食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、魚市場食堂』

2013年11月25日 17時17分32秒 | 旅行

ノ・リャンジャンは地下鉄で漢河を越えた所にある。電車を降りると駅から市場に直行の

陸橋がある。ここの魚市場はソウルの胃袋でもあろう。大きな魚市場には日本で見慣れ

た魚や貝が生きたまま売られている。私たち島根県と日本海を挟んで同じ海の幸を捕

獲しているのだから、市場で見かける海産物は全くと言っていいほど変わり映えしなか

った。市場全体は清潔で魚が腐ったような臭いは全くない。

この市場で日本人は特にアワビとヒラメのニーズが高いらしく、日本人と分かると流暢な

日本語で、アワビが安いとかヒラメが食べごろだとか激しい勧誘に合い、立ち止まってゆ

っくりと眺める暇はない。店で魚を買うと提携している食堂で調理してくれる寸法になっ

ている。手術をして半年くらいの時だったから、食は細く見た目では沢山食べてみたくて

も、実際はほんのチョットあれば間に合う程度だった。

しかし、市場だから細切れのものはなく1匹単位での買い物になる。

ヒラメが安いと言うから一番小さいものを頼んだが、30cmを優に越える大きさだった。それ

に刺身用の小さなアワビを添えた。食堂に連れて行かれ、刺身とアラ鍋にしてもらう。

私が食べても刺身は数切れ、鍋にしても然り、妻が大量の刺身と鍋に戦いを挑んだ。結果

は歴然としている。敗北だった。もっと小さい魚の寄せ鍋がよかったなーと反省の弁。

普段なら海外の魚市場に来ていて何か買い物をする事などないが、キムチ作りで教わった

網エビの塩辛を購入する目的があったから、鮮魚とは少し離れた店を探した。塩辛類は種

類も多く網エビ以外にも買っておこうかと思ったが、こうした加工品は特別な味わいがある

のではないだろうからと諦めた。


『演劇鑑賞、安寿と厨子王』

2013年11月25日 17時15分01秒 | 日記

若い方には馴染のない物語かもしれないが森鴎外著の山椒大夫を演劇にしたもので

多分、私たちが小学校の頃に何かで習ったのであろうかよく覚えている。これと同じよ

うな頃だと思うが悲しい物語としては杜子春を覚えている。昔はこうした物語を授業の

片隅か先生の語りで聞いたのだろうが、その過程をはっきりと覚えていないけど、三つ

子の魂百までのように忘れはしていない。

八雲町にある、しいのみシアターでは昨年に続いて安寿と厨子王の公演が行われ、昨

日はその最終公演だった。劇場は立見を入れて140~150人くらいの小さな劇場。主宰

者の園山土筆さんが言われるように『観客は演じる人の息遣い、役者は観客の息遣い

聞こえるほどの距離感は贅沢な劇場』まさにその通りだ。

いつもは最前列に近い席を選ぶが今回は早く行ったつもりなのに最後尾の席だったが、

それでも役者の息遣いまで感じられる迫力のある演劇を鑑賞できた。

今回も女性客が7~8割と多かった。

劇の山場は生き別れになった母と再会するラストシーンにあり、悲しみ苦しみを乗り越え

労の末のことだから、観客の多くから小さな嗚咽や暗い照明の中で涙を拭う姿が見ら

れた。筋は昔から良く知っているし昨年にも鑑賞していたから幸いなことに免疫があり、

そうした人たちの仲間入りだけは避けられた。

昨年の公演では、NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』でほら吹きの老婆役をした、有名な女優さ

が厨子王の母役をしていた。キャストの事情を知る由はないが所謂、大物女優が演じ

た母役と今回の役者さんで、知名度に天地の差はあるものの演技力に天地の差があるよ

うには見えなかった。

だとすると、見る側がパンフのキャッチコピーを過剰に取り入れてしまい、その女優に勝手

期待をしてしまったのではないかと思った。逆に言えば、素人目からみればそれだけ今

回の母役の演技が素晴らしかったとも言える。

役者さんの見送りを受けながら階段を下る途中に、赤も鮮やかな紅葉が際立ち、今は秋で

あることを忘れないでと、語りかけているようだった。


リンク