ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

プロセスに乗る

2006-10-17 07:51:43 | 心・身体・癒し
先日、家族で三浦半島に出かけた。当日は気温が34度近くにもなる晴天で、日差しがギラギラと照りつける暑い日だった。遊びが目的ではなく、ある仕事を終えることが目的で出かけたのだが、それは海の上でなければ出来ないことだった。

船(ヨットではあったが)に乗ったのは、二歳になる年の夏に津軽海峡を渡る青函連絡船以来。海に出て間もなく、船長さんとその奥さんが「今日は夏には珍しく、富士山が見えますよ」と教えてくれた。なるほど、はるか向こうに富士山がうっすらではあるが眺めることができる。が、実は話はそれだけでは終わらなかった。「夏に富士山が見えるときは、必ず海はうねりが高いというのが定番なんです」と船長さん。

子どもの頃からシーソー、ブランコの類が、全く駄目な私である。船長さんのそのひと言で、すっかり気が滅入ってしまった。いかにして、海に放り出されないようにするか、頭の中はそのことでいっぱいだった。

そして案の定、船長さんの言うとおり、相模湾の中にいた時はさほどではなかった揺れが、外海に出た途端、物凄いうねりと一緒にヨットを襲ったのだった。

波しぶきは容赦なく、私たちの顔、衣服構わずぬらしていく。それでも全く動じることなく、実に悠然としているのは船長さんと奥さん。「飲み物はどうですか?」とお茶を差し入れてくれたり、「濡れていたら拭いてください」大きなバスタオルを差し出してくれたり、まったく地上と同じように、いや陸の上よりも軽快に船上を歩いたりする姿に、「さすが海を生業としている人だ」と思わずにはいられなかった。

予定では、小一時間は海上に留まることになっている。相変わらずうねりは収まるどころか、かえって大きくなるばかり。振り落とされまいと必死にバーにつかまっていた私ではあったが(もちろん救命胴衣は装着していた)、全身が緊張して硬直状態、段々と腕や手もしびれてきて限界を感じ始めてきた。とはいえここは海の上、逃げ場はどこにもない。心の中で「どうしよう…」と途方に暮れた、その時だった、不意にどこからか「プロセスに乗るんだよ」との声が聞こえてきたのである。

学院で学びはじめて間もなく出会った、アーノルド・ミンデルの『プロセス指向心理学』。そのプロセスワークを教育分析の時間のなかでレクチャーしてもらい「プロセスに乗る」ということを実践、体感して来た私だった。そして今、新たにBFAという恩師が独自の世界として生みだしたワークを受けながら、セルフワークが習慣となっている自分に、その声はまるで「こんなことくらいで、何をアタフタしているのだ」とでも言うかのように響いてきたのである。

「そうだ! プロセスに乗ればいいんだ! この流れ、波に乗ればいいんだ!」と、思ったその瞬間、あれほど揺れに抵抗し満身の力で必死に波に耐えていた身体の力が抜け、フワッと軽くなったのだ。もう、そこからは夢心地。波が沈む時は私もヨットと一緒に沈む、波が高くなれば私もヨットとともに上がる。海原を眺め、海の蒼さを味わう余裕、遠くに見える富士山や島々を眺める余裕も出てきて、いつもでも乗っていられそうな気分だった。

普段からプロセスに乗ることの意味や重要性、そこからの気づきなど色々な学びや実践を繰り返してきたつもりだったが、今回、本当の意味でプロセスに乗るということや、乗ることによってこんなに楽になれると言うことを、体験として味わったのだ。そして、それは今後のPOPやBFAを学んでいく上での貴重な体験だったと感じている。実際、それからしばらくの間セルフワークをすると、あの船の上での感覚が甦ってきて、そこから新たな気づきが生まれたことは大きな収穫だった。

先日、教育分析で講師が言ってくれた、「プロセスに乗るということが、壁を越えるということなんだよ」との言葉をわたしはあの時まさに体験したのだった。