食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『放射線治療を終えた友人』

2013年02月14日 18時04分15秒 | 癌のこと

リンパ節の癌になり、その影響で顔面内の神経を圧迫したり、癌に侵された部分を

外科手術し、計画されていた何クールかの放射線治療を終えて退院した。

外見上は顔半分に腫れが残っており(暫くしないと引かないそうだ)、以前の人相と

少し違うように見える。目、鼻、口、耳などには神経の関係で影響が残りそうで、口

調も以前と少し違うし、瞼の自律神経は未だ完全に回復していないからパチパチで

きないなど、手術による命を取り戻す代償を払った。

こうした手術はリンパ節の癌の治療ではなく、それによって影響を受けたものを治療

したものだから、苦労した割に効果が大きいとは言えないが、それがなければ生命を

確実に喰いむさぼるから、大局的には大きな効果がある。

手術の関係から経口食ではなく胃瘻によって栄養補給をしていたが、今は口からも

可能になり少しずつではあるが食べられるようになっている。未だ完全とは言えない

らしく遺漏用の器具は埋め込まれたままにしてあり、時期を見て取り外すとのことだっ

た。

『食事も水さえも口にできない状態が2か月も続いている』と一時は嘆いていたが、口

から食が摂れるようになり、やっと術前の自分の一つを取り戻し安堵していることだろ

う。同じ癌でも友人はリンパという臓器のような形態のない部分の癌で、常に身体中を

駆け巡っているから、私のものとは大きく違い複雑だ。ただ彼の癌も私の癌も最高で

『寛解』しかないから『再発』させないことが生き延びることになる、唯一の共通点だ。

幸い、彼は後ろ向きの人間ではないから、今まで辛い治療を受けながら治療の先に希

望を見ながら頑張ってきたと思う。

同病相哀れむ、ネガティブな思考を持たず、同病共に前進といきたいものだ。

『TVでカラオケ』

先日、書き漏らした件の追加。

【PCとTVを接続】

  TVでネット接続不可の場合、PCとTVをHDMIケーブルで接続し、ネットカラオ

  ケサイトをアクセスすれば、TVでカラオケが可能になる。

  この場合、マイクをPCに接続するなり、AV機器側でするなりの事は先日の方法

  と同じ。

 


『旅行について』

2013年02月13日 17時52分46秒 | 旅行・日記

専業農家でもない私たちの恒例のようになっている春先の旅行、別に決まったルー

ルを作っているのでもないに、いつの頃からかこの辺りになると尻がウズウズしてくる。

国内にも沢山のいい所があり昔は車で日本一周なんて考え、簡単なキャンピングカ

ーもどきは如何なものかと研究したこともある。

車で完全に寝起きしなくても2~3日に1回くらいは安宿に泊まれば、結構面白いこと

になるのではないかと胸弾ませた。日本一周は無理としても1週間程度の車での旅

行は今でも可能だから、時折ではあるが地図を眺めて距離を測ったりして、いつか具

体的に計画しようと思っている。昔からの懸案は福島県三春町の淡墨桜を見てみた

いが、遠くて車で行くのに決心がつかず、今だ見通しはない。会津若松に会社の後

輩が、足を延ばせば仙台に先輩もいるから・・・・なんて思ったりもする。

ところで題記の海外旅行は纏まった額になるものの国内旅行に比べて割安なところ

に魅力を感じる。国内観光は飛行機で東京に出掛けるだけで往復6万円、例えば1

泊したら最低で1万円は要るから海外のパック旅行に比べると馬鹿らしくなってくる。

米子~ソウル2泊3日の旅で3万円なんてものもある。

それに国内観光での宿の食事は、豪華で美味しいが2晩も続けて食べると、飽きが

きて、外食のラーメンの方が美味しく感じる。その点、海外は自分の我が通せないか

ら従うしかなく、普段は口にしないものでも仕方なしに口にせざるを得ない。ならば、

他のものを買いに行こうにも店がないなんてことも多々あるから我慢。そんな不自由

な思いをしてまでして旅行に行くことはない。それも一理ある。

何でもお金さえ払えば叶うと思っている馬鹿な日本人が『それは違う』を学ぶのにい

い場所でもある。海外でお気に入りはアンコールワットで過去に2度、出掛けている

が、多分また行くことになると思っている。この地でカンボジア人のご主人と一緒にな

りスナダイ・クマエ孤児院を運営しておられるメアス・博子さん、子供たちを尋ねるの

も楽しみの一つだ。シェリム・アップには日本の古い田舎の風情が残されており、何

故か心落ち着かせてくれる。風景は南国の高床式の家だから日本のそれとは違うが

住む人の暮らしぶりに感じるのだ。家の周りに積まれている焚き木や庭先で餌を啄

む鶏や家畜などなど。最近、東南アジアづいているからと昨年はトルコ、今年は年金

を貯めて再びヨーロッパ方面のツアーにしてみようか・・・・別のところにするか。はた

また、シンガポールママの一周忌になるから供養の旅にするかと小さな夢を膨らま

せている。


『TVでカラオケⅡ』

2013年02月12日 18時05分04秒 | 日記

自宅のTVでカラオケを調査した結果、2つのパターンに分かれる。

第一のポイントはTVでネット接続ができるか否かだ。最近のTVの大半は接続可能

タイプが主流でしかも無線LAN接続もある。

 【ネット接続不可のケース】

  家庭用のゲーム機のネット機能を使ってネットカラオケを楽しむ

   *任天堂 Wii  

     カラオケJOYSOUND Wii (専用ソフト+マイク)を\4,200也で購入

     ネットのJOYSOUNDに接続し、24h 300円、1か月 1000円のコースで  

     数万曲の中から歌い放題

   *ソニー PS3

     専用ソフトはJOYSOUNDのサイトから無料ダウンロードで入手、USBマイ

     クを自分で購入する必要あり(安いと2500円くらい)

     ネットのJOYSOUNDに接続・・・Wiiと同じ

    詳しくは分からないが、採点やキー変更など色々な機能があるらしい

  【ネット接続可のケース】

     ホームシアター、AVなどでマイクが使える場合は、ネットカラオケサイトに接続し、

     利用コースを選択。マイク接続の機構がない場合「HYPERもりあげくん」および

     簡単な音響設備でカラオケを楽しむことができる。   

      http://joysound.com に詳しい情報あり

      http://choice.chu.jpにHYPERもりあげくんの情報

私のところのゲーム機はMSのX-BOX、調べた結果、ネット接続するIE(インターネット・エ

クスプローラー)は自社の製品なのにゲーム機で使おうとすると、別途会員になり年会費

5000円ほどの費用を負担しなければならない。

マイクロソフトのこのしょぼい商法、PCはWindows,Officeなど使っているが、次回からMSの

ゲーム機は購入しないことにした。

ゲーム機のカラオケ対決はソニーのPS3が優勝、準優勝Wii、X-BOXは枠外、チャンチャン


『これからのブログ』

2013年02月12日 18時03分47秒 | 回顧録

予てから気がかりだった回顧録をきちんと纏めておく作業を一応終え、その掲載は

昨日、終了した。何度も言っているように定められた路線のあるブログではないが、

病気を発症しその治療経過や心境を、同じような病気になった人や、悩んでおられ

る人にお伝えし、少しでも参考にして頂ければ幸いである。

私の体験してきたことの殆どは、これらの中に網羅しているので、新たに沢山のネタ

を提供できることはないと思う。ただ、時折何かの拍子で切り口の違った物の見方で

過去を語ることはあるかもしれない。

自分でも、よく分からないが今後は、経過観察という過程で経験することをアップする

ことが、ブログテーマに沿った唯一のものになるかも知れない。日々の暮らしの中に

いる『多重がんで手術をした自分』の暮らしぶりが他の人の参考になるとは思えない

が、ひょっとして何かの励みになればいいと思う。

もし、私がこのような病気の経験をしていなかったら、日記形式のブログを開設するこ

とは絶対になかったと確信している。ある思いを持って始めたものだから、暫くか、当

分か、長らくか分からないにしても、『癌』を引きずったブログを続けてみようと思って

いる。


『回顧録、おわりに』

2013年02月11日 17時20分01秒 | 回顧録

自覚症状の現われから、治療入院、通院などで一年の月日はあっという間に過ぎて

いった。癌の場合、治療したから完治とは成りえず、一応の目安5年を過ぎれば

『寛解』となるらしい。願わくば癌因子どもを全部叩き潰してしまいたいが、残念ながら

今のところ叶うことではないから、取あえず5年生存率の枠内に潜り込むことが最大の

目標となる。私の場合、5年生存率は40%くらいと告げられていたから、あまり安心でき

る数値ではなが他人事のような顔をして、深刻に考えたことはない。心の奥底を覗

いてみると『絶対40%以内に入っている』このようなものが見えるのではないかと思う。

治療を終えても退治できない場合、癌因子どもなのか癌細胞なのかは別として、そい

らと共生しながら黙らせたまま暮らせばいい訳だ。

誰かの言葉『癌をいい子にさせておいて寿命までいけば俺の勝ちだ』

身体と相談しながら、色々なことに興味を持ち没頭していくこともいいかもしれない、

か知らない所に出掛けて新しいものを見るのもいいだろう、新しい友人ができる

ことも・・・等々と楽しそうなことを連想すれば、そいつらを静かにさせられるかもしれな

い。暑い日は暑いなりに、寒い日は寒さに負けないよう、春・秋の穏やかさを満喫しな

がら自然の中で爺は『空元気』で頑張っていく。

 

【おまけ、タイ旅行】

2009年12月に術後の抗がん剤治療で退院、翌年6月、最初に計画していたタイに旅

行することになった。初めての岡山空港からの海外旅行でしかもここから空港へは自家

用車で行く。どのようなところに空港があるのか、どんな空港なのか気になり、天気のい

い日にドライブがてら出かけてみたりして、自分の体調の具合もチェックしてみた。

この頃は未だトイレ事情が不安定で、トイレに行く時間にある程度の規則性ができれば、

れ以上安心できることはない。国内なら大方の場所ならどこでもトイレは探せるが、初め

て行く国のトイレ事情は分からないから、出来る限り自己制御ができるようにしておきたか

った。そういう意味では4月に行った韓国は、明洞地区を中心にした移動だったからトイレ

事情はよく分かっていたので不安はなかった。今回、初めて行くタイのトイレ事情を調べ

てみると、有料の所が多いとあったから、それなら安心できると思った。つまり、それを稼ぎ

にしている人がいると言うことは、トイレの数もそこそこあると考えられるからだ。

また、市の中心地にはホテルやデパートも沢山あるから、そうした面からも心配しなくても

よかった。日本は梅雨前で多少なり冷えることもあるが、タイは南国だから僅かな滞在でも

メスを入れた身体には優しい気候だった。

この年は韓国、タイと2つの国に出掛け、翌年は2度目のアンコールワット、台湾、昨年はト

ルコとシンガポールとアクティブに動いている。動くことで元気になり、くよくよした心に喝

を入れ、更に元気になっていく、そうした一助になっていると思う。


『ザーサイ仮漬け』

2013年02月11日 17時14分24秒 | 日記

収獲後のザーサイは洗って、葉の付けねに食い込んでいる泥を落とし、固い根や茎

の固い所を取り除き乾燥させていた。大根漬けのように乾燥が顕著ではないが『まあ、

良し』ということにし先人のレシピ、ひたひたの量の7%塩水に仮漬けし10日後、20日後

に塩を追加しその後、本漬けの工程に入る。取り敢えず第一段階としての仮漬けに入

ってみたものの、大根漬けのイメージから抜けきれず『塩水』のところが引っ掛かる。

私はザーサイ漬けなるものは初めてで知識ゼロ、だから先人の方法でいいのだと言い

聞かせやってみた。

先人はまた先人の少しだけの知識で漬物に出来たと書いておられたから、それに従え

ばいいのだ・・・・実は未だこだわっている。

そこで昨日収穫した第二弾のザーサイは大根漬けのように、少し乾燥させてから塩で

漬け込み水を出させる方法をとってみようと思っている。二つの方法なら両方とも失敗

の確率は低くなる?・・・・・かも

これから大凡、一年くらいかかって完成するらしい。失敗の場合はもっと早く残念レポ

ートを提出することになる。


『回顧録、手術後の身体の変化Ⅱ』

2013年02月10日 18時03分39秒 | 回顧録

【指の腫れ】

気付いた時、自覚症状はなく右手薬指の第2関節辺りが腫れているように見えた。

その内、徐々にではあるが腫れが大きくなり、その関係で曲がり難くなってきたが、

これも不便さを生むようなことはなく、ネットでかじった『リンパ浮腫』ではないかと疑

った。肩の症状が消えて暫くしてからのことだった。先生はレントゲン写真では異常

はないからMRIで調べることを提案されたので、生まれて初めてのMRI体験。

カプセルに入る前に『どのような音楽が好みですか』と聞かれたからポップ調のもの

をお願いし、ヘッドフォンを渡される。いざ、診断が始まるとドンガラ行進曲で肝心の

音楽は聞き取れない。MRIはこんなに五月蝿い診断装置だとは知らなかった。

あんな中に長らくいたら健康な人でも、どこか悪くなりそうだ。五月蝿い思いをして調

べて貰った結果は『腫瘍などの疑いはありません』

つまり、異常は見当たらないのである。その後、通院は止めたが冬には寒さのため指

が曲がり難く、ビンの蓋を開ける、小刀で細工をするなどの作業が困難になった。手を

温めたりすると曲がり難さは多少良くなるものの万全ではない。そうこうする内に、気に

ならなくなったり、またぶり返したりの繰り返しで、それは3年経った今でも同じだ。

ただ当初の症状と異なるのは,指を曲げようとすると『カッキン』という感じで曲がること

があることだ。他人に聞いたら『第2関節ならリューマチじゃないか』と言う人もいたが、

医者の見立てでは、それはないようだ。どうやら、こいつとは長い付き合いになりそうだ。


『TVでネットカラオケ』

2013年02月10日 18時01分41秒 | 日記

我が家が最後に購入したTVは台所用の42インチ液晶で金具も購入し、壁掛けにし

て観ている。いつぞや、ネット接続に無線LANが使えるので設定はPCと同じようにし

なければならない・・・・とブログ記事を書いた。つまりTVでネットも自由自在ということ

になる。どんなものかと覗いてみると、TV向けの様々なプログラムや面白そうなサー

ビスが紹介されている。その中にカラオケなるものがあり接続してみると、試聴曲が何

曲かありそれを選曲して聴いてみた。カラオケマシンと同じように、背景は曲に応じ

画像と歌詞が流される。勿論のこと歌い出しの部分や、曲の流れに応じて歌詞の色

が流れていくやつだ。有料ではあるがメニューは24hで数百円から利用できる。カラオ

ケサイトによって用意されている曲数は異なるが多い所だと8万曲と言われている。

TVにホームシアターを設置してあればマイクミキシングさえつければ、十分過ぎるほ

どの音響効果を発揮してくれると思う。色々と調べるとTVにネット接続機能がない場合、

家庭用ゲーム機、任天堂Wii、ソニーPS3、MS X-BOXなどのネット接続機能を使えば同

じことができる。特にWiiには専用ソフトがありネットカラオケに接続、その上採点機能や

他の歌い手と点数を競うこともできるらしい。

ゲーム機で使用方法は異なるが、よくもまあ、こんなことまで出来るとはと感心してばかり。

PCは当たり前に、TVでもネットカラオケを楽しむことができるから朗報ではあるが、私た

ち夫婦二人ともカラオケとはあまり縁はなし、一度孫たちにやらせてみるかと簡単で安価

なものを試掘中。


『回顧録、女の園、マンモグラフィーの恐怖』

2013年02月09日 17時59分24秒 | 回顧録

術後の抗がん剤治療を終え、あばら骨が痛いと朝風呂治療に専念している頃から、

両方の乳が少しずつ膨らみ始め、それはまるで思春期時代に身体が変化していく

様子とよく似ていた。触ると3cm位のしこりのように固くなっており、軽くつまむだけで

も痛い。手術の関係でそうなっているのだろうと、気にかけないでいたら段々と膨らみ

は大きくなり、横から見ると痩せて売れない女性モデルのような貧乳。しこりは円錐の

ような形をしており、遂には肌着が擦れる程度でも、その存在を感じるようになった。

両方の乳だから乳がんになったとは考え難いし、ネットで調べてみるものの、そんな

事例も説明も出てこない。悩んでいてもらちは明かないので先生に相談すると意外

な返事『今頃は男性の乳がんも増えていますから安心はできません。念のために乳

がんの検査をしておきましょう』と検査の手配をされ、その検査を受診することになっ

た。指定された日に出掛けてみると『マンモグラフィー検査』ではないか。乳がん検診

だから当然こうなるのは一般的なことではあるが、私はれっきとした男性だから、何か

別の検査方法でされるとばかり思っていたから完全に不意打ちを受けた形になった。

放射線科の指定された番号の部屋に行くと若い女性患者らしい人が待っていた。女

の園に迷い込んだ爺さんは困り顔をしながら、これから何が起こるのか心配顔も交じり

複雑な顔になっていたに違いない。その時はきたxxさんとフルネームで呼ばれた。

『はーい』と小さな声で応え、痩せた小柄な爺さんが椅子から立ち『マンモグラフィー』

の部屋に入っていくのを、その女性患者らしい人は訝しげに眺めていた。

対応の医師は男性で、プラスチックのような板がついたスタンドの前に私を立たせ、小

さく膨らんでいる乳を上下からプラスチック板で挟もうとした。これが有名なマンモグラ

フィー検査というものなのか。挟んでからレントゲン写真かなんかを撮るらしい。その医

師は自分の思う状態になっていないから『胸をもっと前に出して』とギューギュー身体を

押す。こちらは痛いから来ているのに、乳を板で挟まれおまけに後ろから押されるから、

余計に下がろうとする。せめぎ合いの結果、いい場所に収まったと思ったら、再び板の

ネジを締めて調整を始めた。痛いのに板で挟まれおまけに板のギャップはネジで狭く

なる、つまり私の乳のしこりは拷問を受けているのだ。

私がいくら抵抗しても、医師は納得のいく形で検査するのだろうからと、心底から観念し

痛みに耐えに耐える、まるで『おしん』のように。バトルを終えて部屋から出る時にも要

意だ。変な爺さんが出ていくのだから、そそくさと慌てた様子だと格好悪いから、何も

かったように堂々と出ていった。

先生の軽い『乳がん検査』に軽く『はい』はとても重い検査だった。もう二度と受けたくな

いものだ。検査結果は予想通り異常は見当たらず、原因としては手術でホルモンバラン

スに変化が生じたものだろうと言うことだった。この検査を受けた後から腫れは徐々に引

き、しこりの痛みもなくなり元の身体に戻った。先生には『この年になって、まさかオネー

になることはないでしょうね』と冗談交じりの話をして済んだが、とんでもない経験をした

ものだ。この話を女性にすると、女性は事情がよく分かっているから、そこに私が行き腰

引けで検査を受けている姿を想像してか、大盛り上がりになる。大いに受けた後、『この

話は面白いから、本にして出したら』なんて冗談が出る始末。


『DCライフの改造品』

2013年02月09日 17時48分03秒 | 日記

山小屋で使っている手回し充電式ライト兼ラジオ(3.6V、ACアダプターピンより充電)、

の充電電圧は6Vとなっている。こいつは何年も前に景品で貰ったものだから充電式

の電池はとっくに上がってしまっている為、手回し発電機で充電している間はLEDラ

ンプが点灯する。

ならば電池を新しいものに交換とネットで調べると便利なもので、こんなものまで調達

できるようになっている。本体はMade in Chinaだから中の配線や半田付けなどは、粗

雑品のモデルのようなものだ。経年変化したと言っても数年なのに、線材の被覆を剥

ぐと酸化して黒に近くなっており半田付けしようにも半田が付かないから、ペーパーで

錆を取らなければならない。細い線材の半田付けが雑だから周辺の線が直ぐに外れ

てしまう。やれやれとケースをきちんと組み立て直し最終テストをすれば、組み立て時

に別の線が外れるなど、壊れ物を触るようにやり直し。ぶつくさ言いながら格闘の結果、

やっとのことで修理完了。

さて、このライトもここで充電できるようにと、USB端子の5Vを充電端子に供給できるよう

にアダプターを作成した。ミニUSBの装置側のコネクターは数十円で売っている(ネット)

ので、不要になったACアダプターの端子を流用して作ったものだ。不格好だが十分

に用を為すと自画自賛。昨日、紹介した改造LED照明の写真と合わせてアップ。

       DC壁コンのUSBから変換アダプターを経由して充電

             蛍光灯を外しLEDモジュールを装着

 

                     放熱板とLEDモジュール


『回顧録、手術後の身体の変化、後遺症』

2013年02月08日 18時20分58秒 | 回顧録

明確に後遺症と呼べないものもあるかもしれないが、術前にそんな兆候や症状は

なかったことが術後に起きたもののことだ。例えば肩が上がらない、年が年だから

50肩が出たのでは・・・・となり手術とは関係ないとみる向きがある。肩に何一つとし

て問題はなかったし肩凝りすらしたことはないのに、いきなり両肩が上がらない。

はっきりと後遺症と言えるもの、術前にはなかったことが変化として現れた、そうし

たものを纏めてみた。

* 声のかすれ.反回神経麻痺

* あばら骨の痛

* 乳の脹れ

* 両肩が上がらない

* 指の腫れ

* 逆流、軽いダンピング、

* 味覚・嗜好の変化

過去に何度かブログにアップしているので、ここでは私固有と思われるものに絞っ

て記載する。

【両肩が上がらない】

昔から肩が凝るということはなくマッサージには全く縁のない暮らしをしてきた。東

南アジアに旅行するとツアーの一部に『マッサージ付』がある。私は全く興味なし、

凝ってもいない身体をマッサージされるなんて気色悪いから、いつも放棄する。妻

は『折角ツアーについているのだから・・』と言いつつ案内を受けるが、私は頑なに

『一時間ほど散歩してくる』と言い残し、ぶら歩きで時間を過ごす。折角、楽しみに

来ているのにマッサージごときに邪魔されるなんて、といつも不満たらたらだ。

そんな私の肩がしかも両肩共に上がらなくなった。上げようにも痛くて腕を水平く

らいまでが限度、その上ぶら下がろうとしても痛くてぶら下がることも出来なくなっ

た。普通、五十肩などは片方ずつなるもの?

肩が上がらないから、不便で仕方がないようなことはないにしても、手術の後遺症

かなんかで、おかしなことになってはと心配になり、先生に相談した結果、整形外

科の診察を受けることにした。レントゲン写真を撮り先生は覗き込む。『これと言っ

た異常は見当たりません。強いて言えば骨と骨の間隔が多少狭まっているように

見えます。所謂、五十肩ではないかと思われます』

整形外科は患者数が多く待ち時間は長く、待ちに待って受けた診察で何とも、素

気のない診断結果ではないか。肩凝り、湿布薬のワンパターンに突入。

それでも何回か通っている内に湿布薬が効いたのか、急速に回復し症状は嘘の

ように消滅した。それにしても、両肩が同時に上がらなくなり、それが湿布で治った

なんてあまりにも漫画チックではなかろうか。湿布で治ったなんて信じていないが、

いつの間にか、懸垂も出来るようになるし、肩の上下運動、ぐるぐる回し何でもあ

れ・・・・原因は不明のまま。


『改造LED照明』

2013年02月08日 18時18分26秒 | 日記

久しぶりの銀世界の中、このような日は山小屋日和、過日からはまっているソーラー

発電グッズの改造や作成にもってこい。まずはストーブを焚いて部屋を暖め、ボチボ

チと準備にかかる。本日の工程は『蛍光灯シーリングライトをLEDモジュールと交換

し、DC電源と接続する』、つまり100Vの家庭用電気の部分を取っ払って、LEDと付け

替えるだけのことだ。購入したLEDモジュールは6個のLEDが4cm位の円盤に埋め込

まれておりDC 12Vで動作するもので明るさは600ルーメン、新しい光量の単位でワッ

ト換算にしたらなどと説明されているが、比較する事柄が同じではないため、正確に

は言い当てられないものらしい。

LEDランプの箱に『485ルーメン、40W相当』などと書かれている。Wは電気の消費量

だから照らすためのパラメーターが変わると同じWでも明るさが同じとは言えない場合

がある。ただ、過去との整合性を保つために先ほどのような表記は許されている。この

度はそのLEDモジュールを2個、購入し試行錯誤の結果、いい具合に改造することが

できた。

写真を撮り忘れたので文の説明、構造的にはモジュールを放熱板に取り付け、蛍光

灯に取り除いたところにねじ止めをし、DC壁コンから天井に配線し給電するもの。2個

のモジュールで1200ルーメンになり、明るさは十分なものだ。

全部品代が3800円也、出来合いのものを調べてみたが、この明るさでこの値段のもの

は見つからなかった。そもそも家庭用の照明でDC12Vはないし、逆に車用で1200ルー

メンもの明るさは必要ないだろうから、普及していないと思われる。


『回顧録、韓国旅行』

2013年02月07日 15時13分04秒 | 回顧録

折角、ムードは良くなりかけていたのに頓挫させられ、このままでは引き下がらない

と簡単に行けそうな寒い韓国にでも行こうと、元気を出す。

1~2か月以上かけて決まったのが4月、韓国に行くこと。この頃には、病気上がりで

もないし静養しなければならない状態でもなかったから、普通に出かけるトラベラー

だった。韓国へは何度か出かけており様子は分かっているから、食べ物にしても困

ることはないと思っていた。ガイドブックなどで有名な明洞餃子店でのこと。料理を

注文したものを見ると一人前なのに二人前くらいのボリューム、とても食べきれない

と話しながらつつく、やはり他の客は二人でシェアしながら食べている。テーブルに

置いてあるキムチに目がいき、いつもの調子でパクリと食べた瞬間、その辛さに耐え

きれずオエッと吐き出してしまった。幸い、他のお客さんとは離れた席だったから無

様な姿を隠せたが、キムチを食べてこんなこと初めて。術後、わさび、洋辛子の味は

変わりないが唐辛子の辛さは非常に敏感になり、殆ど受け付けない感じになってい

た。数値化はできないけど10点満点で3点くらいのパワーに落ちていた。そんなこと

になっていると気づかないでパクリとやったから、酷い仕打ちを受けてしまったのだ。

韓国はこれで3度目だから特に明洞は自分たちで何とかなる。地下鉄の利用もプリカ

を用意したので少しは遠出もできるようになり、guidebookの地図を見ながら目的地ま

で行くことも。しかし郊外への旅になると自信はガラガラ・・・・イ・サンでお馴染みの水

原へも出かけたが、これはガイドつき。4月の韓国は日本よりも少し寒い気候で厚着

が功を奏し風邪をひくようなことはなく、ゆっくりと楽しんだ。

その後、タイは6月になってから政情は元に戻り、一度は火をつけたことだからと出掛

けてみた。


『悪い木炭の売れ行き』

2013年02月07日 15時11分59秒 | 回顧録

関東地方の雪騒ぎが一段落したら、順番がこちらに回ってきたようで本来の冬模様

に戻りつつあるある。ここのところ暖冬を思わせる日が続いていたが、今朝から吹く風

は強めで、しかもしっかりとした冬風、上空に水気があれば確実に雪となる。

今年、二窯目の炭焼きの初日、皆で囲む焚火はエアコンや温風ヒーターなどの温も

りとは違う。料理でも一時流行った『直火』のものか?

寒さから遠のくことは木炭の売れ行きにも大きく響き、例年は会員でさえお客さん優

先で手に出来ない樫炭の在庫がある。

私たちのような小口の炭焼きが気温と消費の関係を肌身で感じる、これが大手になっ

たら、それこそ1℃、2℃でとてつもない数字で跳ね返ってくることだろう。

円安に向かいつつあり経済界の一部は歓喜のこえを上げているが、ガソリンを始めと

する大半の材料、食品などを外国から輸入している日本、喜んでいてばかりでは、お

られないはず。

貿易収支がマイナスの国だから円安で入りが増え、輸入してもそれとの差益があれ

ば吉となる、しかし国内での生産、販売がこのようなデフレ状態で『吉』になったとし

て庶民にそれを感じることができるようになるかどうか。

吉を感じる前に、円安による痛手を感じるようでは・・・痛いなー。


『回顧録、抗がん剤治療退院』

2013年02月06日 18時09分32秒 | 回顧録

退院して、翌日にシンガポールから来日していたEさんが見舞いに来るというから、

出雲空港に迎えに行き、久方ぶりの再会を果たす。元々、痩せていたのにもっと痩

せたからEさんの最初の印象は弱々しく映ったのかもしれない。しかし、フォー

ゲルパークや近くの施設を案内する内に、意外と元気なので安堵していた。

帰る途中に寄ったスーパーでEさんが国際演劇祭で来ていた時、通訳のボランテ

ィアをしていた人パッタリ出会う。その人は余りにも突然の出来事で、今にも泣きそ

うな顔をしているではないか。それはそうだろう、シンガポールにいる人と松江市内

で偶然に出会うことなどあり得ないのに、ここでそれが起こっているのだから。

そして夜は、入院中にいつも眺めていた、中華料理店に出掛けた。賑やかな方が

いいだろうと、娘たちの家族も全員参加で食事会を開催する。

孫たちは英語が話せなくても何やら一緒に遊んだり、娘たちはたどたどしい英語

で会話を楽しんでいるのを横目に、私は医者に内緒でちょっぴり、ほんのちょっ

ぴりビールを飲んでみた。

苦い、焼酎のお湯割りもほんのちょっぴり、こちらの方が飲みやすい。米焼酎は

元々、味がないから飲み易いものの美味しいという感じはしない。

いずれにしても、昔の酒の味とは全然違ってしまい『術後に煙草、酒のことを考え

る』・・・はまた一歩遠くに行ったようだ。

目出度く2回目の抗がん剤治療を終え、家で療養を続けることになるが、病院は看

護師さんや色々な人のお世話になり、至れり尽くせり、おまけに室温はいつも温か

く快適だったのに、家では甘えてばかりはおられない環境だ。病院では自分の寝

床管理は自分ですることになっていたので、朝起きたら布団を片付け、寝る時に

は自分でセットする。

病院で調教された成果として退院後は自分のものは勿論、妻の分も布団の片付け

を自発的にするようになっていた。招かれざる客の訪問でその年の半分近くは、お

客の相手を余儀なくさせらたれたが、予想された難局には出会わず無事に新しい

年を迎えられた。ああ、何と有難いことか。代償として失ったものがあるにしても食

べる苦痛から解放されたことは、それだけでも大きな価値を持っている。

寒さは身体にメスを入れた者には堪えるものだから、温かいところに避寒は如何と

考える。近場で温かい所はやはり東南アジアの国になる。初めての国だからタイに

行って見るかと米子AP発のツアーを調べてみると、料金は手頃だし自分でアレンジ

できそうだからやる気満々で、旅行会社に申し込んでみる。

ところが、米子から韓国の仁川APまでのチケットは取れるが仁川AP~タイまでのチ

ケットが取れないと言う。韓国経済、中国経済が好調になり出かける人で一杯にな

り、キャンセル待ちも望みは薄い状況。

別のコースへの可能性やらやっている内に、タイ国内の政治情勢がおかしくなって

きた。赤シャツと黄シャツに分かれ首相退陣、続行でバンコックは大荒れになり、渡

航情報も段々と厳しくなり遂にはツアー会社も政情安定まで募集中止を打ち出した。


リンク