった
らしい。一度、伐採した木は大凡15年で再び木炭に出来るくらいに成長するから、これが
サイクルとなり里山全体の環境が守られていたのだ。
今はそうしたサイクルが途切れて木は放置されたままに成長し、やがては寿命で朽ち果て
る運命にある。近年は里山近くだけではなく、害獣が街中にまで進出してくる報道がある。
つまり山が荒れ過ぎて獣も住めない悪環境になっていることの証しなのだ。私がいる炭焼
きグループ発足時の趣意の一つに『環境保全』があり、設立された方の思慮の深さを後々
になってやっと知り、遅ればせながら・力及ばないながら参加させて貰っている。自分で焼
いた木炭をバーベキューや炬燵で使うスローライフも楽しいものだ。